道路は、公園よりも はるかに 魅力的な遊び場だった

宇沢弘文『自動車の社会的費用』岩波新書 1974年
p90
//現在自動車通行が認められている日本の道路はそのほとんどについて、もともと歩行者専用のものであった//
p90
//〔道路は〕文化的・社会的交流の場として重要な役割をはたしてきた//
p91
//〔他国事例を受けて〕とくに日本についてみれば、街路は子どもの遊び場としてかけがえのない場所を提供してきた、ということを指摘しておきたい。東京、大阪などの大都市についても、自動車通行によって街路が子どもたちの手から奪い取られる以前には、街路は公園などよりもはるかに魅力的な遊びの場を提供してきたことを記憶している人々は多いであろう。この点についていえば、たしかに東京、大阪など日本の都市における公園の面積は、都市の全面積との比率についても、人口の比率についても、ヨーロッパやアメリカの都市に比較して、問題にならないほど低い。たとえば、東京はわずか1.15平方メートル、大阪は1.32平方メートルであって、ニューヨークの17.2平方メートル、ロンドンの22.8平方メートル、ベルリンの24.7平方メートルに比べて、いかに低いかがわかる。しかし、街路がじつは公園の代替として、あるいは公園よりはるかに望ましい子どもたちの遊び場であったことを考えると、日本の都市はたとえ公園面積は少なくとも、子どもたちにとって望ましい構造をもっていたということができよう。しかし、自動車の普及によってこの状況は一変した。街路はいたるところ舗装され、歩道のないところに自動車が通行する。交通事故、公害などの点から、街路はもはや子どもたちの遊び場どころでなくなってしまった。//

p67
//日本における自動車通行のもっとも特徴的な点を一言にしていえば、歩行者のために存在していた道路に、歩行者の権利を侵害するようなかたちで自動車の通行が許されているという点にある。都市と地方とを問わず、道路は、もともと歩行者のために存在していたものであり、各人が安全に、自由に歩行することができるというのは、近代市民社会における市民のもっとも基本的な権利の一つである。この市民的権利を侵害するような自動車通行がこれほど公然と許されているのは、いわゆる文明国において日本以外には存在しないといってもよい。//
p62 歩道橋
//いたるところに横断歩道橋と称するものが設置されていて、高い、急な階段を上り下りしなければ横断できないようになっている。この横断歩道橋ほど日本の社会の貧困、俗悪さ、非人間性を象徴したものはないであろう。自動車を効率的に通行させるということを主な目的として街路の設計がおこなわれ、歩行者が自由に安全に歩くことができるということはまったく無視されている。あの長い、急な階段を老人、幼児、身体障害者がどのようにして上り下りできるのであろうか。横断歩道橋の設計者たちは老人、幼児は道を歩く必要はないという想定のもとにこのような設計をしたのであろうか。わたくしは、横断歩道橋を渡るたびに、その設計者の非人間性と俗悪さとをおもい、このような人々が日本の道路を設計し、管理をしていることをおもい、一種の恐怖感すらもつのである。//

凶器優先社会:クルマを、なぜ規制できないのか!
銃規制を、アメリカはなぜできないのか?の問いと等しく、日本は〈なぜ、クルマという凶器通行を規制できないのか〉を問うときにきているのではないか。
銃の犠牲は不運なのか? クルマの犠牲は不運なのか?
+ 子どを認めたら減速しよう
+ 横断歩道で歩行者を見たら停止しよう
「みち」から「道路」へ
言葉が変わっただけでは、すまない
「みち」──とは
「み」は雅語で美称の接辞。「ち」は道の意。
──『新明解国語辞典 第三版』「みち」の項
古くは、人が通行する所には、そこを領有する神や主がいると考えられ、人はそこを通るときは安全を祈って手向けした。ミサキ(岬)・ミサカ(御坂)・ミネ(峰)などはこの類。しかし、一音節の語は不安定なので、ミネ・ミス(御簾)がミを伴った形でもっぱら使われるようになったのと同様、ミチもこれ自身で一語と考えられるようになった。ミチは多くの人が踏みならし、行き来する筋。また、…へ通じる筋。転じて、道程、方法の意を表す。
──『古典基礎語辞典』(大野晋/編)「みち」の項
思い出は、道といっしょに浮かんでくる。
藤田圭雄(1965年)『童謡歳時記』
p152
//わたしたちの子どもの頃の道は、人間の通るためのものだった。時には馬も通る、車も通る。しかし、まず、徒歩の人間のために考えられていた。それも下駄や草履が半数以上を占めていたから、アスファルトや、コンクリートよりも、土そのままの方が具合が良かった。雨でも降れば泥んこになるが、それはそれでまた風情があった。
都会の子どもたちにとっては、道路がまた遊び場でもあった。メンコをするのも、ビー玉で遊ぶのも、三角野球をやるのも、羽根つきをするのも、凧をあげるのも、石けりをするのも、ジャンケンとびや、縄とびも、すべて道路が使われた。
学校へ行く道、お使いに行く道、たのしいことも、うれしいことも、すべて道路からやって来た。
道路の両側も、今日のように、コンクリートや、ブロック塀は少なく、もっとやわらかい感じの板塀が多かった。嵐のよく朝など、その板塀が倒れて、家の中がまる見えになっている風景もよくあった。からたちや、ぼけの垣根で、季節になると美しい花が咲くこともあった。
幼い頃のいろいろの思い出が、道につながり、道といっしょに浮かんでくる。//
p154
//わたしたちは、からたちの青いとげの先に、小さく切った紙切れをさして、全速力で走ると、その紙切れがくるくるとまわるのを喜んだものだ。//
p157 サトウ・ハチロー「おくれて学校へ行く道」
おくれて学校へ 行く道は
朝でも 日暮の色の道
人かげのない うらの道
でんでんむしの すきな道
おくれて学校へ 行く道は
いつでも じめじめしている道
水色蝶々が いそぐ道
お馬の水のみ ある小路
おくれて学校へ 行く道は
店屋が ならんでいない道
かたがわレンガの 塀の道
古いポストの ある小路
おくれて学校へ 行く道は
とかげがみえて 消える道
びっこのかえるが 歩く道
むやみにすて猫 ある小路
おくれて学校へ 行く道は
なんだか遠くて のろい道
つかなきゃいいなと 思う道
そのまま歩いて いたい道
※第4連に「びっこの……」という言葉のつかいかたがあります。差別語なのでためらうものがありますが、「みち=道」のありかたを問いたいために、公開したいと思いました。
学校へ行く道の風景が、かつてこのような時代があった。これをノスタルジアに留めないで、学校へ通う気持ちをこの詩が許し包みこんでいるように、学校と子どものかかわりを創造して欲しい。そして、クルマ優先でないまちづくりこそが子どもを育てる社会ではないでしょうか。

2021.2.22記す