保育室や園庭の環境

 民間の認可園を訪ねると、「訪ねたくなる保育園」という条件をつけてしまうが、一つとして同じものがなく個性的だ。園庭が広い上に、背後の山も園の所有で面積はヘクタール単位であったりする。公立の園(保育所)は画一的な印象をぬぐえないが、規模は千差万別だ。幼稚園はもちろん、認定こども園も規模は大きく園庭も広い。出入り口は同じでないが、老人福祉施設を併設しているところも少なくない。
 でも、以上は、おとなの眼。あかちゃんは、ほふく室で一日の大半をすごす。5歳児は広い園庭を走りまわっているわけでない。お気に入りの場所がある。入ったことのない部屋もある。裏山では一度も足を踏み入れたことがないと思ってしまうところもあるだろう。
 広ければよいというものではない。最も大切なことは、自分が所属する保育室のデザイン(飾り付けという意味ではない。子どもを誘導する動線、什器備品類、「コーナー遊び」をする場所など)と、園庭に心わくわくする場所があるか ── ということだろう。

 都会と田舎ではどうか。保育の始まりは、明治期においては都会の貧困と農繁期の水難事故だ。保育が福祉事業たる所以だ。幼児教育の始まりは、保育の始まりと一線を画されている。それを指摘するだけにして、しかし、認定こども園という制度が2015年に始まり(それ以前より、名称だけはスタートしていた)、子どもの発達を保障しようという社会保障制度により子どもの幸せを願う社会に進んでいると私は信じたい。

 少し脱線気味だ。戻す。保育室は空調がゆきとどき、サッシ枠の窓で囲まれている。昔の縁側では、蚊にさされないよう蝿がとまらないよう婆さんがうちわで昼寝する孫を扇いだ。のどかな風景だ。これを保育業務に望もうとは思わない。でも、大気(空気)を感じながらスヤスヤ眠れることは、極めて大切ではないだろうか。「いのちに出会う」ということは自らのこうした体験を通して修得するものではないだろうか。証明できないが……。

 はだし保育の実際をご存じだろうか。寒冷地と温暖な地域とで一概に言えないが、子どもは「はだし(裸足)」が平気だ。夏に裸足でいられる子ども(幼児)は、冬でも裸足で平気だ。夏の園庭には水たまりがある。裸足のあかちゃんはそこを這う。そして坐る。お尻は水たまり。坐れば泥をつかむ。つかめば口にもっていく。私はこういう場面に出会うと、あかちゃんの3年先、4年先、5年先、たまらなく希望が見えてくる。

2021.1.6記す