コロナ禍と子育て(2)子どもは「地域」で育つ ── 擬育38

 3月の初めから6月半ばまで、子ども(幼児と小学生低学年)に接する機会を失った。そして、6月半ば過ぎから、ようやく再会となった。長かった。寒くても頑張って山登りをした2月から季節は一転、夜7時になっても明るい夏至を迎えてしまった。
 コロナが憎い! 悔しい! でも、グローバリゼーションや気温温暖化など人間の仕業の結果だから、受け止めるしかない。幼児と関わると、幼児らがおとなになったとき、私たちが置いていった負債をすべて背負い込むことになる。それが申し訳ない。ごめんなさい。

 保育園の園庭に足を入れると「♪ヤマダセンセー」と大きな声が飛んでくる。マスクをしていてもわかるんだと思う。「おじいさんになった?」と問いかけられた。どういう意味? 「前から、おじいさんだよ」と腰曲げ杖つくまねをした。ダイエットに成功したつもりなのに、年齢詐称はできない!と思い知る。 ともかく、子どもたちの元気な様子にホッとする。

 しかし、……。この3か月以上の空白。保育園の、保育士の、親の、地域の、それぞれの役割は何だったのだろう。これの影響は10年以上後に表れるのかもしれない。いや、何事も無かったように、時は語るかもしれない。しかし、……。私は、まず反省として、「遊び」の重要性を訴えながら、それの取り組みを急がねばならないと気づかされた。「遊び」はグローバリゼーションとは真逆で、極めて地域性を伴う。乳幼児の育ちについて、地域のありかたをこれまで以上に考えるようになった。子どもたちの育ちは、地域の暮らしと不可分で、地域があっての暮らしと言える(ようになって欲しい)

 しかし、……(が続いて、ごめん)。地域における子育て、というものは今や空虚だ。ここに希望を見いだせる地域を創出して欲しい。コロナ禍で、子どもを救えるのは、その発達を支えるのは、地域(だけ)だと思う。その「地域」に「保育園(認定こども園・幼稚園も)」も含まれる。

2020.7.1記す