4歳児の沢登り
冬期間は、幼児たちと「沢登り」をする。「沢」とは、”がけ”や谷のことで、水の流れているところや枯れた沢、くぼんだ地形をさす。水がたまったり流れたりするところはマムシがいてもおかしくないが、寒いときは安全と思ってよい(事前に確かめはする)。
見た目”深い谷”であっても、実際に踏み込んでみると思いがけない”空地”があったりする。その空地から見上げる方向に向かって沢登りをする。
目指す方向は、じつは先程歩いた”やまみち”。だから、明るい。目標としやすい。子どもたちは”やまみち”と、わかっていない。
目指すルートを自覚すると沢を登り始める。茨(いばら)やトゲのある木や枝を事前に取り除いている。冬季だから落ち葉がたっぷり。枯れ木や枯れ枝がここかしこにある。木を助けにしようとするとポキッと簡単に折れる。少しじょうぶな枝も使っているうちにやっぱり折れてしまう。落ち葉に”慣れ”、枯れ木が折れ、学習を重ねると、どうやって登ろうかと考えるようになる。
比較的平坦な空地から、目指す到達地点手前は、どうしても急な坂になっている。坂の途中で足もとが不安定になると落ち葉とともに滑り落ちる。はじめての”落下”では少々おどろくが、「たいしたことない」と悟れば、ふたたびアタックする。足場をさがすようになる。「みち」を「自分でみつける」。つかまえられそうな丈夫そうな木を選別するようになる。
こうしてトランアンドエラーを繰り返しながら、目標に到達するまでの所要時間は、たかだか5分程度にしている。到達してみると、そこはこの場所まで歩いてきた”やまみち”だったという発見になる。達成感は「もう一回」を宣言し、山道を小走りに急ぎ、サーキットが始まる。
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目指す到達地点手前の急な坂で、過去、わたしはロープを投げ込んだ。すると、体重のすべてをロープにかける。足場確保に意識がむかなくなり、一方、自身の体重をささえるほどに握力がない。足が浮く。ぶらさがり状態になったところへ、まわりの子らが群がる。ロープは安定を失う。以来、ロープは、わたしのリュックに収めたまま使用を控えるようになった。5歳児の場合は成功するが、4歳児では無理と判断し、それからは状況次第にした。
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さて、ある日の4歳児。
二人の子どもが独自で見つけたルートを登ってきた。到達直前というところ(つまり、急坂手前)で進路を悩んでいる。わたしは、1メートルほどの枝を差し伸べた。ギュッと握り返すと思ったのに、自身のバランスをとる程度、木に”ふれ”軽く握る程度だ。だから、足場確保に、より意識が働く。自らの意志で歩こうとしている。木にふれてまもなく、山道にからだを持ち上げてきた。枝から伝わってきたのは、4歳児(満年齢ではおそらく5歳)のこころだった。わたしは、深く感動した。
2025.3.15記す