昔遊び(伝承遊び)を考える

 「昔遊び」の「昔」とは、いつの頃をさすのだろう。小学校では教育として「昔遊び」の字句を使って、実践的な技能修得の単元を設定しているところがある。「昔遊び」を指導するのは、勤めをリタイアした60を過ぎた人が多いようだ。地域に開かれた公教育ということになっている。60歳指導者の子ども時代、およそ50年前とすれば、2021年-50年=1971年ということになる。昔遊びは「伝承遊び」とも言われる。伝承というからには〈途切れることなく〉伝えられてきた〈昔〉の遊びということになるのだろうか。

 あやとりを例にしよう。あやとりは意外なことに、日本だけでなく世界で親しまれている遊びだ。写真をみていただければわかるように、アフリカの子どもたちがあやとりをしている。子どもたちの手にかけられている糸は、どの指にかかっているだろうか?

(参考)あやとり

 人さし指に糸がかけられている写真は多い。だが、イラストで示されているのは、中指だ。おとなに導かれて糸をあやつっている”現代”の子の指は、人さし指だ。これが伝承というものだろう。
 今、おとなにあやとりをしてもらうと、ほぼすべてが中指でとる。人さし指の事例も見られるが、例外的だ。つまり、あやとりは伝承されていないことになる。

 じつは、はさみを扱うときの人さし指の役割も変わってしまっている。

(参考)はさみの指穴には、どの指を入れるのか?

 百均でビー玉(ラムネ玉)やおはじきが売られているが、それらは手芸等の目的で、子どもが遊んでいる風景を見たことがない。おはじきは親指を主にして、はじいた。「親指」と知らされて驚く”おとな”は多い。

(参考)おはじき

 かんけりで遊んだ、としよう。アルミ缶を蹴ると一撃でへこむ。ましてや、缶を踏むとペチャンコになりつかいものにならない。これは缶を選択することでなんとかなる。
 遊び方は地方によって変わるから一概に言えないが、かんけりは何をもってゲームが終了するのだろう。私が子どもの頃は、「♪オニ ハラ キッタ」と鬼が宣言することで終わった。この声が聞こえると隠れていた子らは10を数え上げられる間に飛び出して缶を踏まねばならない。踏めなかった子らは、じゃんけんをして次の鬼を決めた。ということは、遠くに隠れていることはリスクになる。捕まえられている友達を助けるには、鬼に見つけられないよう飛び出し缶を蹴ればよい。缶の近くに隠れていることが遊びをおもしろくするコツになる。ほかにも遊びのワザはあるが伝承されていない。

 「大波小波くるりとまわってじゃんけんぽい」 60年経ても私が思い出せる遊び唄。「勝って嬉しい花いちもんめ」の唄は今に続いている。何に勝ったのだろう。「負けて悔しい花いちもんめ」は何に負けたのだろう。
 私が覚えている限りは、6年生くらいの女の子がふたり、向き合って手をつなぎ「山」をつくった。山の間(下)をたくさんの子どもがくぐった。お姉ちゃんは「梅と桜とあわせてみれば……」と唄っていた。そして、唄が終わる頃「……しゃんしゃん しゃんしゃん……」と何度も唱えながらタイミングをみて、ひとりの子がつかまえられる。脇に連れて行かれこっそり耳打ちする。つかまえられた子が「梅」か「桜」を告げる。二人いるお姉ちゃんのどちらかが梅で一方が桜だが、それは内緒にされている。こうして、唄が繰り返され、すべての子の組み分けが決まる。突然、お姉ちゃんの一人が手を挙げて「梅集まって」「桜!」 密かに好きなお姉ちゃんの組に入りたいと思ったものだ。そして、始まった。「勝って嬉しい花いちもんめ」
 大きいお姉ちゃんが年少や幼い子の面倒を見ながら遊んでいた。私は、遊んでもらっていた。

 昔遊びの何を今日に伝えなければならないのだろうか? その意味や意義、価値は多岐にわたり、複雑にからみあい、それぞれの地域に文化があっただろうから一概に言い切ってしまうことはできないし、良くないだろう。
 子どもに身を置けば、むずかしい理屈は必要なく、遊びを継承していく条件をととのえておけば、古典のままでなくても、新しい創造を期待できるのではないか。
 失ってしまったものは大きいと言わざるを得ない。

2021.6.15記す

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