|||||《「神経神話」の払拭》に思うこと |||

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《「神経神話」:学習ノート》

 幼児の発達を考えるにあたって脳の勉強をする必要があると思って始めたのだが、《「神経神話」の払拭》の学習を進めていくうちに、「脳の勉強」を重ねることがときに「神経神話」のワナにかかっているのでは? と、思うようになった。「神経神話」の震源地は「脳科学者」あるいは「科学者」であり、彼らのポイントを報道してきたメディアにあると思うからだ。
 「右脳」や「左脳」という言葉は学術的には存在していないことは承知している。脳梁を境に脳は左右の半球に分かれていて、つまり「大脳右半球」あるいは「大脳左半球」を「右脳/左脳」と短縮形で便宜的に呼称しているにすぎない。両半球に分かれていても「脳は一つ」である。
 一方、言語などは左半球に、空間認識などは右半球に、およその人たちで局在していることを根拠に、脳は左右別な働きをすると誤解を誘導するような教養書が脳科学者(または科学者)によって多く出版されている。専門知識を持ち合わせない、臨床や実験の場に立ち会えない一般人にとって、誤解の無い読解を求められても困惑するだけである。脳の勉強を深めるということは、誤解の崖っぷちに立っているようなものだ。

 保育園では ──
 おとな(先生)は、子どもと向き合って、これからすることや約束事を指示するとき、一方的に行うのでなく、子どもに理解を求め自主性を促す。その伝達方法で頻繁に手遊びをつかう、なぜか? 保育園の風景であたりまえにふつうなので、疑問に持たなかったが、ある日ふと気づいた。「手遊び」の理解は右脳で行っているのでは?と。この「右脳」が、いけない。「脳に局在する働き」が作用している、ということだ。「右/左」を記して省略するのがよくない。
 4歳までと5歳からとはそこに画期が存在していて、言語による理解は5歳以降に自身の判断に有効となるだろうが、少なくとも4歳までは手遊びが5歳以降の言葉に匹敵して有効なのだ。
 ところが、仮名をおぼえ簡単な計算ができるようになると学習の到達度を意識するようになる。言葉学習や計算は左脳の領分とされる。そして、またこれがよくない。「脳に局在する働き」が作用し、多くの場合、大脳の左半球に局在しているにすぎないし、脳梁を通じて、右半球が関係して作用しているかもしれない。判明していないだけだ。この認識を基に、4歳までの自身を導いてきた「脳に局在する働き」の作用を軽んじたままにしておいてはいけない、もったいない、というのが私の言いたいことだ。

 上述とは別な話になるが、文字が読めるようになり、初期の計算ができるようになると、一方で「直感像記憶」が失われるという+ やっぱり「みつめられていた」
 本書を読んで、この”大発見”に辿りついたことを記しておこう。

2023.1.29記す

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