〈五感〉と〈ひらめき/直観〉と〈霊性/こころ〉

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 脳のはたらきで考える。
 神経で伝えられる信号は、①脳から出発し、そして ②脳へ戻ってくる、2つがある。②は知覚であってその情報をもとにして ①運動となる。
 知覚は、すなわち「五感」である。

五感とは

 五感の大切さについて、その理解をどこまで共有しているかは別に置くとして、しかし、五感だけでは解決しないと思い「五感と直観と霊性」を設けた。「感じる」ことに対してその反応が起きることは自身の体験でなんら不思議でない。しかし、同時に五感を総合してのことかもしれないが、「直観」というものに気づかされること、しばしばだ。これには「第六感」の言葉があって、五感に続く6番目 否 五感を総合しての六感の意味かもしれないが定かでない。

 福岡伸一『動的平衡』p73 に「第六感」が登場する。
 //第六感のことを英語では、ガット(gut=消化管)・フィーリングという。あるいは意志の力をガッツ(guts)と読んだりする。「ガッツがある」と言うときのガッツである。
 私たちは、もっぱら自分の思惟は脳にあり、脳がすべてをコントロールし、あらゆるリアルな感覚とバーチャルな幻想を作り出しているように思っているけれど、それは実証されたものではない。//
 新明解国語辞典第三版の「第六感」には、//〔五感の働き以外によるという意から〕直観的に何かを感じる心の働き。勘。// とある。第六感=直観=勘 の等式が成り立つ。上述②知覚は、五感プラス「第六感=直観=勘」でよいだろう。

 毛内拡『脳を司る「脳」』では、「知性」を説く中で《「ひらめき」とアストロサイトの関係》p233 という小見出しを立てている。ニューロンで説明される脳のはたらきについて、著者の毛内拡はニューロンに並んでグリア細胞が重要なはたらきを行っていると推論する。アストロサイトはグリア細胞の一つである。つまり、グリア細胞が存在する脳のなかで「ひらめき」が生じているのではないかと仮説し、デジタル思考だけでなくアナログ思考も脳内で実現しているのでは?と論を立てていて、驚かされる。
 「ひらめき」と「第六感=直観=勘」は、さらに等しく結ばれるだろう。

 ミミズはまっすぐな体をしている。片方が口で、もう片方が肛門。口から取り入れたものは「消化」されたら出口に向かう。消化された栄養分は「体内」に吸収される。ということは、吸収されるまでは「体外」に置かれる。ヒトも同じで、ミミズほど一直線ではないが、胃袋の中は「体外」である。
 //タンパク質が「文章」だとすれば、アミノ酸は文を構成する「アルファベット」に相当する。「I LOVE YOU」という文は、一文字ずつ、I、L、O、V……という具合に分解され、それまで持っていた情報をいったん失う。//
 これは、福岡伸一『動的平衡』68ページにある記述。うまいこと言うなあ、と感心した。分解されるまでは異物だから、ヒトの体は絶対に体内へ侵入させない。//体内に入ったアミノ酸は血流に乗って全身の細胞に運ばれる。そして細胞内に取り込まれて新たなタンパク質に再合成され、新たな情報=意味をつむぎだす。つまり生命活動とは、アミノ酸というアルファベットによる不断のアナグラム=並べ替えであるといってもよい。//と続く。
 さて、このミミズに「こころ」があるのだろうか? //中枢神経系を持つ動物なら、どんな動物にもこころはある、と考えるほうが、人間のこころは特別だと考えるより、ずっと無理がありません。//と記すのは、山鳥重(やまどり・あつし)という神経心理学者。(『心は何でできているのか』p55)
 福岡伸一氏は、ミミズに//「君の心はどこにあるの?」と訊ねることができ、その答えを何らかの方法で私たちが感知することができたとすれば、彼らはきっと自分の消化管を指すことだろう。//と記している。(『動的平衡』p73)

 「五感と直観と霊性」で「心の拠り所」に言及した。「ミミズのこころ」を実感することはできないけれど、福岡伸一氏や山鳥重氏の解題に触発される。「こころ」のありかは未だに判明していない。冒頭②知覚によって指令された①運動があるなかであるいはグリア細胞のはたらき(アナログ思考)などで、もしかして「こころ」が生じる?と考えるのは無理があろうか。ゆるやかに「霊性」の概念を広げて「霊性=こころ」(心の拠り所)としておいたようがよいかなと思うようになった。

(参考)“脳”すごいぞ! ひらめきと記憶の正体

 以上でもって、「五感と直観と霊性」を残したままに「〈五感〉と〈ひらめき/直観〉と〈霊性/こころ〉」のページを新たに設けることとした。


「勘違い」も「ひらめき」のうちかもしれない。
冷静にならなくては……。

補遺:五感ではなく「六感」という主張

※このページの主題「五感」から引き合いに出される「第六感」ではなく、「五感」の範疇に入る感覚は6つある──という山鳥重の主張。

  • テキスト
    • 山鳥重『心は何でできているのか』p126~127

「五感」について、生理学的な説明+6つめの感覚 p126

  1. 視覚……//眼の網膜が受容する//
    • 視覚的経験……//見えている・見えていないという感情//
  2. 聴覚……//内耳の蝸牛管(かぎゅうかん)が受容する//
    • 聴覚的経験……//聞こえている・聞こえていないという感情//
  3. 嗅覚……//鼻腔(びくう)内面の嗅(きゅう)粘膜が受容する//
    • 嗅覚的経験……//匂う・匂わないという感情//
  4. 味覚……//舌や舌近傍の味蕾が受容する//
    • 味覚的経験……//味がある・味がないという感情//
  5. 体性感覚(触覚)……//身体全領域の皮膚に分布する皮膚感覚器官が受容する触覚温度覚振動覚など//
  6. 6つめの感覚……//関節に備わっている受容器が感じる運動や位置の感覚//
    • 運動覚的経験……//(からだの一部、あるいは全身が)動いている・動いていないという感情//

p127
//これらはすべて独特の感じです。このような、異なった感覚受容器に由来する、それぞれ独特の性質を持つ感情を、神経処理様式特異性感情とか、感覚様式特異性感情と呼ぶこともできますが、いかにも長たらしいので、感覚性感情としました。//

情動性感情と②感覚性感情

p125
//情動性感情がもっとも分かり易い感情ですが、感情はこれだけではありません。//
※「情動性感情」とは……喜怒哀楽などのこと。

p126
//別の大きな感情があります。感覚性感情です。感覚性感情というのは、わたし〔山鳥重〕の造語で、普通は単に感覚と呼ばれています。//
p126
//感覚は外在世界の事物や出来事を知覚し、理解するための土台ですので、普通、神経生理学や心理学では、知覚の神経メカニズムの考察に隠れてしまい、知覚の入り口のように扱われて軽視されていますが、感覚も立派な感情です。感覚の感情性(?)を強調する意味もあって、感覚性感情という、少しくどい表現を使うことにしています。//
p126
//知情意論のパイオニア、ベインは「感覚は、厳密な意味では、心理的印象であり、感情であり、意識の状態である」といい、感覚を感情の1つと考えています。その通りです。スペンサーも、同じく感覚を感情に分類しています。正確には「身体末端に始まる感情が感覚である」と述べています。//

2022.11.10記す

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