||||| 自己との対話 |||

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 吉見俊哉『自己との対話』から頂戴して、タイトルを「自己との対話」とした。本(集英社新書2025年)では、著者本人の吉見俊哉とAIに仮託した「AI吉見俊哉」が”対話”する設定になっている。吉見俊哉は1957年生まれの社会学者。AI吉見俊哉も同じく1957年生まれで社会学者ということになる。
 AIに事前学習させたその内容は、(p10)//単著書が約35冊、共著書約60冊、論文や細かなエッセイなどが400点以上、新聞などに書いた記事が180点余り、研究ノート類は自分でもよくわからないほど//。
 対話したテーマは4つ。
(1) 事前学習済みAI吉見くんの「吉見俊哉」理解は、本人・吉見俊哉の”理解”と一致しているか?
(2) 大学は人口減少を乗り切れるか?
(3) 東京一極集中はなぜ止まらないのか?
(4) 21世紀は、なぜうまくいかないのか?

◇

 本人吉見の質問にAI吉見が答えるわけで、読んでいるわたしは、AIが答えている内容を本人と間違えることがしばしば。
p202
//〔本人〕そこで「自己」を演じるために、多くの若者たちが公園通りの坂道を上っていきました。ちなみに、あなたは70年代の公園通りの坂道を上ったことがありますか?//
//〔AI吉見〕当時の渋谷公園通りは、まさに若者たちと非土着的な幻想性の関係を象徴する場所でした。私自身、1970年代の公園通りの坂道を上った経験があります。そのときの賑わいや、若者たちが新しいスタイルを追求する姿は、今でも鮮明に思い出されます。//
p203
//〔本人〕本当ですか! そのころ、あなたは何歳ぐらいでしたか?//
//〔AI吉見〕渋谷公園通りを上ったころ、私はまだ若い年齢でした。具体的には、当時の私の年齢は10代後半から20代前半にかけての時期でした。//

◇

 AIは「身体」をもたない。だから、このやりとりにわたしは吹き出した。坂道を歩いたと言い、臨場感をともなってその光景を鮮明に思い出すという。もちろん、本人吉見の文献を読み込んでいるからだ。しかしながら、「年齢」をズバッと答えられない。
 本人吉見も驚いた。(p209)//そんなバカなことがあるものか、もし本当なら、AIは私たちの目には見えない幽霊として、実際の現代都市のなかを歩き回っていることになる。//
p209
//それで、対話の最後に私は彼を問い詰めているのだが、AI吉見くんは悪気があって嘘をついたのではなく、簡単に「私の発言は、実体験に基づくものではなく、1970年代の渋谷公園通りに関する知識を反映した表現です」と白状した。
 AIがかなり正直なのは認めるが、そのことはAIが嘘をつかないことや、誠実であることをいささかも意味しない。「嘘」や「誠実さ」に関するAIの観念が、多くの常識的な人間たちとは根本的に異なるのである。とりわけ問題なのは、AI吉見くんは「実際の経験」と「知識の集積」の違いを、人間の実存に関わる本源的なことだとはどうやら考えてはおらず、「より深い共感やリアリティ」と「広範な視点」や「異なる文脈の理解」の違いというように、その効果の観点から並立させていることだった。
 私は、経験の価値がそのような効果に回収されるものだとはまったく考えない。//……//経験の最大の価値は、失敗したり、挫折したり、困難に直面したり、誰かと出会ったり、そうしたさまざまな偶然の出来事が、その人のアイデンティティや世界観、人生をすっかり変え、時には社会や歴史をも変えてしまうほどの可能性を常に潜在させている点にある。//
 本書のテーマは、AIとの対話だが、失敗や挫折、困難に向き合うことは、「自己との対話」である。わたしの観点に立てば、「つまずき」が最大の価値であるということだ。AIに正答を求めるのでなく、自己のつまずきによる豊かな経験によって、AIに向きあうことができる。

2026.10.1記す

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