小学3,4年生を過渡期とし、5年生からを「おとな」として考えてみた。ところが、小谷敏『子どもたちは変わったか』(世界思想社2008年)を読むと、若者たちが変貌したとして、おとなになりたくない若者を克明に著している。アリエスが「小さなおとな」と形容し、子どもを発見した経緯があることに対して、小谷は「大きな子ども」と形容し、おとなになれないネオテニーの到来を社会学的に考察している。
ということは、《いつから「おとな」で、遊びを考える。》の前提条件が根こそぎ崩壊することになる。
3つの要素(友達・場所・時間)が崩壊している。ルールから解放されない。つまずきを乗り越えられない。自尊心がもてない。
おそらく小学2年生までは、つまり乳幼児は生理的進化にしたがって成長するが、遊ばない/遊べないということになると、社会的生存の基盤が崩壊することになる。人間社会(種としての人類)がゆらぐ。さまざまな社会不安や想定外の事象が生じても、不思議はない。遠くない将来(千年単位)、人類の崩壊をもたらすことになっても不思議ではない。
「遊び」(乳幼児に始まる発達に即した遊び)が必須であり、遊びが成立する社会的環境的条件が必須ということだ。
2026.5.3記す
