||||| 私もがんになりまして |||

松宮満の見聞読録 <2> 2020.5

 2020年4月、総理大臣が新型コロナ蔓延にかかわって緊急事態宣言を発出した4月7日に、私は、大腸がんの切除手術を受けた。
 いやはや思いがけなくもおもしろい体験でもあったので、かいつまんで報告したい。

胃潰瘍は治ったのに

 まずはその前段から。
 昨年2019年3月に私は職場で吐血したため近くの公立病院に救急搬送された。出血性胃潰瘍と診断され5日間入院。内視鏡で見ながら出血場所の血管をクリップで挟んで止血したとのこと。え? クリップで? 写真を見せてもらったら、なるほどそれらしきものが映っていた。
 「クリップはこのまま放置します、皮膚が盛り返してきたら自然に体外に排出されますから」との説明に半信半疑ながら、すっかり感心したものだった。
 その後1年間の経過観察を経て胃カメラで確認したところ、治癒が確認された。
 ついでにピロリ菌の検査をしてみましょうと主治医から勧められたので、好奇心も手伝って、物は試しと検査してみたら、案の定ピロリがいた。
 「この際、駆除しましょう」とまた勧められ、ピロリ駆除用の抗生剤を1週間服用した。
 その後血便が出たので相談したら、「たぶん切れ痔かもしれませんが一応大腸カメラの検査してみませんか?」と気軽に勧められたので、気軽に応じたら、しかしこれがなんとも思いがけず苦しい検査だった。

 前日、腸内の内容物を排出するため大量の下剤(2リットル)を一日がかりで飲み、便が透明の水状になるまでトイレに通う羽目に。便の色見本を渡されてこの色になるまで頑張って、というわけだ。
 当日はベッドに横たわり、肛門からファイバーカメラを盲腸に達するまで挿入し、引きながら撮影をするのだと。腸を膨張させるために炭酸ガスを注入しながら撮影するので下腹部の膨満感が半端なく苦しい。この感覚はちょっと予想外だった。
 カメラを挿入し始めて間もなくカメラマンが「あれ? ちょっと…」などとつぶやくのも気になるし。
 助手に、「あの小さいほうのカメラに変えるからとってきて。うん、ちょっとできものがあってこのカメラがつっかえて入らないから」などと言うのがそのまま聞こえる。
 ふむ。なるほど。何かがあるらしい。と思ってカメラマンに尋ねたら、「いえ、小さいカメラは入りましたから……、あとは主治医の診察時に聞いてください」と。

大腸がんがあった

 で、後日主治医にピロリ駆除の結果と大腸カメラの結果を聞きに行ったら、僕の顔を見るなり、彼はこう言った。
 「ピロリはいなくなりましたが、大腸にがんがありました」
 「S状結腸進行がん」だとのこと。かなり大きくなっているとも。
 鮮明に写った写真を見ると、なるほど腸のトンネルのぐるりにがんがとりつき内径が狭まっており、このせいでカメラが突っかかったのだとわかった。意外にも、がんの表面は艶のあるきれいなピンク色だった。先入観では、がんは「黒ずんだまがまがしい肉塊」のイメージだっただけに、この写真に写っている僕のがんの容貌はむしろ「健康的な」印象を受けた。それもあってのことか、「がん告知」のショックはなかった。ふーむ、これが俺のがんか、なるほどなあ。僕はパソコンのモニターに映し出された「俺のがん」に思わず見とれてしまった。
 主治医からは、直ちに手術をするよう勧められた。各種検査の結果、まだ転移していないようなので、手術は早い方がいいですよ、とのことだった。

 しかし僕は即答を避けてこう考えた。「がん放置療法のすすめ」を提唱する医師近藤誠の著作になじんでいたため、これは転移能力のない「がんもどき」らしいと考え、このまましばらく様子を見たいと答えた(がん放置療法については「近藤誠がん研究所」のホームページを参照)
 これに応じて主治医はおだやかに、諭すように、重ねて手術を勧めた。
 「手術をするもしないもあなたの意思次第ですからそれでもいいのですが、このままだと、がんが肥大して遠からず腸閉塞になります。腸が破裂して急性腹膜炎になったら開腹して腹腔洗浄ですよ。命にかかわりますよ。いずれにしても手術することになります。だったらいまのうちに腹腔鏡でがんの切除手術した方が合理的だと思いますよ」
 なるほど腸閉塞か。腸閉塞はかなわん。御免こうむる。どうせ手術することになるなら、この際お願いするかと、主治医の勧めに応じて、手術に同意したというわけだ。それが3月25日。
 翌日、それまでの消化器内科の医師から消化器外科の医師に主治医がスイッチし、手術の段取りとリスクに関する説明を受けた。

 腹腔鏡下のS状結腸進行がん切除手術。下腹部に左右2個ずつの穴をあけて患部と付近のリンパ節を切除(廓清)。臍を5センチ切り拡げ、ここから切除したものを取り出す、とのことだった。――臍から腸を取り出すとはね。おどろいた。
 「大腸は20cmほど切除します。後の吻合はホッチキスで。4個の穴と臍の傷は溶ける糸で縫合。吻合不全のリスクは全国平均5%、当院では1%です」と。
 え、100件に1件とは結構なリスクですねえ、などと言ったりするうちに段取りはどんどん進み、「今日のうちに血液検査、CT検査、腹部エコー検査を済ませてください、今は満床ですが、ベッドが空き次第電話しますので、すぐ入院できるよう準備しておいてください、入院翌日に手術します。入院予定は1週間です」
 結果、がん発見から2週間足らずで手術することとなった。3月25日発見、4月6日入院、7日手術、12日退院。

手術はうまくいったが

 手術時間は事前の予定では3時間だったが、本番では5時間かかった。手術に取り掛かったら、大腸の周りにまとわりつく脂肪が予想外に多く、これを処理するのに2時間かかってしまったと後で主治医が笑って話してくれた。おかげで、手術中待機していた妻と息子は、何事かアクシデントがあったかと、やきもきしたらしい。
 後日手術料の内訳を見ると、「超音波凝固切開装置」とか「自動縫合器」などの機械を使ったことが分かった。なかなか機械化されているようだ。
 麻酔は、閉鎖循環式全身麻酔。「セボフルラン吸入麻酔液」など11種もの薬剤が使われていた。全身麻酔をかけると呼吸も止めてしまうので、人工呼吸器を使うとのことだった。その際、肺に空気を送る管を挿管するため口腔内の歯周病菌が空気に紛れて肺に入ってしまうリスクがあるとかで、手術までに歯科で口腔クリーニングを3回もされた。最近テレビや新聞などで歯周病菌のリスクについての番組や記事が目につくようになったが、大腸の切除手術に備えて口腔クリーニングをさせられるとは、まったく予想外だった。

 術後一晩は集中治療室だったが、翌日から、歩け歩け、食べろ食べろ、シャワー浴びろ……。で、なんと術後5日で退院することになった。
 話には聞いていたが、これほどとはね(知り合いの大腸がん手術経験者は開腹して40日入院したらしい)
 歩も食も浴(温)も、全身麻酔で眠った腸に刺激を与えて覚醒・活性化させるためとのことだった。脚力や体力や清潔のためと思っていただけに、この話を聞いて、なるほどそういうことだったのかと大いに納得した。ベッドの上で安静にしていると、ぺったんこになったままの腸が癒着してしまうので、それを防ぐためだった。血液の循環もよくなるだろうしね。
 看護師が毎日4度バイタルチェックに来るたびに腹部に聴診器を当てるのは、腸の蠕動を確認しているのだと教えてくれた。手術直後は、シーンとしているのだそうだ。そのうち蠕動が始まると、音が聞こえ始めるのだそうだ。「その音を確認しているのです」。
 いろいろ意外な発見やなるほどと思うことがあって、興味深い1週間だった。

 で、10日後、退院後初通院で血液検査と診察では、予後はオールOK。病理検査の結果も良好。リンパへの転移もなし。
 術前の見立てではステージ2だったが、術後の病理検査ではステージ1だったとのこと。したがって抗がん剤も不要。食事制限もなし。
 ──とのことだった。

 で、今僕が抱いている疑問は、僕は切除した今も「がん患者」なのだろうか? それとも「元がん患者」なのであろうか? というものだ。とりあえずがんは切り取ったし転移は見つかっていないのなら、もう「がん患者」ではないと言えそうだが。
 日本癌学会のホームページを見ていたら「がんサバイバー」と呼んでいた。うむ、しかしこれももう一つしっくりこないなあ。
 主治医は、経過観察のため5年間通院してCT検査などしてくださいと言っているので、まだ「完治」したわけではないとも言えるしなあ。
――というようなことを、ふと思ったりするが、しかしこの問いは不毛だし、たいして意味はない。完治か未完治か、正か負か、その境目にこだわるのは徒労である。前述した近藤誠の代表作に『患者よがんと闘うな』(文藝春秋)というのがあるが、僕もその境地でありたいと思う。

松宮満 2020.5.18
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