毎日がドラマ、だから保育は楽しい。親はツライ。── 擬育6

 「血湧き肉躍る」は青春だけではない。幼児期もそうだ。青春の毎日がもしそうだとしたら疲れて心身もたないだろう。だけど、幼児はへこたれない。眠気がさめたらドラマが始まる。泣き終わったら復活する。おはよーと声かけられて、さあ始まったと思える保育者は子どもが見える。ドラマにつきあえる仕事が保育。でもね、毎日はキツイと思ってしまうのが親(ですよね)。
 山あり谷ありのドラマではないけれど、遊びたい気持ちが押さえられない。そうしたドラマがゆるされる環境で子どもは育つ。砂場で遊ぶ姿は荒々しくないけれど、見立て遊び・ごっこ遊びにふける。絵本のページをめくるように、始まりと終わりのストーリーがある。あえて参加する必要はないけれど、そばにいてくれているだけでいいのだけれど、保育士や親がおとなが見守ってくれているだけで物語は進行する。いつまでもつきあえるのが保育者。そろそろ帰りたいなあ、帰ってすることあるしと思うのが親。
 雨降りでも、かさであそべるよ。テーブルがあれば、お絵かき、折り紙、本読み、なんだっていい。いっぱい遊んだら、片付けなくっちゃ。ルールを決めているのが保育者。結局、最後は私の役目と思ってしまうのが、親。
 親は大変だなあって思う。毎日毎日、際限がないのだから。ドラマの主人公、脇役、仲間に入りにくい子、それぞれの正確や発達のようすをフォローするのが保育者の大切な仕事だが、その期待に応えるには不断の準備が必要だ。これを楽しいと思えるかどうか。
 そのドラマはいつまでも続くのではない。小学5年生くらいになるとけっこう冷めてくる。早ければ、小学3年生あたりから偶発的なドラマを期待しないで計画好きになるかもしれない。きのうと今日、今日とあすの区別をつけようとするだろう。子育てのしんどさは、子どもにバトンを渡すことで軽減される。心配はいつまでもだが……。

2019.4.18記す