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「脳」の世界は、宇宙と並んで人類最大のミステリー。
理化学研究所 脳科学総合研究センター『つながる脳科学』「はじめに」より

脳神経研究21世紀:方法と歴史(1
ハードウェアとして   新しい脳・古い脳:脳は鉄壁(2
ソフトウェアとして 神経細胞のつながり:脳の可塑性(3
意識(4
脳科学辞典(外部リンク) その他(5

「脳」ではなく、なぜ「脳神経」か?

図※三上章充『脳の教科書』講談社 p27

リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』(40周年記念版)
+ 紀伊國屋書店 2018年
p108
//ニューロンは基本的にはまさに細胞であり、他の細胞と同様に核と染色体を備えている。だが、その細胞膜は細長く伸びて針金状の突起になっている。たいていの場合、一個のニューロンには、軸索というとくに長い「針金」が一本ある。軸索の幅は顕微鏡的なものだが、長さは数メートルに及ぶことがある。たとえば、キリンの頸の全長にわたる軸索がある〔ヒトではなくキリンに〕。軸索は、数々の線維が束になった太いケーブルで、この線維が神経である。神経は体のある部分から他の部分へ、ちょうど電話ケーブルの幹線のようにメッセージを運ぶ。あるニューロンは軸索が短く、神経節、あるいはもっと大きな場合にはと呼ばれる、密集した神経組織の集まりのなかに収められている。脳は機能上コンピュータに似たものと考えられる。//

 「脳のはたらき」「脳神経のはたらき」この二つを比較した場合は、前者の表記が圧倒的に多い。しかしながら、図※のように、全身に張りめぐらされた神経によって「脳のはたらき」が成り立っている。神経による伝達のありかたが「脳のはたらき」である。
 しかしながら、「脳のはたらき」と表記することは、脳が単独で働いている特殊な器官と誤って認識しやすい。したがって、わたしは「脳神経のはたらき」を採用している。「脳のはたらき」と略す場合は、誤解を生じても問題ない場合に限っている。

半球と局在

 「右脳/左脳」という言葉は、学術的には存在していない。脳梁を境に脳は左右の半球に分かれていて、つまり「大脳右半球」あるいは「大脳左半球」を「右脳/左脳」と短縮形で便宜的に呼称しているにすぎない。両半球に分かれていても「脳は一つ」である。
 一方、言語などは左半球に、空間認識などは右半球に、およその人たちで局在していることを根拠に、脳は左右別な働きをすると誤解を誘導するような教養書が脳科学者(または科学者)によって多く出版されている。専門知識を持ち合わせない、臨床や実験の場に立ち会えない一般人にとって、誤解のない理解を求められても困惑するだけである。脳の勉強を深めるということは、誤解の崖っぷちに立っているようなものだ。

右脳・左脳にまつわる多数の「脳科学神話」

開一夫(発達認知神経科学)『赤ちゃんの不思議』岩波新書 2011年
p162
//昨今の脳科学ブームの影響からか、世の中には右脳・左脳にまつわる多数の「脳科学神話」が溢れています。右脳は感性や感情を司り、左脳は言語の論理的思考を司るという話は今までのところ科学的根拠のない「神話」です。重要な点は、右脳(左脳)だけが感情的処理(言語処理)にかかわっているのではなく、個々の脳機能に関して「相対的」に優位な(相対的に活動が大きい)半球があるということです。//

大脳機能の左右差

山口和彦(脳神経科学)『こどもの「こころと脳」を科学する』ジャパンマシニスト社 2022年
p171
//大脳の機能に左右差があることを発見したのは、アメリカのロジャー・スペリーという神経科学者で、1981年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。ただし巷で流れている右脳(うのう)俗説は、全部が正しいわけではありません。また学術用語に「右脳(うのう)」という用語はなく、「大脳右(みぎ)半球」と呼びます。
 多くの人では、「大脳左(ひだり)半球」(以下、左半球)には言語中枢があります。言葉にすること、計算、それから分析してどちらが大きいかなどと比較するようなことは、左半球が得意です。
 それに対し、「大脳右半球」(以下、右半球)は空間を認知したり、全体を把握したり、顔の判別や、意味を理解するということが得意です。//

 右脳/左脳という呼称を不用意につかうものではない、ということはよくわかる。「大脳右(左)半球」と記すことが正解なのだろう。《「右(左)大脳半球」の表記もある 》
 一方、こうした注釈や断りを入れている「科学」を下地にした本で「右脳/左脳」の表記にしばしば出会う。「大脳右(左)半球」と表記する煩雑さを「右脳/左脳」は回避する。結果として、誤解や誤用をひろげるということになる。

《「神経神話」:学習ノート》脳機能の局在:左脳右脳問題

言語機能

言語機能は、左脳(ブローカ野)に局在するのか?

酒井邦嘉(言語脳科学者)『チョムスキーと言語脳科学』集英社 2019年
p239
//いまだに脳機能の局在自体を認めない脳科学者も少なくない。例えば、左脳の前頭葉の損傷によって言語障害が生じることをフランスのブローカ(1824~1880)が初めて報告したのは1861年のことである。「ブローカ失語」と呼ばれるこの症例は、脳の機能がその一部に局在することを示す最初のものだった。
 しかし脳機能の局在を否定する全体論者は、「ブローカ失語の患者はブローカ野以外にも損傷がある」などと主張し、それ以降、局在論と全体論の間で激しい論争が続いた。20世紀に入ってから、その議論に交通整理を行ったのは、アメリカのゲシュヴィンド(1926~1984)だった。
 彼は自分の師匠が全体論者だったにもかかわらず、虚心坦懐に事実と向き合うことのできる科学者としての資質を持っていた。ブローカ失語(のちにそれは私たちの研究で「失文法」を含むことが分かっている)の原因が、ブローカ野を含む前頭葉の損傷であることを明らかにして、師匠に反旗を翻す形で局在論を確立したのである。
 チョムスキーの言語理論に一番近い脳科学者だっただけに、ゲシュヴィンドが58歳の若さで亡くなったことは実に悔やまれる。ブローカの大発見から150年以上経った今でも、局在論への懐疑論や反対意見が絶えないことを思えば、言語の基礎をめぐる論争などまだ序の口なのだろう。//

 局在論については、多様な知見をわたしは受けとめるばかりだが、言語の生得性には関心をもっている。酒井邦嘉の探究に期待したいところ大いにあり。※『チョムスキーと言語脳科学』読書ノート

性差、これこそ神経神話!

 言語は左脳、空間は右脳──という局在論は議論が沸き起こる科学的イベントがある。しかし、男脳/女脳がいかにも脳科学者の弁舌で正論であるかのように伝えられること、これは明らかに間違いである。生体に起因する性差によって個人が差別される事例はもはや既定事実である。脳機能によって性差が説かれるのであれば、社会的非難は免れないであろう。

毛内拡『面白くて眠れなくなる脳科学』PHP 2022年
p75
//少なくとも右脳と左脳が役割分担をしているのは、間違いないことだと思いますが、それをもって「自分は左脳型人間だ」とか「左利きは右脳が発達している」というのは、少し誇張されすぎていると私〔毛内拡〕は思います。
 私たちの個性や性格は、たくさんの脳内物質のバランスなどによって決まっていると考えられます。個性や性格が白黒で決められないように、脳内物質のバランスはグラデーションのように無限に広がっているというものです。これが私たちの多様性であり、みんな違ってみんないいというほうが脳の研究者としてはしっくりきます。
 同様に、脳の性差も突き詰めると、脳のホルモンのバランスによって多様に定義されるというのが最近の考え方です。そもそも、生物は発生時には性別は分かれていません。そこに、アンドロジェンと総称されるいわゆる男性ホルモンが作用することで、オス型の体になり、男性ホルモンの作用が少なかった個体は、メス型になります。//
p76
//脳も同様で、原型があり、性ホルモンの濃度分布に従って変化していきます。ただ、肉体の場合は、わかりやすい外見上の変化が生じるために、オス、メスと白黒に分けることができます。一方、脳には本来は白黒で分けられるような特徴はありません。
 つまり、肉体はオスだけど、性ホルモンの濃度が薄いパターンや、その逆も十分ありうるということです。脳に限ってはオス・メスと白黒で分けられるものではなく、グラデーションのように無数の多様性があります。巷では、男脳・女脳ということがいわれますが、そこで理解を止めてしまうのはもったいないことです。
 この「左脳・右脳」「男脳・女脳」や白黒または善悪など二元論的に理解したい性質も、一種の脳のバイアスといえるでしょう。//

《「神経神話」:学習ノート》 脳機能の局在:男脳女脳問題

 それにしても、やっぱり思う。「神経神話」の発生源は、脳科学者あるいはサイエンティストであり、もっともらしい話を拡散したメディアだ。

2024.11.8記す

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