小谷敏『子どもたちは変わったか』(世界思想社 2008年)
p2
//子どもは自明の存在などではなく、近代のまなざしが見出したものだ。それ以前の時代に存在したのは「小さな大人」である。自分の身の回りの世話ができるようになると、当時の人々は大人と同じ衣服を身にまとい、大人に立ち交じって働き、遊んでいたのです。中世に「子ども期」と呼べるものは存在しなかったし、子どもたちは大人の特別な情緒をかきたてる存在ではありませんでした。親たちは、たとえわが子を失った時にさえ、悲嘆にくれることはありませんでした。当時の子どもたちが、あまりにもあっけなくこの世を去っていたこともその一因です。〔アリエス①〕それでは乳幼児死亡率の減少が、子どもについての新たなまなざしと心性とを生み出していったのでしょうか。//
p2
//アリエスは、子どもについての新たな意識の覚醒が、ジェンナーの種痘の発見に1世紀先んじていることを強調しています。〔アリエス②〕種痘の発見によってもたらされた人工革命という下部構造の変動から、子ども期への新たな意識が芽生えたのではありませんでした。「子どもの発見」という心性の変化が、かえって人工革命を導き出したのです。
転機は17世紀に訪れます。この時代に「激高」と「かわいがり」という、子どもに対する二つの相反する態度が生まれました。大人たちは、子どもたちの容姿や行動のあどけなさ、かわいらしさを愛でつつ、他方で、子どもの粗野で無秩序なふるまいに憤慨していたのです。この時代に、大人とは区別されたものとしての子どもが、人々のまなざしのなかに浮上してきました。そして、子どもたちを大人の世界から隔離して、保護と教育の対象とする心性が浮上したのもこの頃のことだったのです。子どもの無垢は、社会の汚れから遠ざけられて、守り育てられなければならない。他方、粗野で無秩序な性向は、規律と訓練によって修正されなければならないと人々は考えるようになっていたのです。〔アリエス③〕//
p3
//アリエスは、17世紀における「子どもの誕生」を、ヨーロッパ社会においてキリスト教的習俗が一般庶民のなかにも浸透していったことと結びつけて論じています。キリスト教的習俗の浸透が、家族と子どもの価値を高めていったのです。家族は、主イエスが生を受けた聖家族のレプリカであると考えられるようになっていました。婚姻を聖なるものと教会が認証する結婚式の風習もこの時代に始まっています。夫婦が特別な存在となれば、その間に生まれる子どもたちもまた、特別な愛着の対象となります。イエスは子どもの形をして生まれてきました。このことから、子どもは無垢なる存在であるという観念が生まれていったのです。〔アリエス④〕//
p3
//中世を特徴づけたものは、人々の混交です。当時の人々は、身分の貴賤や経済上の貧富、さらには老若や性別の隔てすらなく、街路や貴族の居住する「大きな家」を舞台としながら、旺盛な社交生活を繰り広げていました。人々は、街路の社交から撤退して、閉ざされた家族の枠に引きこもってしまいます。子どもたちもまた、大人の世界から切り離されて、家族と学校のなかにいわば幽閉されていったのです。大人たちに立ち交じって活動する自由な主体ではなく、監視と教育を受ける客体の地位に貶められてしまったといえるでしょう。
近代を閉じ込めと監視と訓練の時代としてとらえ、その抑圧的な性格を告発する。この点においてアリエスとイリッチ、フーコーは一致しています。そしてアリエスは過去を讃美し、過去を準拠枠としながら現代の産業社会を批判しているのです。彼がとりわけ賛美したのが、アンシャン・レジームのフランスでした。アリエスはこの時代にみられた旺盛な社交生活への郷愁を隠そうとはしません。18世紀以降、勝利を収めたのは個人ではなく、むしろ家族だった。閉じた近代家族は、子どもを育て上げるための一つのプロジェクトに堕してしまった。両親の人生は、このプロジェクトに完全に従属してしまっている。「夫婦のエネルギーの全体が、自発的に少なくしか作らない子孫の出世に向けられるこの近代的生活のなかにあって、いったいどこに個人主義がみえるだろうか。個人主義はむしろ、アンシャン・レジーム期の多産な家系の快活な無関心の側にあるといえはしないだろうか」と。〔アリエス⑤〕カトリックという宗教的基盤。テクノロジーと官僚制の支配を嫌悪するアナーキーな性向。過去を賛美し、それを産業社会批判の準拠枠としていること。これらの諸点において、アリエスとイリッチは酷似しています。//
※①参照 p39
※②アリエス p44
※③『〈子供〉の誕生』p126
※④みすず書房 p341
※⑤1980年 p381
p5
//近代的な家族感情と子ども期の誕生を17世紀に認めたアリエスの説を、E・ショーターは、「おそらく彼の説は正しい」とした上で、一般庶民は「……少なくとも18世紀の末まで、幼児に対する昔ながらの考え方を変えなかったし、階級や地域によってはもっとのちまでそれは変わらなかったはずである」と述べています。エンゲルスがイギリスの少年労働者の置かれた過酷な生活実態を告発したのは、19世紀のことでした。17世紀における近代的家族感情と子ども期の誕生とは、萌芽的なものにとどまっていました。温かい両親の愛情に育まれ、社会の荒波から保護されて育つことができたのは、貴族とブルジョアの子どもたちだけだったのです。//
※ラッセル・フリードマン『小さな労働者 Kids at Work』
──写真家ルイス・ハイン(1874-1940)の目がとらえた子どもたち
p5
//近代国家による公教育の導入と、工業化の圧力抜きには、子ども期が広く社会に浸透していくことなどありえなかったはずです。//
p6
//初等中等教育はフランス革命に起源をもっています。公教育が担う初等中等教育は、フランス革命の理想と深い関わりをもつものでした。貧富の差に関わりなく、平等に教育を施し、共和国の市民を生み出すことを目的として、近代的な公教育は出発したのです。公教育は、19世紀における国民国家の発展とともにヨーロッパ世界に普及していきました。すべての子どもに読み書き能力を身につけさせ、一定の規律に従って行動しうる「従順な身体」をもった主体を生み出すことは、強い軍事力と工業力とを必要としていた当時の諸国家にとって重要な意味をもっていたのです。そして学校は、母国語の学習を通して、子どもたちのなかに国民意識を植えつける上でも大きな役割を果たしていました。子どもたちを軍事強国化と工業化のための「人的資源」としてとらえるまなざしが、19世紀には生まれていたのです。人的資源を育成するために、公教育がいわば「上から」子ども期を社会のなかに浸透させていったのです。子どもたちは、義務として学校に通う数年間は、大人の世界から隔離されて育つのですから。//
p6
//工業化の進展が子どもの価値を高め、子どもを理想化する風潮を生み出していったと指摘するのは、P・カヴーニです。イギリス労働者階級の子どもたちが置かれた過酷な状況に対して怒りをあらわにしたのは、エンゲルスのような社会主義者たちばかりではありませんでした。子どもの無垢と過酷な社会環境とのコントラストを強調することは、1830年代以降のイギリス文学の流れとなっており、それを代表する作家としてカヴーニは、C・ディケンズの名前をあげています。無機的な工業社会を呪詛し、無垢なる子どもたちの生命力を称揚することは19世紀のロマン主義者たちの愛好した主題でもあったのです。ロマン主義者たちによって発見された工業化の対抗価値としての子どもの無垢という観念は、アリエスの強調したキリスト教の伝統に深く根ざすものであったといえるでしょう。アリエスの言説には多々疑問な点もあります。しかし、ヨーロッパにおける子どもの発見とキリスト教的伝統が、不可分の関係にあることには疑いをみないのです。//
p9
//子どもたちが「楽園」の住人としていられたのも七歳までだったとみるべきでしょう。アリエスは、17世紀の「子どもの発見」以降、教育の中心が「見習い修業」から、スクーリングに移行していったと述べています。そうした観点から江戸期をみると、寺子屋のようなスクーリングと、「見習い修業」とが混在していて、やはり「見習い修業」が大きな比重を占める時代であったといえます。町人の子どもたちは一定の年齢になると徒弟奉公に出されました。「他人の釜の飯」を食うことで一人前になっていったのです。七歳になった農民の子どもは、親たちから非常に厳しい家事や家業の訓練を受けました。江戸期の庶民の子どもたちは、七歳を過ぎると「小さな大人」として扱われていたのです。//
p22
//大正時代に生じた新しい子ども観は、「神なき国の子どもの誕生」と称すべきものだったのです。//
p38
//大正時代に大人の世界から隔絶されて成長していく、アリエス的な意味での子ども期を享受しえたのは、都市中間層を中心とする恵まれた階層の子どもたちに限られていました。豊かさがこの国のなかに偏く〔あまねく〕いきわたっていった高度経済成長期に、子ども期は大衆化していったのです。その意味で、1950年代中葉に生まれた私が所属する世代は、「専業子ども第一世代」ということができるでしょう。//
p38
//この時代には子どもの価値が高まっていきました。高度経済成長の過程で、地方から大都市圏に流入していった人々は、近郊の住宅地に核家族を形成していきます。新しい核家族はイエ制度のもとでの家族とは異なり、家産と家名の継承という集合的な目標をもちませんでした。集合的な目標を欠いていた核家族は、アリエスが指摘していたように、子どもを育て上げる一つのプロジェクトチームと化していったのです。ロマンチックな陶酔の果てに結ばれた若い二人が、「愛の結晶」として生まれた新しい生命を育て上げるために全力を尽くす。「世界は二人のために」と「こんにちは赤ちゃん」。高度経済成長期の二つの大ヒットソングは、この時代の家族の理想が何であったのかを端的に物語っています。家族の幸福は、公的なものとは切り離された、徹底的にプライベートなものとしてイメージされていたのです。//
p43
//高度経済成長期に出現した「専業子ども」は、両義的な存在であったといえます。一方で「専業子ども」はその名のごとく親に庇護され、教育を受けるだけの「純粋な子ども」でした。しかし彼らはすでにみたとおり、消費者として自立していたのです。宗教的な規制の働きにくいこの国のなかでは、子どもを市場化することに大人たちが躊躇を感じることが少なく、マンガやお菓子の巨大な子ども向け市場がこの時代に生まれていきました。「専業子ども」は、「純粋な子ども」であると同時に、幾重にも「小さな大人」としての側面を備えていました。
ポストマンは、テレビをはじめとするエレクトリック・メディアの出現が、子ども期を消失させるといいます。本を読むのと違って、テレビをみるためには何の素養も必要とされない。テレビの前に座る時、大人も子どもも対等である。そしてテレビは、性や暴力や金銭等々、これまでは包み隠されていた大人の世界の醜悪な現実を、子どもの前にすべてさらけ出してしまう。テレビの発達は子ども期を消失させ、彼らをヨーロッパ中世と同じ「小さな大人」に変えてしまった。テレビは、文明の全体をヨーロッパ中世と同じ文字の読めない人たちが織り成す社会へと押し戻す力をもつ、とポストマンはいいます。//
p44
//ポストマンは、明らかにマクルーハンの影響を受けています。マクルーハンは、活字メディアの出現によって論理性を獲得した人間が、テレビの出現によって感覚優位の部族の時代に逆もどりしていったというユニークな歴史認識を語っています。マクルーハン的なメディア決定論に与するか否かはさておくとして60年代に入って急速に普及していったテレビが、子どもたちの世界に大きな変化を及ぼしたことは疑いようのない事実する。ポストマンのいうように、テレビの前では大人も子どもも対等です。大人が見聞きするのと同じ内容のものを、子どもたちも享受するようになるのですから、情報受容という面でも「専業子ども」は「小さな大人」だったのです。テレビの浸透は、子どもに対する情報のコントロールという意味での親のしつけを不可能にするものでした。そしてテレビの番組やコマーシャルをみることで、子どもたちは市場と消費と都市の方へと導かれていったのです。//
p45
//高度経済成長期には、「現代っ子」ということばが流行りました。クールで計算高く、大人びた物言いをする子どものイメージです。頭の回転が速く、打算的で物事に飽きやすい……。これはジンメルが「大都市と精神生活」のなかで指摘した都会人の性質そのものです。「現代っ子」とは、すなわち小さな都会人のことだったのです。都市化が急速に進んだ結果、子どものイメージが、それまでの農村の子どもから都会の子どもに移行していきました。そして、テレビを通しての情報の過剰摂取は、都市ではない地域の子どもたちにも都会人的な傾向を身につけさせていったのではなかったのでしょうか。//
p46
//巨大な国土をもつアメリカを模倣して、狭い日本をクルマが覆い尽くすモータリゼーションを実現することもまた不可能事であったに違いありません。巨大開発やモータリゼーションによって、日本の都市の景観や個性は無残に破壊されていきました。高度成長期以降の日本のトシには、市民の自治が根づくどころではありませんでした。共同体的な規制の働かない都市のなかで、資本は恣意のままにふるまうことができたのです。
高度経済成長期の半ば頃までは、街のあちらこちらに「ドラえもん」に出てくるような原っぱや空き地がありました。原っぱは、所有者がはっきりしない「無主の空間」です。網野善彦さんは、入会地や海岸のような無主の空間が日本の歴史のなかで果たしてきた役割を重視し、無主の空間を舞台に、たとえば市のような権力によって規制されることのない「公」的空間が生まれたと述べています〔網野善彦1996『無縁・公界・楽』平凡社〕。原っぱという無主の空間に、教師や親の目は届きません。そこは子どもだけの自治的空間、いわば子どもの「公」の世界です。しかし、高度経済成長期の開発熱によって原っぱは失われていきました。子どもの自治的空間が消えていったのです。//
p48
//当時の日本を覆っていた経済効率至上主義の影響を無視することはできないでしょう。当時の日本は開発熱に沸いていました。開発熱は、経済活動のために利用されることなく、「遊んでいる」ものの存在を許しがたいと思う心性を人々にもたらしていったのです。こうして都市の「遊んでいる」土地にはビルが建ちました。日本中の「遊んでいる」砂浜が埋め立てられてそこに工場が建ち、あるいはコンクリートの護岸で埋め尽くされていったのです。専業子どもは何の仕事もなく「遊んでいる」。開発熱にうかされていた大人たちは、それをも許しがたく思ったのではないでしょうか。そこに子どもの「能力開発」を唱える教育産業がつけ込んでいったのです。//
p49
//教育を経済発展という国家目標に従属させたという点で、高度経済成長期の日本の教育の志向性は、国家主義的であったといえるでしょう。//
p49
//学校という舞台の上で保守派は、戦前に回帰せんとする意思を隠そうともしませんでした。//
p50
//教師労働者論に立つ日教組のなかでは、教師を専門職として位置づけ、授業における教師の自己決定権の確立を強く求めていくという方向が運動の主流になることはありませんでした。//
p50
//伝習館高校裁判は、指導要領の法的拘束を認めています。//
p50
//社会が豊かになれば、擬似宗教としてのマルクス主義はリアリティを失っていきます。//
p51
//高度経済成長期の終焉後、日教組はその組織率と影響力とを徐々に減退させていきます。分裂直後の1990年には46.7パーセントと、組織率が過半数を割ってしまいました。//
p54
//企業がこの国のなかであたかも専制君主であるかのようにふるまうようになっていた高度経済成長期においては、家庭もまた業績原理の支配する会社とよく似たものになっていました。//
p54
//「専業子ども」は、大きな脆弱性を抱える存在です。昔の子どもたちは、家業や家事のなかで役割を担っていました。「子どもの出番」があったのです。たとえ勉強ができない子どもであっても、家事や家業の手伝いをしっかりとこなしていれば、親からも認められたでしょうし、自己肯定感をもつこともできたでしょう。そして世の中をちゃんとわたっていけるという自信ももてたはずです。ところが「専業子ども」の場合には、勉強ができなければ、自己肯定感をもつことが非常に困難になります。そして勉強ができるかできないかにかかわらず、社会の営みから隔離されて育っていく「専業子ども」たちが、世の中をちゃんとわたっていけるという自信を得ることには大きな困難が伴います。「専業子ども第一世代」ともいうべき私の世代が青年期に至って、大人になることを忌避する「モラトリアム人間」〔p82//大人になることを拒否して、大人とも子どもともつかぬ中途半端な依存状態にとどまり続けようとする若者//〕と呼ばれたのも故なきことではありません。//
p63
//ではなぜ日本の大人はマンガを読むのか。中野晴行さんは、日本では子どもが自分の小遣いでマンガを買っていることが一因しているのではないかという興味深い仮説をたてています。//
p78
//60年代末にマンガは、子どもというよりも若者文化の一部と化した観がありました。//
p80
//「少年ジャンプの時代」は、日本のポスト高度経済成長期と重なります。そしてこの時代の子どもの世界は、斉藤〔次郎〕さん自身認めるように、商品を媒介としてしか遊びが成り立たなくなるほどにやせ衰えてしまっていたのです。//
ここまで(p80)読んで、この本に”期待”していたことと目論見がものの見事に外れた。わたしがまったくといってよい知らなかった若者論があった。社会学的その手法に瞠目され続けた。何かをピックアップして、のちの学びに記録しておこうという余裕がなかった。すべてのページで、わたしは学んだ。もっと早くに知っておきたかったが、今更だ。本書のタイトル『子どもたちは変わったか』に誘われた結果だった。
それでも、備忘のために、メモ書き程度には記しておこう。
p84
//いまにも壊れそうな自己をファンタジーによって支えているのがナルシシストなのです。//
p85
//幼いうちからコミュニティの一員としての役割を担う経験は子どもたちの全能感を打ち砕くと同時に、自分は他者たちから必要とされている存在だという自信を子どもたちに与えます。それはナルシシズムに対する何よりの解毒剤になるに違いありません。//
p86
//ラッシュが指摘するナルシシストを生み出す条件と、「専業子ども」の生育環境とは、見事に一致しています。これは日本だけの特殊事情ではありませんでした。若者の反乱の担い手となった、豊かで寛容な中産階級の家庭で育った先進諸国の若者たちすべてに共通するものだったのです。若者の反乱を通過した後の世界が、「ナルシシズムの時代」と成り果てた所以です。//
p104
//ITの世界には、「ドッグイヤー」ということばがあります。この世界では、1年で通常の7年分の進歩が生じるのだそうです。//
p104
//資本が価値を置くのは子どもの高い知的な可塑性や自由な発想力だけで、曇りない目で物事の本質を鋭く見抜く(「王様は裸だ!」)、子どもたちの純粋で深い洞察力や道徳的資質を守り成長させることなどには何の関心ももちません。//
p117
//都市の核家族はその〔高度経済成長に伴う〕出発点において、「家族の文化」をもたなかったのです。//
p117
//〔家族成員相互の〕情愛は容易に嫉妬や憎悪に転化しうるものでしょう。「骨肉」の争いが生じ、家庭が修羅場と化すのはそのためです。//
p119
//高度経済成長期の始まりから、わずか20年ほどの間に日本の子どもを取り巻く環境は大きく変わってしまいました。自然豊かな農村から人工物に囲まれた都市に生活の拠点が移動した。食生活の変化も大きい。子どもたちが自由に遊びまわることのできる空間も激減しています。喘息や肥満等々の新しい子どもの病気は、急激な社会の変動がもたらした弊害が、子どもの身体を蝕んだ結果生じてきたものです。//
p123
//都市化によって子どもたちの遊び場が消えただけではなく、遊ぶための時間や仲間までもが消えてしまったのです。//
p124
//こうしておとなが子どもの遊びを完全に包囲し、管理し、子どもはただ遊びを消費するだけ、という時代に進んでいく//
p125
//学校の外の世界を支配しているのは「快楽の原理」です。しかし、「快楽の原理」に身を委ねていたのでは、勉強などできはしません。いま現在の楽しみを得ることを断念し、苦しい努力を重ねることで、将来により大きな報酬を得ようとする。学校はそんな「禁欲の原理」に支配された空間です。//
p128
//大学生の子どものいる家庭において、東大生の親の平均年収が日本で一番高いということは広く知られています。受験競争に階層上昇の機能が期待できなくなったのだから、ポスト高度経済成長期の進学熱は、論理的には冷え込むはずでした。
ところが「受験戦争」は、この時代さらに過熱していったのです。//
p137
//そうすると子どもたちのストレスのはけ口は、弱者に向かうようになります。過去に比べて「激増」したのか否かは分かりませんが、80年代半ばの日本の学校に、いじめが生じやすい条件がそろっていたことに疑いありません。//
p141
//いじめは、特定の個人を迫害しその苦しむさまを眺め、そこに嗜虐的快感を覚える行為と定義できるのではないでしょうか。快楽を得ることじたいが目的化しているという意味で、いじめは本質的に遊びなのです。高度経済成長期以降、子どもたちの遊びがやせ細っていたことはこれまでの章で繰り返しみてきたとおりです。80年代には、封印されていた子どもたちのエネルギーが、いじめという禁断の遊びに向かっていたのではないでしょうか。//
p142
//「おもしろければそれでいい」。それが80年代日本の時代精神でした。//……//笑いは80年代文化のなかで常に中心を占めていたのです。//
p172
//教育行政は財政削減の時代にもかかわらず、教室へのコンピュータの導入を積極的に行っていたのです。//
p175
//いまの日本の中流家庭のなかでは、ペットが家族化しているともいえます。また子どもがペット化しているともいえるでしょう。//
p178
//ポストマンもいうように、テレビの前では子どもも大人も対等の存在でした。そして、コンピュータや携帯電話のような電子メディアの場合、子どものメディアリテラシーが大人のそれを陵駕することは稀ではないからです。//
p195
//自分を不快にさせる真実より、自分にとって心地よい虚偽を受け容れる。こうした態度もまた、ナルシシズム文化の帰結です。送り手と受け手との共犯関係のなかで、少年犯罪をめぐる神話は増殖していったのです。//
p195
//「劇場型犯罪」の出現と、「報道のエンターテインメント化」の進化とは、ニワトリと卵のような関係にあります。//
p196
//新しいミレニアムを迎えた日本は、「妄想の共同体」に堕していました。//
p207
//作家のノーマン・メイラーは、「米国はゆっくりとだが、危険な状況に向かって進んでいるのだろう」と述べています。メイラーはいいます。「私は民主主義とは大きな賭けであり、非常に珍しい政治体制だと考えている。人間は子どもの時から命令されるのに慣れている。ファシズムの環境の方がむしろ自然なのだ//
p208
//人々に自発的な服従を強制するところに全体主義の特徴があります。//
p213
//全体主義的権力はデマとテロルによって成り立っています。そのデマがばれないように、権力の側は人々の意識の領域をせばめておく必要があります。人々の意識を狭く閉ざされた画一的なものにしなければ、全体主義的支配は成り立たないのです。//
p215
//人々は自分の実体験よりも、メディアがもたらす間接情報を信用してしまっています。//
p216
//「システム」の側に立つ人たちが若者を恣意的にカテゴリー化して、そこに様々な負の属性を付与してメディアを通してまきちらした虚像を人々が鵜呑みにした結果「ユースフォビア」が生じました。一個の人間としてみた時に、若者たちは実に多様な姿をみせてくれます。もちろん優秀な若者もいれば、だめな若者もいます。しかしそれは大人でも同じことです。生身の若者と接した時に、まさか眼前の存在を「モンスター」だの「寄生虫」だのと思う者はいないでしょう。メディアが伝える情報よりも自分の実感を人々が信じるようになること。それが「ユースフォビア」から、そしてこの国を覆いはじめている全体主義的支配から、脱却する最初の一歩になるのだと思います。//
p222
//やはり2005年には、愛知県で愛・地球博が開かれています。東京都は2016年のオリンピック招致に名乗りをあげています。万国博はいささか時代錯誤的なイベントですし、いまさら東京でオリンピックを開く意味がどこにあるのでしょうか。東京五輪と大阪万博が象徴する高度経済成長期の記憶にしがみつく者たちの発想という他はありません。過去を懐かしみそこにしがみつくのは、老人の特性です。日本は「老いたるネオテニーの国」になってしまったのでしょうか。新しいものを生み出す力を失ってしまったのでしょうか。//
p237
//新しいミレニアムを迎えたこの国の大人たちは、いよいよ「機械の理想」への執着を強めていきました。2005年にはJR福知山線で大勢の人が亡くなる大事故が起こっています。運行ダイヤからのわずかな遅れでも、運転士が処罰の対象とされる過酷な管理体制が、事故の原因として語られていました。大学センター入試ではリスニングが導入されましたが、毎年のように試験用に配られるレコーダーの故障が話題になっています。07年にトラブルが生じたのは50万台中わずか300台(いずれも概数)。不具合な装置がわずか0.06パーセントというのは驚異的な好成績です。ところが大学入試センターやマスメディアは、それすら「あってはならないこと」と考えている。入試実施を請け負う大学は、大変な負担を強いられ、混乱にさらされることになりました。強迫的な精度を追い求めることによって現場を追いつめている点では、鉄道ダイヤの問題と共通しています。//
p251
//若き無着先生がその教育実践のなかで目指したのは、子どもたちに狭義の「学力」を身につけさせることではなく、むしろ「市民的リテラシー」とでもいうべきものを涵養していくことであったのだといえます。//
p257
//すべての学力の基底にあるものは、理数的能力というよりはむしろ、日本語の運用能力=国語力でしょう。国語力の低落は、子どもたちの知力だけではなく、感情の発達にも好ましくない影響を与えています。そのことは、前述の経験豊富な教師が指摘してみせたとおりです。//
p259
//家庭や地域のなかでの役割と、自然に働きかける遊びの機会とを奪われたことと、子どもたちの理数科目への関心の減退とが、無関係だとは思えません。//
2026.5.5記す
