いわゆる「専門家」あるいは「研究者」を見るわたしの目に、上から下へのヒエラルキーがしっかり染み込んでいた。村上陽一郎 編『「専門家」とは誰か』(晶文社 2022年)を読み、この本で知った、H.コリンズ/R.エヴァンズ『専門知を再考する』(名古屋大学出版会 2020年)を読んだが、肝腎の《専門知》を吸収する素地がないことを薄々気づくようになった。〈科学社会学〉というものがあって、「市民」や「民主主義」というカテゴリーに「科学」が肉薄している。
Ⅰ 非・対話型専門知
a 無関心民意 < b 付和雷同型民意 < c エコーチェンバー
a 数を問わない < b 居場所の確保 < c 多数派に居場所
*** <:関心の強度
Ⅱ 対話型専門知
間違っているかもしれないが、「対話型専門知」の位置づけを上記の通り試みた。

対話型専門知の必要条件
・対話能力/熟慮能力
『専門知を再考する』
p178 訳者の奥田太郎による
//「メタ基準」における経験と実績の位置が、本文の内容〔※p82〕に照らすと逆の方がふさわしいのではないか、という疑問があったが、コリンズ氏の回答は、この点は議論の余地があるが、変えてくれても自分としては問題ないので、原著の位置を保全したいかどうかで判断してほしい、とのことであった。//……//原著の配置を尊重することととた。//
※p82
//提示された三つの候補のうち経験が最も良いと論じた。//
対話型専門知とは
『専門知を再考する』
p33
//〔対話型専門知とは〕ある専門分野の、実践についての専門知〔=貢献型専門知〕を欠いた、言語についての専門知である。//
p90
//対話型専門知は、身体ごとどっぷり関与している専門家〔貢献型専門知〕と、それ以外の人々との架け橋をもたらし、また、様々な専門的活動に幅広く関わる。//
村上陽一郎 編『「専門家」とは誰か』晶文社 2022年
p250:鈴木哲也、執筆
//これは、単なる命題知(知識がある、知っているという状態の知)とは違う、というのが大事なところだ。だから、「対話型専門知」は誰でも容易に会得できるものではない。しかし、これがあれば、複数の専門分野を有機的に繋いだ価値ある議論ができる。その意味で、「対話型専門知」には万人には会得できない特別な価値があるが、それは万人を排除するものでもない。誰が何についてどのように述べることができるのか、その正当性/正統性を明確にしようというのが、コリンズの提起だ。//
科学論の、第★の波(3つの時期に区分されている)
松本三和夫『科学社会学』東京大学出版会 2021年
P20
//第一の波は、科学知の成功を社会的に説明する「実証主義」の波で、1950年代から1960年代にかけて訪れる。この波は、1970年代のおわりまでに「砕け散った」とされる。//
P20
//第二の波は、1970年代初頭に訪れ、現在まで続く広義の「社会構造主義」の波。//
P20
//第三の波は現在訪れつつあり、公共的な争点をめぐる科学知の合意が形成されていない状況で、科学知をもとにいかなる社会的意思決定が可能かという問題を扱うとされる。彼らは、「社会学的転回」と呼ばれる、科学知識の社会学やアクターネットワーク理論に代表される第二の波が、「政策的転回」ともいうべき第三の波を招きよせた側面に注目する。すなわち、科学技術の論争の決着は科学技術以外の社会的要因を導入しないと説明がつかないことがあるという第二の波の知見を、「専門家の後退」と読み替える。なぜなら、科学技術論争における社会的要因の導入は、公共的な争点をめぐる論争では非専門家に近い「下流」(downstream)の人びとの関与に対応するからである。いったんそのような関与を認めると、専門家とはあくまでも相対的に定義できることになり、論理的にはどこまでいってもより「下流」寄りの人びとの関与が可能になる(たとえば、非科学者は参加の専門家として関与するといった類の無限後退)。//
2026.9.1記す

