佐々木毅ほか編著『戦後史大事典』三省堂 1991年
p276 見出し「高度経済成長」※全文
戦後改革とならんで、おそらく日本の戦後史を決定づけた最大のイベントとよぶことのできる出来事。「経済成長」はマクロ経済学の術後で、実質GNP(国民総生産)ないしGDP(国内総生産)が前年に比して大きくなることをさし、また「高度」というのはその対前年比が10%前後あるいはそれ以上にもおよぶ拡大を、しかも長期にわたって持続したことをさす。しかし、高度経済成長はたんに経済上の出来事たるにとどまらず、それの前と後とで日本の政治も社会も文化もすっかり変わってしまうほどの大きな影響力をもったということこそが重要なのである。
始期と終期
高度経済成長の開始期をいつとするかについては、とくに定説といったものはないと思われるが、『経済白書』の「もはや戦後ではない」という有名な句が言及の対象にしたのが1955年(昭和30)であった(この句を述べた『白書』が出版されたのは56年)ことにちなんで、55年を高度経済成長の開始期と考えておくことは意味のあることであろう。というのは、『白書』の記述の句は、55年の一人当たり実質国民所得が、戦前においてそれがもっとも高かった34~36年の水準をこえたので、戦争による破壊からの回復が経済の中心課題であった時期は55年をもって終わった、ということを宣言したものであったからである。ただし、『白書』のこの句は、国民の意識のうえで55年は「戦後」の終わりとはいえなかったという意味では、歴史感覚としてはあたっていなかった。
これに対して高度経済成長の終期は、73年の石油ショックとともにやってきたとすることに、すべての人の意見が一致するであろう。もっとも、たしかに60年代のような対前年比で10%前後あるいはそれ以上といった高い成長率は石油ショックとともに終わりを告げたとはいえ、その後の70年代、80年代にも、年率4~5%という中程度の成長率はつづいたのである。その結果、日本の一人当たりGDPは、明治以来の国民的目標であった西洋先進諸国に追いつくという課題をはたし、日本は晴れて先進国グループの一員とみなされるにいたった。
経済面での影響
高度経済成長が与えた影響はきわめて広範囲にわたるが、その主要なものをあげてみよう。経済面に関しては第一に、もっとも基本的な事実として、日本人がはじめて大衆的規模において貧困から脱出しえたことをあげねばならない。戦前水準では、貧富の格差が大きすぎたから、大衆的規模での国民生活の上昇は不可能であった。この問題については、高度経済成長に先行して、戦後改革とりわけ農地改革と財閥解体がおこなわれていたことが、決定的に重要である。
第二に、日本の国際的な地位がいちじるしく向上した事実があげられる。敗戦直後には、日本はいっさいの国際的地位を喪失していたが、サンフランシスコ講和条約成立後は徐々に国際社会復帰をはたし、とりわけ60年代の高度経済成長を背景に、IMF8条国移行とOECD加盟が64年に実現をみた。
第三に、日本の歴史上はじめて自由競争経済が実現された事実が重要である。戦後の日本は財閥資本主義であり、戦時中は統制経済であった。これに対して戦後は、まず財閥解体によって独占が除去されたのちに、高度経済成長の到来によって膨大な経済的機会の増大が生じたために、中小企業に市場参入、さらには大企業への成長のチャンスがひらけ、かくて本格的な自由競争経済の時代が訪れることになったのである。
社会面その他の影響
社会構造の面での影響としては、高度経済成長期の結果として農民が急激に減り、村落共同体が解体し、都市の新中間層がふえて、日本全体が平準化した大衆社会、近年のことばでいえば「新中間大衆」の社会になったということが重要である。またそれが国民の政治意識に反映して、支持政党にし層の急速な拡大がおこり、その反面で古典的な意味での「労働者意識」がしだいに過去のものとなった。製造業の労働者に主たる基盤をおいてきた労働組合は、全被雇用者中における組織率を低下させ、社会党は組織票を減らして長期停滞におちいった。
他方、高度経済成長のマイナスの影響としては、公害問題と都市問題が最大のものであろう。公害は、政府・自治体および企業の努力によって、大気汚染や水質汚濁などの面において70年代以降かなりの改善があったが、高度産業文明が地球規模での自然破壊を推進しつつあるという根本問題はまったく未解決である。都市問題は、大都市における住宅供給(マンションなど)の面では改善があったとはいえ、宅地の途方もない地価上昇にはなんの有効な政策立案もなされていない。
〔この項、富永健一の担当執筆〕
三省堂編『新明解百科語辞典』三省堂 1991年
見出し「高度成長」
著しい経済活動の拡大。1950年代半ばから73年(第一次石油ショックの年)の間の、経済成長率が年平均10%を超えていた日本経済を指す。
小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』新曜社 2002年
p551
//高度経済成長の進展は、急速だった。1955年から60年の実質平均成長率は8.7パーセントだったが、1960年から65年は9.7パーセント、1965年から70年は11.6パーセントにまで伸張した。この状態は、石油ショックがおきた1973年まで継続する。//
2026.4.29記す
