乳児の保育環境といのち

 乳児(0,1,2歳)の保育環境といえば間主観性の理解が助けになる。もうひとつはベビーシュマだ。後者は、コンラート・ローレンツ(動物行動学者)がネーミングしたそうだ。生得的という教えは神秘的(霊性)であるし、これに救われる。
 子どもの可能性を最大限に生かしたい ── 親であれば皆が望むところだろう。子育てを大事にしたいとき、肝腎なことは「子どもの主体性」の理解だ。
 このように用語を並べたり「理解」が続くと、子育ては、むずかしい。だから、様々な子育て模様となる。

 「いのち」をどう気づかせるか ── 野外活動の目的なのだが、あかちゃんに始まる子育てそのものが「いのち育て」だし、子ども自身が「いのち」に気づくということは、他者の発見ということだ。それは4歳の誕生日を待つことになる。
 とはいえ、お産して、母親が我が子を抱くことは自然なことで誰もがすること。けっしてむずかしいことではない。

 野外活動・目的の一つ「五感」は生得的とされる。「五感」の大切さを言うことは容易だが、その実行や理解は思いの外むずかしい。その原因のひとつは第六感とも言われる「直観」を五感理解から切り離さないこと、そして、宗教心とは別に誰にも「霊性」が潜む。五感と直観と霊性は、様々な体験のなかで場面に区別なく現れる。できるだけ豊富な体験を通して理解を深めたい。そのことが「心」と、心と等号で結べる「いのち」(自己と他者の)を豊かにする。

 〈五感を鍛える〉というフレーズは決まり文句のようにつかわれる。五感はゼロから出発するのでなく、生得的にすでに持ちあわせている。無から有を生じさせるのではない。だから、〈鍛える〉という誤った認識に立たないようにすることが肝要だ。
 生きる源(みなもと)といってもよい五感を〈鍛える〉のではなく〈失わない〉こと。積み重ねるように五感を豊かにする、というのであれば〈鍛える〉も良かろう。

 一例をあげよう。はだし保育だ。這い這いの頃は、床や地面に、足だけでなく手もあてることになる。手足の肌が直接それらにふれる場合と、靴下などにおおわれている場合とで、あかちゃんの感じとるものが違うだろうことは容易に推察される。〈失わない〉はこの実践ということになる。こうした基礎が、年長になって、野外活動の体験を豊かにする。

2021.1.3記す