はじめに ──「子育て」に目覚めて

 「保育と子育て」── 言葉の並びを変えることで、同じ内容に思えることでも見える世界が違ってくる。2008年から「保育と子育て」という命題を保育士養成校教員時代から思考してきた。2018年に認定こども園を辞め、保育の現場と距離をとりはじめてから「子育てと保育」と並び順を変えることにした。
 変えた当初は、目指すことが特に変化したわけではない。他の保育園を出入りしていることもあって、思考はまだまだ「保育」優先だった
 園外で子どもたちと接したり、園の内でなく、園の外で保護者たちと接しているうちに、「保育」優先は変わらないまま、「子育て」の意味を考えることに馴染んできた。
 子どもの「発達」を考えるについて、「保育=子育て」と等号で結べると思っていたが、それは間違っていることを徐々に認識するようになった。
 保育を優先して考えているときは、その「現場」にいた。現場で経験を積みながら、あるいは研鑚しながら「保育」を考えていたということが、今更に気づく。理論に曖昧さを感じながらも現場をこなす、という感じだった。しかし、現場を離れて「子育て」を考え、保護者に納得のゆく説明をしようとすると、ごまかしがきかない。

 朝起きれば食卓の用意をし、食事をし、場合によっては乳幼児に食べさせ、自分の出かける準備をし思いを巡らし、学校へ送り出し、保育園に子どもを送り、やっと走りながら自分の用事に集中できる。子どもの迎えは省略しよう。こうした日常を繰り返すなかで通用する「子育て」の理論とは何だろうか。
 子どもにとって最も大切な人は、親だろうしきょうだいだ。どんなに先生が熱心になろうとも、子どもに慕われようと、親に勝るものはない。手垢のついた表現みたいだが、そうなんだ。
 そうやって、やっと私は目覚めたかなというのが、今の到達点だ。連載として、続けて考えてゆく。

2019.1.28記す

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