細やかで応答的 / 愛があるから気分的 ── 擬育14

 親にとって保育園との出会いは、親の都合で子どもを預ける先の選択結果だろう。2015年4月からは幼稚園と保育園のほかに「認定こども園」(名称としては2006年からあった)が加わった。制度としてはそれらの違いを行政は説明をしたが、実際の現場は混乱した。それまでの「保育に欠ける」が「保育を必要とする」と入所条件が変わり、「教育」を目的とすることには、幼稚園に対して認定こども園が加わった。幼稚園が認定こども園に移行するときは、「教育」プラス「養護」になった。これらはすべて”おとなの都合”だ。
 6歳の小学1年生は、公立・私立の違いはあっても受ける教育は同じだ。しかし、5歳の幼児は、親の都合で行く先が選択され、受ける教育(養護)も同じとは言えない。義務ではないから極めて少ないが、無就園児も存在する。
 とはいえ、私は「認定こども園」に希望をもっている。働いている・いない、という親の都合でなく、子どもに必要な教育の機会を包括的に設定できるのが、認定こども園だから。理想に近い実現には10年以上まだかかるかもしれない。それの肝腎かなめは、お客としての子どもでなく、主体者としての位置づけだから。言い換えれば、子どもを主体者としてとらえるのに、10年はかかりそうだということだ。「細やかに応答的」──子どもの心身を細やかに観察し、必要な援助をタイミングよく応答するということになる。
 今回は、少々むずかしくなってしまった。親にしてみれば、細やかに我が子につきあっているし、”後ろ姿を見て育つ”に強迫されて、いつも模範でありたいと思う。「細やかに応答的」は保育を職業としている専門家が目指すことであって、親に対してではない。子どもと向き合うとき、親の場合、「愛があるから気分的」でよいのではと私は思う。愛がないより、愛のあるほうがよいに決まっている。園に素敵で好きな先生がいても、お迎えがきて親の顔が見られたときがやっぱり幸せ。いちいち応答するようなモノサシで測ったような暮らしでなく、出たとこ勝負の気分屋で十分。親子だからわかり合える・感じられる。家庭ではしっかり甘えたい。甘えてくるから、愛らしいし、めんどくさい。

2019.8.23記す