||||| 野井戸に はまった思い出 |||

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 わたしは3歳の頃から母の母、つまりおばあさんに預けられて育ったらしい(と聞かされている) 姫路から西、網干(アボシ)という駅の西に操車場があり、その西端にあたる田園地帯の一角だった。記憶でしっかり呼び起こせるのは小学1年生の夏休みのことだ。小学校は神戸だったけれど、夏休みに入ると早々にアボシに預けられた。お盆に両親の顔を見られたのだが、わたしを連れて帰るということはなかった。柱の陰で涙を流したことを憶えている。
 小川でドジョウをバケツ一杯とっては夕方には小川に流す日々だった。金魚をすくう針金の輪っかにクモの巣をまきつけ、それでセミをとった。コブナやナマズもとったし、カブトムシの”巣”を知っていて、いくらでもとった。カブトムシの羽は黒光りしていた。畑でサトウキビを刈り取り、しがんで食べた。畑で温まっているトマトをもぎってそのまま食べた。畑にある草原(くさはら)でキリギリスをとった。コオロギを草の先にくくりつけ、キリギリスの顔先にぶらさげると食いつく。しっかり食いついたところで草をひく。これを「ギス釣り」と言っていた。いくらでも穫れた。親の顔とは関係なく、日長ずっと遊んでいた。
 その畑のすみっこに大きさは記憶があいまいになっているが、野井戸があった。日陰になっていて、水色は黒く、不気味な場所ではあった。危ない場所だとは、子ども心でもわかっていた。どうしたことだろう、ある日、そこに はまってしまった。
 必死になってもがいた。鮮明におぼえているつもりだが、記憶が正しいかどうかはわからない。真っ暗だった。突然、グーッと力が加わって引きあげられた。野井戸のあたりにいつも人がいるとは限らない。虫取りに夢中になっている我が身は、付近に人がいるかどうかを承知していない。暴れている時間は1分もなかっただろう、でないと助からない。野井戸は雨水などで、汚い水ではなかった。
 当時は、野井戸や野つぼに はまる事故が多かったようだ。その犠牲者に加わらず、今日まで生き延びている。こうした自然体験があるからこそ、今の自分があることにまちがいない。野本三吉『近代日本児童生活史序説』(社会評論社1995年)を読みながら、突然この記憶が蘇ってきた。

2026.6.1記す

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