コロナ禍と子育て(3)ふるさと観 ── 擬育39

 若いとき、およそ20代の頃は、「ふるさと」という言葉は余所事だった。

ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの

 室生犀星の名作とされるこの詩も、”名作”として味わう程度のものだった。
 コロナ禍で、世紀レベルで時代の変化を想像するようになった今、”ふるさと”を我が事として実感するようになった。

 私の「ふるさと」は3つある。1つめは、林田川以東の播磨平野。私は長男で育ったが、貧しかった。90になった母に確認すると、3歳のときから、しばしば母の母宅に預けられていたらしい。母の母、つまり祖母がいたのが播磨だった。「家のない子」と祖母は泣いたという。播磨の田舎で育ったことが、自然好きな基礎を育ててくれたと私は思う。2つめは、神戸市兵庫区の平野。有馬街道と都会の接点だった。ここに19年住み、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学の初めと、子ども時代から青春期まで過ごした。だから、友達の顔と地域が結びつく。
 今の明石に移り住んで35年になるが、隣の町名すら覚えられない。「まちづくり」には深くかかわっているが、ここは「ふるさと」にならないだろう。
 ふるさとの3つめは芦屋だ。私のふるさとではない。ここでかかわっている子どもたちが〈芦屋をふるさと〉と思うようになるにはどうすればよいだろうか、と考えている。そして、「ふるさと」とは何だろうかと、コロナ禍で考えるようにもなった。それは、大切な発達の時期、育ちの時期を、コロナが奪ったからだ。正確に言えば、コロナが奪ったのではない。コロナに脅える子どもとその親、地域を導かない政府が奪った。
 ふるさと=地域。ここ芦屋で育つ子どもらに、誇りをもって「ふるさと」を創出したいと思う。

2020.7.16記す