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フィルターバブル & アテンション・エコノミー
そして、「回し車からの自由」

♠ p115

鳥海不二夫+山本龍彦『デジタル空間とどう向き合うか』♠
p114
//アテンション・エコノミー〔関心を競う経済〕の下では、AIを使ってユーザーの趣味・嗜好や政治的傾向等を予測したうえで、それらにマッチしない情報をフィルタリング(濾過)し、その人のアテンションを引く情報ばかりを集めた「泡(バブル)」をそのユーザーの周りに作る傾向があります。
 さらに、このバブルが、エコーチェンバー現象を連動して生じさせます。本人にとっては心地良い空間かもしれませんが、過去の自分の行動履歴から作られる閉鎖的な空間で、実際には「ハムスターの回し車」のようなものかもしれません。先を進んでいるというより、過去の自分の履歴が作り出した狭い世界をぐるぐると回るだけ。そのうえ、過去の属性を否応なく増幅させます。//

p114
//憲法学の言う思想の自由市場は、①相異なる複数の思想がぶつかり合うこと、②独立した個人がそのぶつかり合いを見て、思想間の優劣を主体的・自律的に判断することを前提とします。しかし、フィルターバブルやエコーチェンバー現象は、個人が多様な思想に触れ、自らの支持する思想を他の思想を踏まえて反省的に吟味する機会を悪い政治的アイデアが淘汰され、良い思想や良い政治的アイデアが勝ち残るという、思想の自由市場論の前提が崩れます。//

p168
//これは、セグメントに基づきフィルタリングされた情報提供を拒否することを個人に認めることで、「セグメントからの自由」、「回し車からの自由」を保障するものと考えることができるでしょう。
 「デジタル・ダイエット宣言」の中にも、「回し車からの自由」を保障し、個人の尊重原理の実現に資するものが含まれています。//

──蛇足ながら、「回し車からの自由」をキーにして、Google検索したとき(2026.6.18)の結果が以下──

AIによる概要
「回し車からの自由」というワードから広がる、ハムスターなどの小動物の生態から、比ゆ的な人間社会のテーマ(日常やストレスからの解放)まで、いくつかの視点に分けて情報を整理しました。

  1. 動物としての回し車からの自由(小動物の心理と本能)
    ・本能の満たし方: ハムスターは野生下で一晩に最大10キロ以上も走り回る習性があります。回し車は狭いケージでそのエネルギーを消費し、本能を満たすための安全なツールです。
    ・回し車卒業の是非: 回し車を取り外す場合は、代わりに広いケージ、回遊できる迷路、砂遊び場など、他の方法で本能を満たせる安全な環境(エンリッチメント)を用意してあげることが大切です。
  2. 人間社会における「回し車からの自由」(比ゆ的表現)
    毎日同じことの繰り返しや、ストレスの多い環境(いわゆるラットレース、ハムスターホイール)から抜け出すためのヒントです。
    ・物理的な距離を置く: デジタルデトックスや、自然豊かな場所(明石周辺なら明石公園や海岸など)での散歩を通じて、思考のループを一度リセットする。
    ・ルーティンの打破: 通勤・通学ルートを変えたり、新しい趣味を始めたりして「いつも通り」に小さな変化を起こす。
  3. おすすめの書籍・コンテンツ小動物がなぜ回し車で走るのか、その生態や心理について科学的にアプローチした書籍もあります。
    ・書籍:『ネズミはなぜ回し車で走るのか』(中島定彦 著)
    ──────────────────────────────
    生活環境やペットの飼育環境など、具体的な状況についてもっと知りたいことはありますか?以下の点などを教えていただければ、さらに詳しい情報や解決策をご提案できます。
    ・ペットのハムスターのことで悩んでいる(回し車をうるさがる、噛んでしまう、など)
    ・人間としての毎日の生活や仕事から一歩引いたリフレッシュ方法を知りたい
    ・DIYや工作などで、新しいおもちゃを作ってあげたい

※フィルターバブル & アテンション・エコノミーの意味合いは、検索ではヒットしていない。ハムスターから連想あるいは連係する範囲に限られている。



  • 用語
  • 山本龍彦(憲法学者)『アテンション・エコノミーのジレンマ』KADOKAWA 2024年
    • アテンション……関心
      • アテンション・エコノミー……関心経済(vs 貨幣経済 monetary economy)
        • //「アテンション・エコノミー」なるビジネスモデルの出現は、経営学者・認知心理学者でノーベル経済学賞を受けたハーバート・サイモンが1960年代後半に予言していたし、人間の有限なアテンションが貨幣の代替物になるとの見通しも、既に1997年に、この言葉の生みの親とされる社会学者のマイケル・ゴールドハーバーによって語られていた。//p5
        • //アテンション・エコノミーとは、我々の「関心(アテンション)」(具体的には、ページビューと呼ばれる閲覧数やインプレッションと呼ばれる表示数)や消費(滞在)時間が「交換財」として経済的に取引されるビジネスモデルを言います。//p20
        • //情報や思想の「自由競争」が重視され、「思想の自由市場」という考えが極端なかたちで信奉されると、「何でもあり」になっていくわけですね。だから、アテンション・エコノミーで言論空間が大きく変容しても、指をくわえて傍観するしかない。//p25
        • //アテンション・エコノミーの「自然状態」とは、要するに、我々の認知システムを刺激するフェイクニュースがファクトを凌駕する「状態」です。//p33(山本龍彦)
      • インプレッション……表示数
      • エンゲージメント……粘着性、依存性
      • ページビュー……閲覧数
      • ラビットホール……底なし沼
      • レコメンダー・システム……推薦システム
      • アゴラ……討議空間
      • DSA……Digital Services Act デジタルサービス法(EU)
        • ネットワーク執行法(ドイツ)
      • CTR……クリック率
      • DPF……デジタルプラットフォーム
      • 二重過程理論 //ジキルとハイド//p69
        • システム1……ハイド。動物的な。
        • システム2……ジキル。理性的な。
      • ナッジ……//大講義室で議論しましょうと言っても絶対できないが、少人数グループに分けてワークショップ形式にしてあげるだけで活発に議論ができるようになる、といった具合です。環境を少し変えるだけで人間はこれほど議論ができるようになるのか、ちょっとした工夫で人はこんなに変わるんだ、と発見があります。//p73
      • 環境形成権力……//環境を自由自在に操作できる者こそが最高の権力者といえます。それは誰かといえば、プラットフォームというわけですね。だから、この「環境形成権力」の透明性や公共性が徹底して求められる。//p74
  • プラットフォーム企業
    • YouTube、TikTok、X、Facebook、Yahoo!ニュース、……ほか
    • 今井照『自治体は何のためにあるのか』岩波新書 p144
      //ちなみにここで使われる「プラットフォーム」は、しばしばプレゼンなどで目にする流行りの言葉ですが、もともとは鉄道駅のプラットフォームのように、人々が行き来する「場」を指していました。しかしデジタル社会では、巨大IT企業を指すビッグテックのことを批判的にプラットフォーム企業と言います。つまり平等で双方向的な「場」ではなく、非対称的なブラックボックスのことを意味するそうです。//

p27 新谷学(元「週刊文春」編集長)の発言
//知る権利や、言論の自由は、やはり時代に合った形に定義しなおす必要があると思います。//……//これだけ瞬時にグローバルに爆発的に情報を拡散することができるインターネット誕生以前とは、まったく状況が違うわけですから、おのずとルールも違って当然です。//p28……//私は”言論弾圧”に対しては先頭に立って反対する立場の人間ですが、状況が想像を超えてきていて、危うさを感じています。//p32……//ステレオタイプな批判記事には、もう読者は辟易としています。だから私としても、スキャンダルばっかりではなく、ソリューションが必要だと思っています。言わば「ソリューション・ジャーナリズム」です。//p43

p30 山本龍彦の発言
//私は何らかのプラットフォーム企業規制は必要という立場なので、基本的にはヨーロッパの動向をフォローすべきと考えていますが、プラットフォームの責任強化をやみくもに進めると、今度は過剰なコンテンツモデレーション(削除)が行われる可能性が出てきます。//

p94 水谷瑛嗣郎(憲法学者)の発言
//〔報道の自由、国民の知る権利をプロとして責任を負ってきたジャーナリストに対して〕しかしここにきて、プラットフォームというマスメディアと違った方法で情報を選別する仕組みを持った巨大な企業が出てきた。しかも、その企業は報道価値判断などしないわけです。つまり「国民にとって何が重要か」ではなく、「この人にとって何が重要か、この人が好みそうなものは何か」で判断し、経済的利潤を追求するために情報を配分するようになっています。そうしてアテンション・エコノミーのもとで「共同体として必要な情報」のほうはおざなりになっている状況が進行しています。//

p94 山本龍彦の発言
//表現の自由から派生する権利として我々の「知る権利」があり、最高裁でもさまざまな情報を摂取する機会の重要性が説かれています。しかし現状においては情報空間が過度にパーソナライズされ、そこに似たような情報が送られてくることで、フィルターバブルやエコーチェンバーが発生し、さまざまな情報を主体的・自律的に摂取することが難しくなっています。知る権利がプラットフォームのレコメンダー・システムないしアルゴリズムによって実質的に制約されているともいえそうです。また我々は、アテンションを奪うことを目的とした刺激的なコンテンツに日常的にさらされ、主体的な思考・判断が奪われているともいえる。
 表現の自由というと、従来は特定の発言者の特定の表現が国家の具体的な行為によって制約されている状況がまず浮かびますが、我々の「知る権利」が実質的に制約されている構造やシステム全体をみて議論を始めなければいけないのではないかと思います。//

p98 水谷瑛嗣郎の発言
//生成AIの発展は、大量に有害なコンテンツを生み出し、蔓延させることを可能にしますし、しかも今後は人間が作ったものと区別がますますつかなくなってきます。そうするとこの「ハック」〔経済的な利潤追求を目的として空間的なデザインがハックされること〕にさらに拍車をかけるかもしれません。//……//この状況で、国家は憲法学者にとって敵であるのと同時に、必要な味方でもあるはずです。国家は税金を強制的に取りながら、警察をつくったり、消防をつくったりして、市場原理では賄えない公共の福祉の実現を担ってきました。その任務の一環として、民主主義の根幹をなす情報空間の設計にきちんと関与していくべきだと思います。//

p111
//1976年生まれの筆者も「第5世代に属する」という//

p113
//EU加盟国のランキング中の位置からみると、報道の自由や民主主義にとって重要なのは、むしろ国家の適切な関与なのではないかとも思えてしまう(繰り返し述べるが、過剰な規制は権威主義国家への転落を招くために絶対にNGである)。//

p130 山本龍彦の発言
//就活生は、何気ないウェブの閲覧履歴からそんなスコアリングが裏側で行われていて、そのデータが採用企業に渡っていたとは予測だにしていなかったと思います。知らない間に、AIによる不利な評価が多くの企業に共有されていて、「面接はうまくいったんだけど、う~ん、なぜかどの企業も採用してくれないんだよなあ」ということが起こりえた。主人公ヨーゼフ・Kが、理由がわからないけど逮捕される、フランツ・カフカの不条理小説、『審理』のような話ですよね。私は、ブラックボックス化されたAIスコアリングによる社会的排除を「バーチャル・スラム」と呼んだことがありますが、リクナビ事件は、その一歩手前までいった事件のように思います。
 こんな重要な事件でも、当時の個人情報保護法ではその違法性は微妙だったわけですが、その点をご解説いただけますか?//

p132 森亮二(電子商取引や個人情報保護などを専門とする弁護士)の発言
//就職活動中に志望企業に対して、〔本人が〕「同意しません」とはなかなか言えませんよね。そのような環境における「同意」には効力がないのではないかというのは私としても同感です。//

p149 森亮二の発言
//今のインターネットの状況が失敗だったという認識は、かなり広く共有されているのではないでしょうか。我々にわからない形で外部送信が行われて、大きなデータベースがつくられ、それによって我々一人ひとりの内心や欲望や脆弱性を知ることができるという、とんでもないことが普通に行われています。それが広告に使われるだけならまだ良かったのですが、ケンブリッジ・アナリティカ事件のようなことも起こりました。そうした教訓を踏まえて、例えばマイクロソフトも、どこまで競争上の地位を確保しようとして言っているかわかりませんが、AIに関しては「適切な規制が必要だ」と言っています。やはりかつての誤りに学んで、最初からきちんとしたルールを入れていくということは可能ですし、それこそが重要だと思います。//

p150 森亮二の発言
//私としては自律性・主体性を回復することが大切だと思っていますし、それを実現するのは「リテラシー」と、「選択を可能にする仕組み」の組み合わせしかないと思います。//

p153~165 //個人データに対する主体性は必要か?//
「まずはやっぱり同意説」
「特に同意いらんよね説」
 この二項対立にして、それぞれの論点を丁寧に展開している。見事で、よく出来ている。
 インターネットでサービスを利用しようとすると、文字列だらけの小さい文字でスクロールを続けてやっとこさ終わりの文末に辿りついたところで、同意するかどうかと詰め寄られる。ここで「同意しない」をポチッとしてしまうと、それまでかけた時間が水の泡となる。そのサービスを受けたいと思って時間をかけてきたのだから、結果「同意する」を選んでしまう。いつも「大丈夫か?」と思ってしまうが、災禍が我が身に及ばないことを願ってコトを進めている。この”体験”をものの見事に解いてくれている。
 わたしは、「まずはやっぱり同意説」派だ。

p154
//森氏と私は、個人データに関する本人の決定・選択(例えば同意)を個人データ保護の本質と考える陣営に与している。//……//森氏と私は、ともにこうした権利概念にシンパシーを感じているのである。//……//ここではさしあたり「まずはやっぱり同意説」と呼ぶことにしよう。//

p185 山本龍彦の発言
//どれだけアテンションを得られるか、どれだけユーザーの脳内にドーパミンを分泌させられるかが、データによって分析できるようになれば、「表現する」という文化的・創造的な営みはかなりきつくなりますね。どれだけユーザーの瞳孔を開かせることができるのかをデータで分析し、それに基づいて逆算して機械的・作業的にコンテンツをつくる……。もうそれは人じゃなくてAIでもいいような気がします。きっと広告素材も今後はAIが作っていくのかもしれません。そのほうが効果的で効率的ですから、ただ問題は、それを「表現」と呼んでよいのか、「クリエイティブ」と呼んでよいのかだと思います。//
p185 これを受け──。馬籠太郎(まごめ。電通デジタル)の発言
//とはいえ、もとに戻ることはないでしょうから、ウェルビーイングとも言いましたが、やはりユーザーがどう感じているかにフォーカスしていくしかないと思います。それを考えるときには、データを活用してどんどん高度化させていくのは正しいと私は思っています。//
p186 山本龍彦の発言
//個人データ保護も重要なので、それによる限界も考えなければなりませんが、これからの時代、「データを使うな」とは言えないでしょうね。そのときに重要になるのは、ユーザーのウェルビーイングをどう定義するか、だと思いますね。それから、この定義を、広告業界だけで決めるべきではない。広告業界というのは、まわりからはわかりにくい、何か閉鎖的なイメージがありますが、この定義は、開かれた場で、市民社会をも巻き込みつつ議論されなければなりませんね。//
p186 ……受けて。馬籠太郎の発言。
//そうなってくると、ユーザーにとっても広告主にとっても良い環境が出来てきますね。//

p190
//しかし今後は、生成AIを使って、見せる相手ごとに、コンテンツ自体を変えていくことが実際に起こり得よう。例えば、タクシー広告で、乗客の属性に合わせて、乗客ごとに生成AIによってコンテンツを組み替えることが考えられる(表情解析によってその乗客の感情まで読み取り、それに応じて呼びかけるセリフを変えていくことも現実的に不可能ではない)。このように、個人に合わせてコンテンツ自体も変えられるということになれば、それはもう、「世間に広く告げるもの」という広告とはまったく異なるものとなろう。それは、特定個人の認知システムに対する直接的な働きかけであり、「表現」ないし「言論」というより、「作用」あるいは「力の行使」ともいうべきものである。//

p191
//今後、ユーザーの希少なアテンションを奪うための競争が激化するなかで、コンテンツ制作現場におけるデータ依存はますます強くなっていくだろう。そういう世界では、多くのコンテンツが、データやAIの「奴隷」に成り下がる可能性を、私たちはおそらく否定することができない。そこでは、憲法がその自由を保障する「表現」──人の内面的精神作用を外部に公表する精神活動──ははたして存在するのか、という根源的な疑問が提示されよう。//

p194 山本龍彦の発言
//下條さんはご著書『サブリミナル・インパクト』(ちくま新書、2008年)で、既にアテンション・エコノミーを「注意経済」と訳され、警鐘を鳴らしていました。//

p195 下條信輔(認知神経科学者)の発言
//実験心理学での「注意」は、時間オーダーでいうと数百ミリ秒から数秒くらいの世界ですが、そこで培われた概念装置は時間オーダーがより長い事柄にも敷衍(ふえん)できるのではないかと考えているのです。あとで詳しく話しますが、ディープフェイクの問題にしても、数百ミリ秒で終わる話ではなく、それが記憶に残り、情動的な影響力を数ヵ月持つなどします。私は機能的な原理として「注意」があり、それが「現代社会の情報テクノロジーがなぜ急速に進展したか」と「それによるネガティブな害がいかに生じたか」の両方を説明できるのではないかと考えています。//

p199 山本龍彦の発言
//だけど、いまの法制度的な対応は、この個々の現象に対応したりねリテラシー教育で「潜在」過程ではなく「顕在」過程を何とか鍛えようとしたりしている。もちろんそれらも重要なのですが、これだけだと、偽情報や誹謗中傷は、また雨後の筍のように湧いて出てきます。構造そのものに目を向けていかないと、まさに”モグラたたき”になってしまうんですね。偽情報や誹謗中傷は、アテンション・エコノミーという構造に由来するものですから、この構造ないし深層をとらえるには、人間とは何か、人間の脳はどうなっているのか、といったことを科学的に理解しないといけないと強く思います。//

p200 山本龍彦の発言
//しかし、人間同士が、「言葉」ではなく「信号」で、つまり、言語による意識的コミュニケーションではなく、AIをネットワークのハブとして、潜在認知を中心とした情動的・反射的な非言語的コミュニケーションでやりとりするようになることは、前者を前提に構築されてきた、あらゆる「近代」的なシステムを破壊することになりかねません。ニューラリンク(Neuralink Corporation)にも投資するイーロン・マスクなどは、アテンション・エコノミーを加速させて、言語的コミュニケーションを破壊し、近代というパラダイムそれ自体を転覆させようと考えている節がありますが、私自身は、これには反対です。
 ただ、私は、自分をベタな近代主義者ではないと思っています。近代の大枠を維持しようと考えたとしても、ルネッサンス期以降の理性的で合理的な人間像を維持することは科学的見地からもかなり苦しい。そこにしがみついて議論を構築することはもはや無理だろうと思うからです。//

p200 山本龍彦の発言
//我々の言語的コミュニケーションの上で成り立つ民主主義も、まだ完全に諦めるべきではないと思う。//
※敢えてこういう発言をするということは、「民主主義の危機」ということでもあるのか。

p201 下條信輔の発言
//子ども番組を見ていると、長くても30秒ぐらいでシーンを切り替えていますよね。東大心理の出身でNHKのディレクターをしていた同級生がいるのですが、彼がいうには、昔から子ども向けの番組はそのように作るようにいわれていたとのこと。それが、いまや大人までもが同じようなコンテンツ〔十数秒のショート系動画を指しているようだ〕の見方をするようになっているわけです。//

p203 下條信輔の発言
//情動は先ほど申し上げたように大脳辺縁系に根ざしているわけですが、他方「注意」というのは主に大脳新皮質の働きの重要な部分で、人間の頭のよさの一つの指標でもあります。//

p204 下條信輔の発言
//記憶には、顕在的な記憶と潜在的な記憶があり、それぞれ検査の仕方があります。顕在的な記憶は「リコール」(recall)することでわかるもので、例えば「Aという単語とペアになっていたのは、どの単語だったのか」ということは、自分でリコール(思い起こす)することになる。これは顕在的な記憶の検査です。一方で半ば潜在的な記憶のほうは「レコグニション」(recognition)といい、「この単語は、さきほどのリストにありましたか?(見覚えがありますか?)」という形で検査できます。//

教育現場の「古典的自由
破壊されている「近代の自由」(認知神経科学)
伝統的な人間像の自己決定(自由)──憲法学

p222 山本龍彦の発言
//教育現場では、いまだに古典的な「自由」を教えているように思いますね。アテンション・エコノミーの議論の中でも、メディアリテラシーを高めるべきだという議論はあるのですが、「偽情報・誤情報に気を付けよう」「個人データを抜き取られないようにしましょう」といったことを教えることがまだ優先されていて、「いまのインターネットの世界はアテンション・エコノミーというビジネスモデルによって事実上支配されている、我々の潜在的な認知に常にトリガーをかけられている」といったことを伝えるようなメソッドが十分に発展していない。これでは、我々が生きているデジタル空間の本質を知らずにこの空間に放り出されているようなものです。//

p232 下條信輔の発言
//近代の、特に政治制度における自由や意思決定は、顕在意識だけに依存し、それを前提にしているが、その近代の人間像は破壊されるということです。それがいままさに起こっているわけです。//

p233 山本龍彦の発言
//憲法学では、以前から憲法の前提とする人間像について、「強い個人か、弱い個人か」という議論がありました。強い個人論は、個人は自律的な判断能力を有する自己決定的主体であり、自己決定の結果を自ら引き受ける存在だと想定します。近代の伝統的な人間像を引きずっていますね。他方、弱い個人論は、現実の人間、生身の人間を前提にし、個人の決定は周囲の環境に左右され、他人の影響に刹那的に流されることもある、だから、決定の環境整備や支援が必要だ、と考えます。//

p236
//今回の対談を通じて、認知科学の最前線にいる下條氏にこう言われているようだった。
 法学者とは、「『近代』という重力に魂を縛られている人々だ!」。//

p238 破壊されている自由意志
//消費者は圧倒的に認知的劣位に置かれ、意思決定を操作されまくる。ここで重要なのは、この認知的非対称性のために、消費者は、操作されているにもかかわらず、自由だと感じてしまっている点だろう。自由意志というコンセプトは、このズレ──錯覚としての「自由」──への認識を鈍らせ、事実上、自由を”感覚”の問題へと帰着させる。そうなると、他者は、自由という”感覚”を本人に与えさえすれば、その決定をいかようにも操作できることになる。//


p257 粟原聡(人工知能学)の発言
//では何が問題かというと、生成AIはオープンな技術を使っているので、小さな規模のものであれば誰でもつくれてしまうということです。
 例えば「ハッキングするための文章をつくるためだけ」の生成AIや、「誰かを攻撃するためだけ」や「個人情報を抜き取るためだけ」のAIだって、つくろうと思えばつくれるわけです。もちろんそういうものは、アライメントはまず施されてはいないです。
 そうすると何が起きるかというと、社会を混乱に陥れようとする人や、プロパガンダをつくろうという人たちも出てくるでしょう。それにフェイクニュースですよね。今でもBotが使われていますが、生成AIを使ってより”秀逸”なBotをつくり、意図的にフェイクニュースをつくって垂れ流すということが起こり得ます。そうしてネット上に散乱してくる情報をまたAIが学習することで、負のループが完成してしまうのです。//
p257 粟原聡の発言
//そうなるともう、民主主義はみごとに壊れてしまいます。//

 なかなか恐怖に満ちた話だ。議論の中で、AIがこの事態が起きないよう制御する方法もあるという。のび太とドラえもんを喩えにあげながら、ドラえもん式の自律型AIがその目的を果たすという。

p272
//私たちは自由に民主主義を実行しているつもりになっているのだが、矩を踰えると、憲法を学習したAIが最高裁に代わって〈私たち=民主主義〉を制御してくれる。
 これは、それほどぶっ飛んだ話ではない。
 既にAI業界では、「憲法AI(Constitutional AI)」の開発が進んでいる。//

p275
//これまで、憲法が〈私たち=民主主義〉を制御することが正当化されるのは、その憲法自体が「私たち」によって創られた、という建前がとられてきたからである。私たち自身が創った憲法によって、〈私たち=民主主義〉が制御される。ここに、「国民主権」の精髄があった。しかし、実質的にAIが創る「憲法」によって、〈私たち=民主主義〉が制御されることになると、もはや私たち国民が有しているとされてきた「主権」は完全にAIの手に渡ることになるだろう。//

p313
//人間中心の世界からの逸脱、あるいは、「私たちが決める」という民主主義の最終的な死。アテンション・エコノミーが民主主義の「脳死」をもたらし、生成AIがその「心臓死」をもたらす。//
p315
//ここで提案されるのが、「民主主義による統治」と「アルゴリズムによる統治」とをミックスさせたハイブリッド型の政治システムである。それは、「私たち」の情動的な要素(統治の正統性=legitimacyを支える部分)と、AIの推理的・統計的な要素(統治の正当性=rightnessを支える部分)とを掛け合わせたものといってよいだろう。おそらく、これが対談で出てきた、民主主義のリバランス──均衡の再定義──である。
 私も、私たち自身による統治に偏らない、このようなハイブリッド型の統治は、目指すべき政治システムの一つではないかと考えている。//
p316
//そうだとすると、人間理性に強く依拠するようなEUのアプローチは、この人間自身の「バランス」と整合的ではなく、現実的には無理のある政治システムだ、ということになろう。//

 なんだかんだと言いながら、AIの隆盛は、民主主義を崩壊させつつあり、その現実を受け入れない限りアテンション・エコノミーがもたらす負の災禍は免れない、ということだろう。そのために、「バランス」という選択で切り抜けようとしている。
 適者生存は果たして”生存”に結びつくのだろうか? わたしは疑問に思う。

p353
//だからこそ、トランプはアテンション・エコノミーを利用して彼らを「オルグ」したのである。トランプやプラボウォの勝利はその成功を象徴している。
 また、生まれたときからアテンション・エコノミーの世界にいるアテンション・エコノミー・ネイティブにとって、見たいものを見る、言いたいことを言う、投稿がバズれば承認だけでなく収入も得られるという文化こそが彼らの唯一の文化なのかもしれない。いまの幼稚園児・保育園児たちにとって、YouTubeやTikTokこそが原則となり、見たくもないが”ノイズ”として入り込むテレビ放送のほうが例外となるだろう。アルゴリズムがつくり出す自分だけの世界のなかで「自由」に過ごすことがアテンション・エコノミー・ネイティブの美徳であり、政治はその「自由」を保障してくれる「誰か」にアウトソーシングすればよい──統治者が、人間かAIかはどうでもよい──ということになるかもしれない。//

p357
//アテンション・エコノミーの加速化は、異なる者との共生、市民的寛容が前提となる民主主義を徹底的に破壊し、自然的傾向や政治的イデオロギーを同じくする者によって構成される複数の──決して理解し合うことのない──「クラスター」(コミュニティ)を生むことになる。彼らは、このクラスターがそのまま政治的統治単位となり、これをプラットフォームが経営するような「政府的企業体(gov-corps)」が出現することを期待するのである。そして、各政府的企業体が自らの「領民」(ユーザー)の快楽を最大化するように、アルゴリズム・AIを駆使し、他の政府的企業体と競争するような政治形態──リバタリアン型競争的自治モデル──を志向するのである。
 ここで重視されるのは「市民」による「投票」ではない。ユーザーないし顧客による「離脱(exit)」である。もしユーザーが、その政府的企業体(実体は巨大プラットフォーム企業)のアルゴリズムによって自らの快楽が満たされないと感じたならば、つまり自由ではないと感じたならば、これまでの民主主義国家のようにその内部にとどまって「声」を上げるのではなく、その企業体から「離脱」し、別の政府的企業体へと移動すればよい。
 これが、ピーター・ティールのような(もしかするとイーロン・マスクも含む)テクノ・リバタリアンたちが臨むアプローチである。//

p358
//筆者は、EUの法制度を手放しに賞賛しようとは思わないが、その基本的な考え方には賛同している。本書でも何度か触れてきた「情報的健康」というコンセプトは、新たな市場倫理ないし社会規範を形成することでアテンション・エコノミーの弊害を克服し、近代立憲主義の本質を何とか持続させようという試みである。この点でEUと同じ方向を向いている。しかし、木澤氏〔木澤佐登志/文筆家・ブロガー〕との対談でも述べたように、こうした試みが簡単でないこともアテンション・エコノミーは、近代というパラダイムが何とか蓋をしてきた自然的・野性的存在としての人間を大々的に野に解き放った点で、パンドラの箱を開けたともいえるからである。一旦開いてしまった以上、この箱を完全に閉めるのはきわめて難しい作業であると言わざるを得ない。
 とはいえ、民主主義は、それが立憲的に統制される限りで、他の政治制度よりも、個人の自律的で主体的な生き方が尊重される政治制度であると、筆者はなお信じている。//

p362 緊急避難〈次善策〉
//この次善策は、アテンション・エコノミーとAIとのタッグによってパンドラの箱が一度派手に開けられてしまった以上、「市民」でいることは一層難しくなると考える。だから、民主主義で決める政治的事項をスリム化して「市民」的負担を減らし、その分、プラットフォームによる統治──多くの場合、アルゴリズム・AIによって行われる──と「離脱」によるプラットフォーム間の競争に一定の期待をかける。この点で、確かにリバタリアン的な思考に近い。しかし、確認しておかねばならないのは、それが、限定的であれ私たちが公共的理性を働かせて民主主義的に決定する領域を認め、それによってプラットフォーム統治を立憲的に制御しようと企図していることである。
 繰り返すが、これは次善策である。私たちがまずもって目的にすべきは、近代市民革命が切りひらいた立憲民主主義の基本線の維持であろう。//


山極寿一×関野吉晴『人類は何を失いつつあるのか』朝日文庫 2022年
p292
//〔関野吉晴〕山極さんの研究分野である「家族の起源」から始まって、人間の他者をいたわる共感力や利他的行動、平等意識、紛争とその調停、教育の現状やグローバリズムの問題点に至るまで、「人間らしさ」に関わる根源的な諸テーマを、山極さんは人類以前のゴリラ社会の視点から、私は同時代の伝統社会、先住民社会の視点から、思いつくまま、さまざまに語り合っている。
 人間の進化の歴史と、その過程で獲得したもの、サルや類人猿には見られない人間だけの文化や行動、社会の仕組み、それらすべてを成り立たせている「人間らしさ」とは何なのか。そしてその「人間らしさ」はいまどうなっていて、今後はどうなっていくのか──」。//
p292
//人間はそこからさらに進化して、多くのものを積み重ね、今日の精緻な文化と社会を、そしてさまざまな場面での「人間らしさ」を築き上げてきたはずだった。
 ところが今日、急激に進むIT化やグローバル化によって、せっかく築き上げてきたはずの「人間らしさ」が失われようとしている。家族やコミュニティーの崩壊、伝統技術や知恵の消失、教育の変容、極端な個人主義の蔓延、奪われる平等、調停の効かない紛争などはその表れだ。//

2026.7.1記す

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