||||| 細やかに応答 / 愛があるから気分的 |||

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 親にとって保育園との出会いは、親の都合で子どもを預ける先の選択結果だろう。2015年4月から幼稚園と保育園のほかに「認定こども園」(名称としては2006年からあった)が加わった。それらの違いを行政は説明をしたが、実際の現場は混乱した。それまでの「保育に欠ける」が「保育を必要とする」と入所条件が変わり、「教育」を目的とすることには、幼稚園に対して認定こども園が加わった。幼稚園が認定こども園に移行するときは、「教育」プラス「養護」になった。これらはすべて”おとなの都合”だ。
 6歳の小学1年生は、公立・私立の違いはあっても受ける教育は同じだ。しかし、5歳の幼児は、親の都合で行く先が選択され、受ける教育(養護)も同じとは言えない。義務ではないから極めて少ないが、無就園児も存在する。
 とはいえ、私は「認定こども園」に希望をもっている。働いている/いない、という親の都合でなく、教育の機会を包括的に設定できるのが、認定こども園だから。ただし、理想実現は10年以上まだかかるかもしれない。肝腎かなめは、お客としてでなく、主体者として子どもをどう位置づけるからにある。子どもを主体者としてとらえるのに、保育現場の認識がそう簡単には変わらない。子どもの心身を細やかに観察し、必要な援助をタイミングよく「細やかに応答」するということになる。
 親にしてみれば、細やかに我が子につきあっているし、”後ろ姿を見て育つ”に強迫されて、いつも模範でありたいと思う。「細やかに応答」は保育を職業としている専門家が目指すことであって、親に対してではない。子どもと向き合うとき、親の場合、「愛があるから気分的」でよいのではと私は思う。愛がないより、愛のあるほうがよいに決まっている。素敵で好きな先生がいても、お迎えがきて親の顔が見られたときがやっぱり幸せ。応答するためのモノサシで測ったような暮らしでなく、出たとこ勝負の気分屋で十分。親子だからわかり合える、感じられる。家庭ではしっかり甘えたい。甘えてくるから、愛らしいし、めんどくさい。

2022.8.15Rewrite
2019.8.23記す

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