「こども」とは、だれか?── 擬育54

 小雨のなかを野外活動に向かう5歳児の集団。子どもたちは、カッパを身につけていた。「ここまでしか、とまらへん」と少女は言った。ボタンを2つ止めたところで、うす茶のあたたかいジャンパーがのぞいていた。「おかあさんがユニクロで買ってくれた」とうれしそう。それを隣で聞いていた男児が「あかあさん、ユニクロで働いている」と。子どもたちの暮らしが一気に描けた。
 ボタンが2つで止まってしまったのは、大きくなった、ということでもある。冷たい雨だが、心温まる風景だ。

 カッパの帽子部分が後ろ向きに はずれていて、帽子をかぶっているものの帽子がぬれる。カッパをかけてあげようかと思ったら、手をまわして、器用に自分でカッパをかぶった。5歳児のすることは、もう一人前だ。

 2歳半から小学2年生までを、私は「幼児」と区分し、4歳までを「前期」、5歳からを「後期」としている。幼児後期の最年少5歳(6歳に達している子が大半だろう)に大きく成長した片鱗が見える。

 「こども」とは、だれか?──と、ときおり憤りを伴って思うことがしばしばある。こどものために、と謳いながら、こどものためになっていない事例が多い。「子供だまし」の表現が意味することと同一でないが、似ている。ときには大切にされ、ときにはいい加減にされている。それが「こども」の位置づけだろう。
 その「こども」とは、あかちゃんから小学2年生まで、だ。焦点を絞れば、幼児後期が「こども」に相当する。

 小学5年生からは、(私は)明らかに「おとな」なのだ(としている)。小学3・4年生は、その移行期とみている。子どもが移行するのではない。おとなが見方を変える、おとなに猶予を与える移行期だ。

 こんなふうに捉えると、こども期は、あっという間で、わずかな期間でしかない。こどものために、と謳うならば、小学生の低学年や幼児に対して、社会制度はもっともっと真剣に取り組んで欲しい、と訴える。

 一言つけ加える。コロナ禍が、これだけ長期化すると、わずかな期間でしかない、しかし極めて重要でかけがえのない「こども期」をなんとかして守って欲しい。(緊急事態)宣言の継続か経済か二者択一でなく、子どもの遊び(学び)について真剣に向き合うべきだろう。

(参考)「こども」とは、だれか? 2019.3.27版

2021.3.1記す