||||| 本屋だった |||

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 昨年2025年10月末をもって、ヒントブックスは廃業した。元気なうちに整理しておこうと思ったからだ。
 1984年、当時、神戸駅近く三越デパートがあったその近くに東販(東京出版販売の略称。その後、「トーハン」というカタカナ表記になった)神戸支店があった。「神戸支店とだけ」で現金で本を仕入れる本屋を始めたのがきっかけだ。店の事務員(販売員)は、代金精算を電卓で計算していた。それは、神業の速さだった。43年前は、まだそういう時代だった。
 1984年暮れ、『平凡社大百科事典』が刊行され、1か月で10セットを売った。内容見本という販売ツールが手許になかったので平凡社に問い合わせたところ、九州から東京への帰路、営業社員Tさんが途中下車して、私宅に立ち寄ってくれた。「どうやって売っているんですか?」が最初の言葉だった。
 業界のことをまったく知らずにいた頃だったので、百科事典をひと月で10セットも売り上げることは大変なことだったらしい。その後も売り続け、30セットあたりになった頃、神戸支点総務担当が、「現金は大変でしょう。正式書店にしませんか?」というような意味のことを言ってきて、取引契約を結ぶまでになった。その書店を、このたび閉店したということである。

帳合印(書店印)

 書店開業は公的な許認可事業ではない。5桁の書店コードがあれば、全国数千ある出版社から電話一本で本を取り寄せできる。その書店コードを取得するには、当時で言えば、東販や日販という寡占体制にあった大手取次と取引することを意味していた。本屋の名前を「ヒントブックス」とした。百科事典がヒントブックスを生んだ。
 インターネット以前の話だ。東芝のワードプロセッサが60万円もした。家庭用ファクシミリは20万円もした。出版社が集中する東京への通信代は一枚のファックスを送るのに60円ほど要った。
 当時は、本の注文を受けても、本の実物が届くまで、2週間を要した。注文伝票は、書店→(A 取次)→出版社→(B 取次)→書店 と回されるのだが、(A)を省略したところ、平均5日まで縮小できた。「注文は取次を通してください」と大手出版社に苦情を言われたが、やがて、出版社が直接受注することを販売のツールとしてきた。流通革命が起きつつあった。

 1995年、阪神淡路大震災。販路であった神戸の大打撃で、ヒントブックスは廃業寸前に追い込まれた。1997年9月26日、ヒントブックスが朝日新聞大阪本社版で記事になり、これが好評だということで、10月1日、東京本社版に載った。記事の影響で、報道ステーション(久米明)に取り上げられた。
 45リットルのごみ袋にいっぱいの郵便を受け取った。FAXからロール感熱紙が1メートルほど出てきた。1行に1冊、びっしり書名が手書きされていた。「次の本を船便、自宅郵送でお願いします」。注文主はオランダから。
 北海道から沖縄まで、そして、海外からも。ヒントブックスは蘇った。よくも続けてきてこられたものだと思う。

報道された記録

2026.4.15記す

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