「科学信仰」に異議あり!
小谷敏『子どもたちは変わったか』世界思想社 2008年
p42
//戦後の日本社会を覆っていたのは、科学信仰です。〔A〕敗戦の原因を日本人の「科学する心」の欠如のなかに求めることが一般的でした。日本は、アメリカの圧倒的な物量を背景とした科学技術の前に敗れ去った。日本が勝てるはずもないアメリカとの戦いに向かった原因も、「科学する心」の欠如に求められていたのです。//
〔A〕以降はそうかもしれない。異議はない。「科学する心」については、さらに書き進められている。わたしが疑問に思うのは「科学信仰」だ。「○○信仰」という一見”わかりやすさ”、ステレオタイプにある。「科学」を修飾してしまうのは、いささかミスリードではあるまいか。
科学を信仰の対象にするということは、その対極または参照されるものは何か。端的に宗教や神仏や精霊(アニミズム)ということになるだろうか。心はどこにあるかと問われたら今日では脳に原因していると応じる人が大半だろう。胸に手をあてる人がいるかもしれない。胸に手をあてても、わたしはそれに異議をはさまない。
断っておくが、社会学者小谷敏『子ども論を読む』(世界思想社2003年)で多くを学んだ。小谷は「若者論」を得意としている。『子どもたちは変わったか』全10章のうち幼い子どもは第1,2章の一部で大半は若者論になっている。
井田進也/編『兆民をひらく』光芒社 2001年
p28
//兆民は創刊直後の自由党の機関紙「自由新聞」に書いた「政党の論」でそれを論じている。//……//古来博物の君子ガルワニー、ニュートン、コーペルニクらの学術において偉大の功を建立せし所以の者は職としてこれに由るなり。けだしその互に相競ふて自らその真理とする所を主張するに当り、我れと意見を同くする者相聚りて一党をなす、これ即ち学術の党派なり。政治の党派もなほかくの如きなり。//……//理学士兆民は、究極的には感性の人だったのだ。//(p45)※中江兆民(1847-1901) 小谷は兆民を賞賛している。
学びが多かった故に、一言 言っておきたかった。
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小学5年生からを「おとな」としたものの、それ以降をどう捉えてよいのかその指針を持てていなかったが、小谷の若者論に出会って、社会学として見通す方法がありそうだと良い刺激を受けた。
2026.5.1記す
