||||| 年齢の数で遊ぶ──「集団」の意味 |||

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 0歳は母の世話になり、1歳では1人で遊ぶ。2歳では誰かと対になって遊ぶ場面が見られる。3歳になると3人で遊べるようになる。自分を含めての数なので、3歳では2人の友達と遊べるということだ。2歳の対になっている相手は「友達」とは呼べない。しかし、3歳になると、だれそれちゃんと名前を呼ぶことをしながら、友達らしくなってくる。
 園庭では多数の子らが遊んでいる。集団で育つとはいえ、よく観察すると一人遊びしている子がいる。遊び仲間を作っているとはいえ、目安は年齢だ。〈年齢の数で遊んでいる〉。4歳なら4人。5歳なら5人。まさか、そんなマニュアルのように遊んでいるわけではないが、必ずしも多くない。5歳の5人はメンバーが変えながら、それなりの集団を為している。

 興味深いことは、泥だんごを作る遊び。「ひとり遊び」に泥だんご作りはカテゴリーされるかもしれないが、これも園庭をよく観察してほしい。砂場の端、園庭の隅っこ、花壇の端っこですわりこみ泥だんごを作っている。泥だんごに適した土があるのだろう。そして、1人ではなく、なぜか2人、3人が寄り添って作っている。競い合っているふうでなく、楽しんでいるようすだ。視野をひろげると、泥だんごに興じているグループはほかにもいる。一箇所に集中せず散らばっているが、それぞれが3人程度のグループを為している。
 友達はどのようにして得られるのだろう。子ども同士、幼児のあいだの人間関係はどのようなしくみになっているのだろう。それは研究者におまかせするとして、泥だんご遊びにあるように、一緒にいる時間の共有が大切なのかもしれない。共有という意味では、10人、20人という集団生活にも大切な意味が含まれているのかもしれない。

 幼児だけの遊び集団は、保育園など特殊な場合に限られ、大きいお兄ちゃん・お姉ちゃんに遊んでもらっているのが、幼児だ。5人程度で鬼ごっこをしてもつまらない。10人くらいだと遊び集団にリーダーの役割が必要になってくる。小学生が主体の場合、リーダーの力量次第で集団の大きさが決まるということか。


 「心の理論」で〈他者/自己〉を学んだことで、本稿の「0歳は母の世話になり……」から始まるくだりは〈間主観性〉を表す。そして、太字で示した箇所は、遊んでいる子らの心に〈他者〉が入り込んできているのだろう。(この部分 2020.1.10記す)

2021.1.10Rewrite
2019.6.12記す

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