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小谷敏編『子ども論を読む』(世界思想社 2003年)
関 曠野:分担執筆p234~253「教育・市場・平和」
p244
//エリートでも庶民でもない裸の人間──それは個人としての人間だった。プロテスタントとカトリック教会の争いは抽象的な神学的教義をめぐる論争の見かけをとっていたが、宗教改革が真に意味していたのは個としての人間の発見という世界史的な出来事にほかならなかった。これは以前の中世ヨーロッパは、個人が集団に帰属し伝統主義的な共同体に埋没していた〔※1〕点では、他の文明と大して変わらなかった。//
※1……集団に帰属/伝統主義的な共同体に埋没……このことは、氏子が神社(日本)に帰属し伝統的な年中行事を”まちづくり”として共同体(地縁団体)に参加を促す(埋没)ことと似ている。

p244
//ではなぜ16世紀のヨーロッパにおいて個人が出現したのだろうか。//……//決定的なのは宗教改革が宗教戦争に発展したことだと思われる。共同体を神話と儀式によって統合すべき宗教が反対に分裂と抗争の原因に転化したことによって、ヨーロッパは共同体の神話的紐帯を徹底的に剥奪された社会になってしまい、人間は裸の個人として神なき世界に放りだされたのである。ルターやカルヴァンが無力な個人の神への絶対的な依存や隷属を説いていることを見ても、この個人の発見は決して解放の福音ではなかった。だがこれ以後、近代世界は個としての人間という問題を中心に動くことになる。//

p244
//ヨーロッパの一角における個人の出現は、不可逆的で世界史的な普遍性をもつ出来事だった。ゆえに個人という問題はやがてヨーロッパの境界を越えて全世界に波及し、到るところで古い伝統と相克しながら希望と覚醒、混乱と変動の源泉になった。//

p244
//教育の歴史においても、この個人の出現という出来事ほど重要なことはない。というのも近代における教育とは、この個人としての人間がもたらした危機と可能性に対する社会の応答と考えられるからである。それがどんな問題をもたらすにせよ個人の出現は不可逆的で普遍的な衝撃力をもつ歴史の動きであるという認識が近代教育の原点であると言わねばならない。何よりも近代の教育を特徴づける子どもと幼年期の発見は、個人の出現の必然的な帰結だった。//

p244
//かつて個人は、身分的類型を例示し神話的祖型を反復している顔のない空虚な存在だった。何らかの類型や祖型のコピーとしてのみ個人の存在には意味があった。しかし個人は独自な存在という意識が深まるにつれて子どもは親や先祖のコピーとはみなされなくなった。それだけではない。個人の解放とは何を意味するのかを最も明確に示しているのは、新たに発見された子どもという存在だった。子どもの成長過程は、個人とは自明な与件ではなく不断の学習によって「個人になる」存在であることを立証する端的な例だった。この点で典型的なのは近代的な教育論の創始者の一人でもあるロックで、彼は一切の観念は経験によって形成され白紙状態(タブラ・ラサ)である人間の心に刻みこまれたものだという議論の例証として子どもの成長過程を引き合いに出している。//
p245
//このロックの教育論の特徴は大人と子どもの明確な区別だが、大人の理性と子どもの非理性を対立させることはひーその眼目ではなかった。彼の意図は学習する存在としての個人を原理とする新しい政治哲学の定式化にあり、大人と子どもの区別は市民を子ども扱いする家父長主義的な王政復古政府に対する攻撃に行きつくものだった。大人=市民であることは、社会の最も重要な学習過程である政治に参加する権利を意味する。//
p245
//王の政府が秩序と伝統の維持に固執するのに対して、選挙と議会の討論による市民政府の統治は絶えざる状況変化に対応する社会の集団的学習過程としての政治を表現する。そしてこのように個人が政治の根本原理となるためには、すべての個人の平等と尊厳が公的に承認されねばならないだろう。というのも個の論理が貫徹するためには、神でも王でもなく他の個人が個人の自由と権利を承認するのでなければならず、すべての個人の平等がそうした同意と承認の条件になるからである。従って平等はすぐれて個人主義的な原理であると言うことができる。//
p245
//ロック自身は自由から平等が帰結することを認めながらも無教養な庶民を蔑視していた。しかしプロテスタントの宗教教育からスイスのクラソディにおけるペスタロッチの学校まで、近代の教育は常に貧民教育に際立って関心を寄せてきたのも事実である。貧困をハンディキャップとみなすことは、近代教育の主要な遺産の一つと言っていい。そしてここでも問題にされたのは、貧困が将来市民として社会に参加する能力を身につける機会を個人から奪い、政治的にのけ者にされた人間を生みだす恐れだった。貧民教育においても教育の課題はやはり個人の解放だったのであり、教育による所得の平準化といったことが考えられていたのではない。//

2026.4.22記す

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