||||| ジェームズ・C・スコット《 反「穀物の人類史」》|||

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ジェームズ・C・スコット(1936年生まれ)
『反穀物の人類史』
+ 副題:国家誕生のディープヒストリー
+ Against the Grain 2017
+ 訳:立木勝
+みすず書房 2019年
++ 反「穀物の人類史」

〔pⅱ巻頭〕
//クロード・レヴィ=ストロースは書いている。//……//文字は、中央集権化し階層化した国家が自らを再生産するために必要なのだろう。……文字というのは奇妙なものだ。……文字の出現に忠実に付随していると思われる唯一の現象は、都市と帝国の形成、つまり相当数の個人の一つの政治組織への統合と、それら個人のカーストや階級への位(くらい)付けである。……文字は、人間に光明をもたらす前に、人間の搾取に便宜を与えたように見える。//

pⅶ
//わたしはハーバード大学で2011年に開催されるタナー講義〔オバート・クラーク・タナーが創始した人間の価値についての講義〕を2講座受け持つように依頼された。//……//いったいなにをすればいいだろう。//……//農耕社会に関する二つのオープニングレクチャーのことが頭に浮かんだ。その講義は、動植物の家畜化・作物化domesticationと最初期国家の農耕構造を扱うものだった。//……//講義の準備をするうちに、自分で知っていると思っていたことが次々とひっくり返され、新しい議論や発見が山ほど出てきたのだ。わたしは、このトピックを正しく扱うには、まず自分がこれをしっかり消化しなければならないと悟った。//……//というわけで、この本は、その講義後のわたしの取り組みを反映したものだ。//

p2
//〔人新世/アントロポセン=〕これは地質学上の一時代をさす新語で、人類の活動が世界の生態系と大気に決定的な影響を及ぼすようになった時代を意味している。//

p2
//火は、景観形成(もしくはニッチ構築)のためにヒト科動物(ホミニド)が最初に用いた偉大なツールだ。

p3
//近年の爆発的な「濃い」アントロポセンのずっと前の、この時点に「薄い」アントロポセンを認めてもよいのではないだろうか。「薄い」というのは、この時代には、こうした景観形成のツールを使うホミニドがごくわずかしかいなかったことが大きい。紀元前1万年頃の人口は、世界全体でもせいぜい200万から400万で、今の数千分の一もなかったからだ。そしてもうひとつ、近代以前の決定的な制度的発明といえるものがある。それは国家だ。//

p5
//〔//国家と文明の物語のパラドックス//〕こうした生の事実は、筆者を含めたわたしたちの大半がよく考えもせずに継承してきたバージョンの人類先史時代にとって、悩ましい問題となる。//

p10
//結局のところホミニドは、ホモ・サピエンスが登場する前から(主として火を使って)植物世界を成形してきている。では、いったいなにをもって飼い馴らしのルビコン川とすればよいのだろう。//

p17
//自分からすすんで狩猟採集や遊牧の生活を捨てて農業に専念する者などいるはずがない。//

p36
//人類による最古の火の証拠は少なくとも40万年前のもので、わたしたちの種が登場するはるか前になる。//

p40
//考古学的な記録で見ても、脳のサイズの急速な拡大は炉床および食事の残骸と適合している。これに匹敵する規模の形態的変化はほかの動物でも知られていて、食習慣と生態的地位に劇的な変化があれば、ほんの2万年で起こることだという。//
※話題から離れるが、AIが人間の機能を占拠してしまうと”ほんの2万年で脳のサイズは急速に縮小“ということになるのか?

p40
//植物が作物化しているかどうか、動物が家畜化しているかどうかの判断基準は、人間の助けなしに繁殖できないことだ。そうだとすれば、わたしたちは、それなしには種としての将来がないほどに、火に適応してしまっている。//……//火はわたしたちを家畜化している。//

p41
//10年もしないうちに摂氏にして7度も平均気温が上昇することもあったようだ。//

p44
//最初の大規模な定住地は、乾燥環境ではなく湿地帯で発生した。//……//灌漑ではなく排水だった可能性の方がずっと高い。//

p54
//〈飼い馴らし〉によって作物化・家畜化された穀物と動物の登場から〔①〕から、初期文明と聞いて思い浮かぶ農耕-牧畜社会の連合体〔②〕までに4000年〔|①-②|〕もの大きなギャップがあることに、ぜひ注目してほしい。//……//標準的な「文明の進歩」の物語は、ひとたび穀草類が作物化され、動物が家畜化されれば、多かれ少なかれ自動的かつ急速に、完成形の農耕社会が生み出されることを暗に前提としている。//……//しかし4000年、およそ160世代というのは度が過ぎている。//

p57
//わたしたちは、国家成立以前の祖先の敏捷さや適応力の度合いを過小評価してきたに違いない。そうした過小評価が積み重なって文明の物語となり、そこから、狩猟採集民や移動耕作民や遊牧民をほとんどホモ・サピエンスの亜種と見て、それぞれが人類の進歩の各段階を示していると考えてきたのだ。しかし歴史的な証拠は、人びとが、こうした特徴的な生業様式のあいだをいとも簡単に行き来していたこと、そして実際には、そうしたものを組み合わせて、肥沃な三日月地帯をはじめとする地域で、独創的なハイブリッドの生業様式をいくつも作り出していたことを示している。//

p57
//20世紀の初めには、歴史における地理学的視点を主張したある大家が、狩猟採集民、遊牧民、農耕民のあいだの明確な区別を否定し、安全のために、ほとんどの人びとはこうした生業ニッチの少なくとも二つをまたいでおくことを好んできたと強調した。「必要な場合に備えて2本の綱を舳先につないでおくのだ」
 というわけで、わたしたちは、文明の発生や国家の興隆に関する歴史的な物語に生命を吹き込んできた基本用語について、戦闘的なまでに不可知論的であるべきだ。知的懐疑主義も近年の証拠も、この方向を指し示している。たとえば植物の作物化や恒久的な定住に関する議論の大半は、初期の人びとは待ちかねたように1ヵ所に定着するようになった、とあっさり決めつけている。こうした決めつけは、農業国家をめぐる標準的な議論をそれ以前の時代にさかのぼって当てはめる読み方で、移動する人びとは原始的だという烙印を押すものだ。「定住への社会的意志」を当然視するべきではない。同じように「遊牧民」「農耕民」「狩猟民」「採集民」といった用語も、少なくともその本質的な意味においては、当然視するべきではない。こうしたものは、古代中東における生業活動の範囲を定義したものであって、人間を区別するものではないと理解した方がいい。//

p58
//すでにいくつかの穀草や豆類を作物化し、ヤギやヒツジも家畜化していたメソポタミア沖積層の人びとは、その時点ですでに農耕民であり、かつ遊牧民であって、狩猟採集民でもあった。//……//豊かなモザイクのような資源に囲まれていること、そしてそのおかげで、単一の技術や食料源に特化するのを避けられることこそが、自分たちの安全と相対的な豊かさを保障する最善の方法だったのだ。//

p60
//なにかの資源が穫れない年があっても、ほかのものは豊富にあるだろう。この生きた複合貯蔵施設〔//魚類、軟体動物、鳥類、ナッツ、フルーツ、イモ類、食用になるイグサやスゲ、両生類、小型の哺乳類、大型の獲物//p60〕は多様性に富んでいて、最盛期がさまざまにずれる。そして、そこにこそ安定があるのだ。//
※リスクの分散。

p68
//穀物が最初に作物化された決定的瞬間を探すのが的外れな努力だとしても、紀元前5000年までに肥沃な三日月地帯に数百の村があって、完全に作物化した穀物が主食として栽培されていたことは間違いない。//

p71
//農地や農園を耕す目的は、培養変種と競合する大半の変種を除去することにほかならない。//

p74
//今では有名になったが、ギンギツネを人間が馴らしていく旧ソ連での実験は衝撃的な実例だ。130匹のギンギツネのなかから最も攻撃性の少ない(最も人に馴れやすい)個体を選びだし、そういうキツネどうしで交配を繰り返していくというこの実験では、わずか10世代で子孫の18パーセントが、くんくんと鼻を鳴らす、尾を振る、なでられたり遊んでもらったりすると喜ぶなど、家畜のイヌと同じような、きわめて人に馴れた行動を見せるようになった。こうした交配を20世代続けると、きわめて人に馴れたキツネの割合はほぼ倍の35パーセントになった。行動の変容には、耳が垂れる、まだら模様になる、尾が立つといった肉体的な変化を伴っていて、これをアドレナリン生産の減少と遺伝的に結びつける見方もある。//

p75
//わたし自身も20年以上にわたってヒツジを育てているが、ヒツジが臆病な集団行動と個性の欠如の同義語として使われることには、つねづね不満を抱いている。人間が、過去8000年にわたって従順なヒツジを選択してきたのだ。そのなかで、囲いを壊すような攻撃的な個体は真っ先に殺されてきた。だとすれば、どうしてひとつの種を中傷することなどできるだろう。それはヒツジの通常の群集行動に、わたしたちが選択してきた通りの特徴が組み合わさったものなのだ。//

p76
//イヌ、ヒツジ、ブタの場合、脳の部分で最も影響を受けたのは海馬、視床下部、下垂体、扁桃体などの辺縁系で、ここはホルモンの活性化のほか、脅威や外的刺激に対する神経系の反応を担当している。辺縁系が縮小すると、攻撃、逃走、恐怖を引き起こす閾値が上がる。このことが、ほぼすべての家畜種の病的な特徴の説明に役立つ。つまり、感情的な反応能力が全般に落ちているのだ。//

p81
//選択は変異と遺伝によって作用するが、ヒトが最初に農業を採用してからまだ240世代しか経過していない。農業が広まってからだと、せいぜい160世代だろう。//

p97
//定住とそれによって可能となった群集状態は、どれほど大きく評価してもしすぎにはならない。なにしろ、ホモ・サピエンスに特異的に適応した微生物による感染症は、ほぼすべてがこの1万年の間に──しかも、おそらくその多くは過去5000年のうちに──出現しているのだ。これは強い意味での「文明効果むだった。コレラ、天然痘、おたふく風邪、麻疹、インフルエンザ、水痘、そしておそらくマラリアなど、歴史的に新しいこうした疾患は、都市化が始まったから、そしてこれから見るように、農業が始まったからこそ生じたものだ。ごく最近まで、こうした疾患は人間の死亡原因の大部分を占めていた。定住前の人びとには人間固有の寄生虫や病気がなかったというのではない。しかし、その時期の病気は群集疾患ではなく、腸チフス、アメーバ赤痢、疱疹、トラコーマ、ハンセン病、住血吸虫症、フィラリア症など、潜伏期間が長いことや、人間以外の生物が保有宿主であることが特徴だった。
 群集疾患は密度依存症疾患ともよばれ、現代の公衆衛生用語では急性市中感染症という。ヒト宿主に依存するようになった多くのウイルス性疾患については、伝播の仕方、感染力の持続時間、感染後の免疫獲得期間がわかれば、これを下回ったら新たな宿主が見つからないでウイルスが死滅するという、最少人口が推定できる。疫学者が好んで引用するのが、外界から孤立した18、19世紀のフェロー諸島での麻疹の例だ。1781年に水夫が持ち込んだ伝染病によって島は大打撃を受けた。生き残った者は免疫を獲得し、それが一生続くことから、島々には65年にわたって麻疹がなかった。1846年になって麻疹が戻ってくると、前回の流行を生き延びた高齢者を除く全員が感染した。そのまた30年後に流行したときには、30歳未満の者だけが感染した。麻疹に限っていえば、疫学者の計算では、感受性の強い新たな宿主が毎年3000人以上いないと恒久的な感染は維持されず、それだけの宿主を提供するにはおおよそ30万以上の人口が必要になる。フェロー諸島では人口がこの閾値をはるかに下回っていたために、流行のたびに新しく麻疹を「輸入」しなければならなかった。同じ理屈で、当然のことながら、新石器時代より前の人びとにはこうした疾患は存在していなかったはずだ。これは、新世界の人びとが一般に活発で健康だったことの──そして旧世界の病原菌に脆かったことについての──説明にもなる。紀元前1万3000年頃にいくつかの波に分かれてベーリング海峡を渡った集団は、こうした疾患の大半が生じる前に新世界にやってきた。また、集団が小さすぎたから、どのみち群集疾患を維持することはできなかった。//

p99
//麻疹はヒツジやヤギの罹る牛痘ウイルスから、天然痘はラクダの家畜化と牛痘を持ったネズミから、インフルエンザは水鳥の家畜化から、およそ4500年前に生じたのではないかと考えられている。種を越える動物原性感染症の新世代は、人間と動物の個体数が増え、長距離接触の頻度が上がるのに合わせて成長していった。それは現在も続いている。だから中国南東部、具体的には広東省が、新型の鳥インフルエンザや豚インフルエンザの世界最大の培養血となってきたことも、さして驚きではない。あの地域にはホモ・サピエンス、ブタ、ニワトリ、ガチョウ、アヒル、そして世界の野生動物の市場がどこよりも大規模に、どこよりも高い密度で、しかも歴史的に最も集中してきた地域なのだ。//
※COVID-19(新型コロナウイルス)は湖北省武漢市で2019年11月に確認された。この本の原書が2017年発行。すごい!

p100
//定住した人間と家畜、そしてその廃棄物はほとんど移動しないので、同じ型の寄生虫への感染が繰り返し起こった。//……//対照的に、移動性の狩猟採集民は寄生虫を置き去りにして新しい環境へ集団で移動してしまうことが多く、その先ではもう寄生虫は繁殖できない。//

p100
//基本的な原因は群集だと暗黙のうちに認めていた唯一の妙薬が「分散」〔ディスタンス〕だったのだ。//

p101
//群集した人たちが多くの病原菌に対してある程度の免疫を発達させていくと、致死的な疾患は風土病となり、致死率の低い、安定的な病原菌-宿主関係となっていった。//……//病気は、いったん定住地人口の風土病になってしまうと致死率が大きく下がり、大半の保菌者にはほとんど症状がでないままで流通する。この時点で、この病原菌に曝露したことがなく、ほとんど免疫のない者が、この風土病を持っている人たちと接触すると、その人たちだけが脆弱ということになる。だから、それまで群集免疫の枠外にいた戦争捕虜や奴隷、移民、あるいは孤立した村落などは、定住人口の大半が長い時間をかけて免疫を獲得してきた病気をうまく防げないで、罹患する確率が高い。旧世界と新世界の遭遇がネイティブ・アメリカンにとっても大地殻変動となったのも、もちろんこれが理由だった。彼らは旧世界の病原菌から1万年以上も隔離されていて、まったく免疫がなかったのである。//

p102
//「農業女性」に認められる栄養不足(女性は月経で失血するので最も影響を受けやすい)の大半は、鉄不足によるものだったようだ。農業以前の女性はオメガ6およびオメガ3脂肪酸が豊富に供給される食餌をとっていた。猟銃、魚、ある種の植物油などに由来するこうした脂肪酸が重要なのは、これによって、酸素を運ぶ赤血球の形成に必要な鉄分の吸収が促進されるからだ。対照的に穀物食は、必須の脂肪酸を欠いているだけでなく、実は鉄分の吸収を阻害してしまう。こうして、後期新石器時代に初めて穀物食(コムギ、オオムギ、およびヒエ、アワなどの雑穀)への集中度が急上昇した結果、鉄欠乏性貧血が登場し、見間違いようのない法医学的な特徴が骨に残ることになったのである。//

2026.8.6記す

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