||||| はじめに 命題「いのちを子どもに(気づかせたい)」に応えて |||

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 野外体験活動保育マニュアルには、3つの目的「五感生命(いのち)・共感」を掲げている。乳幼児が、生活や遊びを通して、あるいは自身の成長において、体験活動にどういう意味(目的)をもたせればよいのだろうと私はずっと考えている。わからないことは多い。その謎解きをしながら、保育の現場や、もう少し年長の子どもたち(小学生)と実践を重ねている。

 2020年のある時期から「心の理論」に関心が向いた。一方、野外活動にかかわるようになった当初、園長から「いのちを子どもに(気づかせたい)」と命題をいただいていた。さらに〈自然教室〉「つみあげ pdf」というかたちを思いつきその実践を始めた1970年代前半から活動中心テーマのひとつは「いのちの発見」であった。それからの歳月を数えると、50年をかけて《いのち》という大きなテーマについて、やっと語れそうな糸口が見えて来た。

 じつは、こうした謎解きは上記のような時系列ではない。極めて個人的なことで、私は「死とは何か」について考えていた。2020年で私は70歳になった。十分に元気で、園の野外活動では2日連続の山歩きも平気だ。でもいずれは店仕舞がやってくる。このことを考えていると「他者」の存在が先で、他者の発見が自己につながることを「心の理論」で学んだ。(あれっ!)と驚いた。乳幼児は、他者に促されて自己を発見する。他者を切り離して「死」は存在しない。生と死は、いずれも他者で規定されるのだ!

 「いのち」に対するいただいた命題に向き合える準備ができたような気がする。とはいえ、哲学者でもないし、倫理や宗教学者でもないし、心理学や認知科学者でもない。シロートに過ぎないから「メモ書き」を冠し、正確を欠いたりや認識誤りに陥るかもしれないと断った上で、複雑だし備忘のために──と弁解をいっぱいしながらも、私なりに「いのち」について辿りついた知見を記そう。

2020.12.31記す

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