|||||「つまずきポイント」を発見 |||

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下巻102ページの図を一部改変

 ダニエル・カーネマンは『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?』下巻(ハヤカワ文庫)77ページで「プロスペクト理論」の発見を述べている。

 カーネマンと同僚エイモス・トベルスキーは「行動経済学」を打ち立て、その核のひとつがプロスペクト理論である。図は、プロスペクト理論を説明している。

 利得のプラスは右肩上がりで表現され、下方左に損失が伸びる。利得と損失の交叉を「参照点(リファレンスポイント)」としている。利得感と損失感は非対称で、損失感のほうが大きい。したがって、トクしたいと思うより、損することを避けたいという心理が働く。
 ヒト(人類)の発達を念頭におくと、危険回避が生き延びることにつながり、利得より損失回避が優先される。
下巻p98
//損失と利得を直接比較した場合でも、確率で重みをつけた場合でも、損失は利得より強く感じられる。プラスの期待や経験とマイナスのそれとの間のこうした非対称性は、進化の歴史に由来するものと考えられる。好機よりも脅威に対してすばやく対応する生命体のほうが、生存や再生産の可能性が高まるからだ。//

 「子どもの遊び」と同じだなあと思った。つまずくことで子ども(あかちゃんを含む)は学ぶ。グラフに参照点がある。ふと気づいた。参照点でつまずくのだ!
 識者は、1990年代に、子どもの集団遊び・伝承あそびが消滅したという。「遊びとはなにか」を問うてきたわたしは、つまずかなくなったら大変だ、どうすればよいのだろうと考えて続けてきた。とはいえ、どのように思考実験を組み立てればよいのかわからなかった。「つまずく」という意味をとらえきれていなかった。その「つまずき」が「参照点」と同等の意味があるのではないか!と発見! 気づいた。それで、参照点を「つまずきポイント」と名づけてみた。


 「つまずいた」と自覚するのは、ゼロポイントではなく、損失側、負の方向に入ってからだろう。早めに気づくか、それとも深いキズを負ってからなのか。


 ある日あることからヒントを得て「遊びの起源」を命名して多くのページに記していたが、これを「つまずきポイント」に変更、修正、改称することにした。
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カーネマン『ファスト&スロー』下巻p328以降、「結論」の章より、【「子ども(あかちゃんを含む)の遊び」に対照、置き換え】を試みる。
下p328
//記憶にはまた、私たちが生まれて【文字通り、あかちゃんのときから】このかた習得してきた幅広いスキルも蓄えられており、直面した難問に対して自動的に的確な解決を示してくれる。ここで言うスキルとは、行く手を遮る巨大な岩を乗り越える方法【人生初めての体験】から、安定した環境と練習や実践を繰り返す【繰り返す体験の】機会が確保され、それに対して迅速かつ明快なフィードバックが得られることが望ましい。こうした条件が満たされていれば、スキルは開発され、身につき、ぱっと思い浮かぶ直感的な判断や選択の大半が的確なものになるだろう。これらすべてはシステム1の働きによるため、自動的かつ瞬時に行われる。膨大な情報をすばやく効率的に処理できる能力は、高度なスキルが身についていることの証と言える。//
下p329
//システム1は能力の限界などものともせず、難問に遭遇するとあの手この手で対処する。難しい質問の答を探すときには、ただちに似たような質問の答を探し、容易に思い浮かんだほうの答でもって本来の質問の答に置き換える。これがヒューリスティクスである。//
※ヒューリスティクス……同書の上巻p177より
//ヒューリスティクスの専門的な定義は、「困難な質問に対して、適切ではあるが往々にして不完全な答を見つけるための単純な手続き」である。ヒューリスティクスという言葉は、「見つけた!」を意味するギリシャ語のユーレカを語源に持つ。
 置き換えというアイデアはエイモスとの初期の研究で浮かんできたもので、やがてヒューリスティクスとバイアスの研究の柱となった。//
下p329
//このように手っ取り早い近道から出てきた答は、必ずしも本来の質問の答よりシンプルだったり賢明だったりするわけではないが、とにかく入手しやすく、短時間で簡単に求められるという絶大な利点がある。ヒューリスティックスな答はけっしてでたらめではなく、大体においておおむね正しい。しかしときには決定的にまちがっている。//
※ヒューリスティクスは、ヒューリスティックス等、表記にゆれがある。
下p329
//システム1は認知容易なものを記録し、それを頼りに情報を処理する。処理の結果が現実にはあり得ないような答になってしまっても、警告を発する機能は持ち合わせていない。直感的な答は、それがスキルに由来するものであれ、ヒューリスティクスによるものであれ、たちどころに自信たっぷりに浮かんでくる。いったい前者なのか後者なのか【つきずきの始まり】──システム2がそれを判別する簡単な方法は存在しない。まずはスピードダウンして、システム2自身で答を出してみるしかない。しかしシステム2は怠け者なので、これをやりたがらない。システム1が矢継ぎ早に提案する答は、実際にはいい加減なチェックしか受けずに最終的な答になってしまう。バットとボール問題はその典型例だ。こうしたわけでシステム1は、エラーとバイアスの根源だとして評判が悪い。とりわけ「自分が見たものすべて」の思い込みや、次元のちがうもの同士の主観的なレベル合わせ、連想一貫性といったシステム1の動作特性は、予測可能な、つまり系統的なバイアスや、認知的錯覚を生み出す。アンカリング効果、平均回帰の無視、自身過剰等々である。//
下p330
//こうしたバイアスに対して何か打つ手はあるのだろうか。私たちは、自分自身の判断や意思決定をどうしたら向上させられるだろうか。ついでに、上司や部下の判断と意思決定を向上させるにはどうしたらいいだろう。一言で言えば、よほど努力をしない限り、ほとんど成果は望めない。経験から言うと、システム1にものを教えても無駄である。私自身の直感的思考は、ささやかな改善(その大半は年齢によるものだ)を除き、相変わらず自信過剰、極端な予想、計画の錯誤に陥りやすい。その度合いは、この分野の研究を始める前と、じつはさして変わらないのである。私が進歩したのは、いかにもエラーが起こりそうな状況を認識する能力だけである。「この数字がアンカーになりそうだ」「問題のフレーミングを変えたら、この決定にはならないだろう」といった具合に。一方、自分が犯したエラーではなく、他人のエラーを認識することにかけては、大いに進歩したと思う。//
※【他者理解
下p30
//システム1に起因するエラーを防ぐ方法は、原理的には【子どもらにも】簡単である。認知的な地雷原に自分が入り込んでいる徴候を見落とさず、思考をスローダウンさせ、システム2の応援を求めればよい【つまずきの必要】。あなたが次にミュラー・リヤー錯視に出くわしたときには、きっとそうするだろう。両端に羽根のついた一組の図形を見たら、あなたは自分の目を信用せず、定規を取り出す。だが残念ながら、最も必要なときに限って、こうした賢明な手段はめったに講じられないものである。重大な誤りを犯しそうになったら警報ブザーが鳴り響いてくれるとありがたいのだが、人間にはそうしたブザーは備わっていない。しかね認知的錯覚は、おおむね知覚的錯覚よりも気づきにくい。まちがった直感の声は大きくてよく通り、理性の声は小さくて聞き取りにくい。それに、重大な意思決定という重圧に直面しているときに、自分の直感を疑うのはまことに不快である。トラブルの渦中にあるときに自分の直感を吟味するなど、誰がやりたいだろうか。それに引き換え、他人が地雷原に迷い込もうとしているときにそれを指摘するのは、自分の場合よりはるかに簡単である【他者理解】。端から見ている第三者は認知的に多忙ではないし、当人より情報を受け入れる余地が大きいからだ。組織の意思決定者に向けてではなく、井戸端会議や噂話をする人のために本書を書いたのは、こうした理由からである。//
下p331
//ことエラーの防止に関する限り、組織【子どもの遊び集団】のほうが個人よりすぐれている。組織は本来的に思考のペースが遅く、また規律をもって手続きに従うことを強制できるからだ。

2026.7.25記す

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