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//日本の代表的な木を三本ほどあげてみて下さい、と私は時々、誰彼なくきいてみる。新幹線の隣席の人とか、スーパーの店員さん、学生さんなど。たいがいへんな顔をして、木ねえ、と間をとってからくる答が、杉、檜、桜で、順序はまちまちである。//p37(後述)
さて、わたしも考えてみた。杉や檜ではない。桜はもっと違う。すぐに浮かばない。ぼんやり考えるしかなく、大きな木を思い浮かべようとしている自分がいる。そしてとうとう辿りついた。「老木」。あるいは「古木(こぼく)」。名前ではなく、幹回りの太い樹は地面と接するところが凸凹していて(おおきいなあ、すごいなあ)と思ってしまう。石巻の峠にある追分温泉(旅館)の老木は幹回りを何歩も歩ける。
カゴノキ。「鹿の子」をカゴと呼んでいるようだ。つまり、バンビ。白い斑点状の木肌が目立つ。
三つ目は結局思いつかない。シイノキ、ホオノキ、モチモチの木、モミ、と出てくるけれど、「三つ目」にならなかった。
映画「パーフェクトデイズ」を観ていて、役所広司が古本屋で文庫本をとりあげ、それが幸田文の『木』新潮文庫だった。関心が向いて図書館で借りた。薄い本で200ページに満たない。「えぞ松の更新」「藤」「ひのき」と小片が続く。
ここまでのところを結論しておくと、「三本」は「ひのき」のところで出てくる。「ひのき」を題材にしたエッセイだ。どこかのフィールドで作家はひのきに向き合っているようだ。が、ひのきのことを書いているのだが、「ひのき」であってもなかってもそれが第一ではない、と思った。ひたすら作家の「こころ」を書き記している。
佐伯一麦(さえき・かずみ)という人が、巻末(解説)冒頭にこう記している。
//私は、いい文章を読んだ、というよろこびに深々と浸った。// サマーセット・モームの言葉を引き合いに出し、//いい文章とはどんなものか。//と説いている。
確かに、うまいと思う。こういう表現もあるんだ、と思った。感心したと言ってもよいし、学んだと言ってもよい。さすがに高名だなあと思った。読んでおいてよかったとも思った。でも、「ひのき」ではなくて何でもよかったのでは……とも思った。ひのきに悟ったことはあるだろうが、他を題材にしていれば、作家の力からしてみれば、自身の「こころ」は何にでも仮託できただろう。
一番バッターの「えぞ松の更新」では「倒木更新」がネタになっている。植物群落や遷移という植物生態の用語も出てくる北海道富良野のある東大演習林見学での体験を著している。倒木更新の森で、//この木、何年くらいしてるんでしょう、ときいた。二百五十年、三百年の上でしょうかね、ここは条件がきびしいですから、年数の割に太さはないんです、という。//
ほぼ同じ体験を、わたしは尾瀬でしている。そのときに「三百年」という数字をわたしも覚えた。エッセイのこの部分を読むと、当時の記憶が呼び覚まされる。木が土にもどる、つまり朽ちていくさまも描かれていて、「ひのき」のような代役ではなく、演習林でしか味わえない学びがあっただろうと思う。
「藤」では、父・幸田露伴とのやりとりもあって興味深かった。頭の上に咲く花を書き記したあと、地面から立ち上がる”根”のすごさを発見していた。それはそれでいいが、それは根ではなく”茎。というか、ツルだ。倒木更新はその観察を記すことに精一杯だったが、藤では、父や姉との確執が描かれていた。
解説者がいうような「いい文章」を15片ある文章のうち3片目を読んだところで、わたしは閉じた。
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映画「パーフェクトデイズ」に挿入される樹影(モリクロ映像)は、幸田文のエッセイ『木』に影響を受けているんだあと密かに思った。
2026.7.7記す
