||||| 三木成夫の生命観 “すがたかたち” |||

Home > つぶやき Opinion(このページ)
Zayu no mei Profile

//幼児達は、先ずおのれを取り囲む現象の大海原の中から「同類の形象」に目覚めて行く。其処では、或るひとつの形象が、曾て〔かつて〕のそれと“オナジ”か、またはそれ”ミタイ”である事が自ら認知される。//

上↑《「原形」に関する試論 人体解剖学の根底をなすもの》(三木成夫『生命とリズム』河出文庫 2013年)所収 p256

//われわれの心の眼はそこに映る“すがたかたち”の中にそうした「遠」を見てとるのである。//

上↑※「遠」……”おもかげ”
《人間生命の誕生》(三木成夫『生命とリズム』河出文庫 2013年)所収 p30

  • 三木成夫 みき・しげお
    • 1925~1987年
    • 解剖学 / 発生学

豊かな造形の世界 “すがたかたち” に “いのち”

p33
//さて、心情の覚醒によって体得された森羅万象の”すがたかたち”は、やがて人類が精神の稲妻に打たれた時、そのいわば幻の像がひとつの鮮やかな映像として刻々の瞬間に固定されることとなる。人びとはその映像をさまざまな方法で表しそこに豊かな造形の世界を繰り展げてゆくのであるが、しかしやがてかれらの関心はそのかたちの持つ法則性いわゆる“しかけしくみ”の方に向けられ、そこで自然科学の目覚ましい世界を開拓してゆく。//
“しかけしくみ”“すがたかたち”の対照としておかれる。

p33 森羅万象で形容される「無常」
//無常の流れに逆らっておのれを不動のものに固定する。世界が人間を中心に動くというひとつの錯覚がここに生まれ、そしてまさにここから、自然の”しかけしくみ”を逆用して、おのれの飽くなき欲望充足に役立たせようとする今日の世相が成立することとなる。//

p33 続けて、生命再生に向けて、告発となる。
//それは、心情の支えを失って精神に憑かれた自我者の集団が、この地球の自然を文字通り「原形」をとどめぬまでに掘り返し、掘り尽くして倦むことがない昨今の光景に如実に象徴されるであろう。それはカルチャー(culture 耕作)の終焉を意味する。//

p33
//さて、それでは人類本来の姿とはいったいどこにあるのか?//
p34 先史数万年/上古代の人間像に思いを馳せ……
//人間形成とは人間の原形完成の謂れ(いわれ)である。それはすでに述べた”人間らしさ”の完成にほかならない。人間の生命はこの時初めて誕生する……。//
※《人間生命の誕生》をタイトルとする稿はここで閉じられるが、《「原形」に関する試論》に引き継がれる。

三木成夫のいう “すがたかたち” ──原形を求めて

p26
//”すがたかたち”の学問体系の基礎が、ゲーテの形態学(Morphologie)によって確立されたことを知るものは少ない。ゲーテはこうした人間独自の”すがたかたち”を人間の原形(Urtypus)と呼び、この原形の解明にその生涯を賭したのであったが、もっとも厳密な意味での「人間形態学(Anthropologie)とは、こうした人間の原形探究の学でなければならないことは言うまでもない。それが人文の学に属そうと、あるいは自然の学に属そうと。
 人間の原形──要するに”人間らしさ”とはいったいなにか? ゲーテは、猿から峻別するいわば伝家の宝刀といわれる「理性」によって人間は、”いかなる猿よりも猿らしくなった”と言う。そして現今は、この”人間らしさ”を失った生ける屍が世に充満していると言われるのである……。//

p256
//幼児達は、先ずおのれを取り囲む現象の大海原の中から「同類の形象」に目覚めて行く。其処では、或るひとつの形象が、曾て〔かつて〕のそれと“オナジ”か、またはそれ”ミタイ”である事が自ら認知される。初めて見る窓辺の雀から、何時も見て来た玩具の小鳥が振り返って指差され、更に絵本の鳩ポッポから今度は窓辺の雀と、玩具の小鳥の両者が相次いで指差される……と言った工合に。彼等は見た目に可成り異なって映るこの三者の間に、しかし「根原の類似」が横たわっている事を、既に誰に教わるともなく見てとった事になる。〔略〕この累積像は更に繰り返される同類印象の体得によって次第にその輪郭を定め、やがては「小鳥」と呼ばれるひとつの面影に迄成長発展を遂げ、遂にはこれをもとに、どんな鳥影に接する事があっても、それを例えば蝙蝠(こうもり)のそれと混同する様な事もなくなる。//

三木成夫の「遠」(おもかげ)は、
植物から動物へ、そして人間の原形へ

p28
//しからばいかにして歳月の移り変わりを知ることになるのであろうか? それはこの植物を形成するひとつひとつの細胞原形質に「遠い彼方」と共振する性能が備わっているから、と説明するよりないであろう。巨視的に見ればこの原形質の母胎は地球であり、さらに地球の母胎は太陽でなければならない。
 したがって、この原形質の生のリズムが、例えば太陽の黒点のそれに共振することがあるとしてもなんら不思議とするにあたらないであろう。//
※たぐいまれな想像力。理解しようとする我々のほうが追いつかない。

p28 イメージの創作が続く
//細胞原形質には、遠くを見る目玉のない代わりに、そうした「遠受容」の性能が備わっていたことになる。これを生物の持つ「観得」の性能と呼ぶ。植物はこのおかげで、自らの生のリズムを宇宙のそれに参画させる。われわれはその成長繁茂と開花結実の二つの相の明らかな交替が日月星辰の波動と共鳴しあって一分の狂いもないのを見るであろう。こうして植物の生はこの大自然を彩る鮮やかな絵模様と化す。
 さて、これが動物ではどのようになっているのか?//

p30
//地球上の森羅万象はことごとく地球生誕の劫初(ごうしょ)の昔につらなる。それらは言いかえれば、ことごとく50億の歴史を持つ。われわれの心の眼はそこに映る”すがたかたち”の中にそうした「遠」を見てとるのである。1ヵ月の胎児の顔貌は現存する古代魚のそれとともに、人びとの心を古生代の彼方にまで連れ去ることであろう。そしてこの地上のすべての生物を生み出し、はぐくみ育てたその時代の海水が、いまもなおその“おもかげ”を母胎羊水に宿し、われわれの揺籠(ゆりかご)の姿をくまなく満たすのを見るのである。//

三木成夫の生命思想 “すがたかたち”

 三木成夫は解剖学者であり、自然科学者でもあった西洋の詩人ゲーテの形態学に思いを傾斜している。上記に引用した文章は、科学的手順を踏まず、「信念」に基づいたものと言えよう。とはいえ、解剖学の師として、《人体解剖学の根底をなすもの》を副題にした《「原形」に関する試論》において、「解剖」の意味についての考察は「なるほど……そういう意味か……」と、うならせるものがある。〈「原形」とは何か〉と思いながらこの書を読むと、人間(ヒト)は何から誕生したのか?──という問いだと理解した。

 野鳥をかたどった玩具(つまり、おもちゃ)に対して、窓辺に飛ぶスズメ、絵本に描かれる小鳥、それらを総称して「トリ」の原形を把握する幼児の認識過程を記す。飛翔するコウモリをトリと間違えず区別する、とある。こうして「鳥類」というカテゴリーを獲得する。犬や猫にもいろいろとあろうが、犬の仲間と猫の仲間を容易に区別するようになる。このことは、人間にもいえる。

 「日本人」と「日本人でない」を、ときに紛らわしいことはあるが、概ね、わたしたちは区分することができる。「日本人とは?」「人間とは?」それぞれのカテゴリーに応じて、わたしたちは応答可能だ。三木成夫のいう「原形」とは、こういうことだ。
 解剖において、人間はその外観からは個々人が観察して区別するだろうが、からだの内部については、メスを入れずして見ることはできない。その内部を解剖学者が目撃したとき、外観は違っても、およそ似た構造を内部に見ることができる。しかし、三木成夫は、ここで満足しない。「内部」は? 地球に起源を求めて思索をめぐらす。ヒトの乳児については、胎内の羊水が海水に源がある、としている。三木成夫の「生命観」は思想である、と私は思う。

2022.11.13記す

© 2022 ||||| YAMADA,Toshiyuki |||, All rights reserved.