リチャード・ドーキンス
『利己的な遺伝子』紀伊國屋書店 2018年(40周年記念版)
+ 訳:日高敏隆/岸由二/羽田節子/垂水雄二
p218
//母親はひいきの子どもを作るべきか、それともすべての子どもに等しく利他的に振る舞うべきか。しつこいと思われるかもしれないが、私のおきまりのことわり書きを、ここにも改めて挿入しておきたい。「ひいき」という言葉に主観的な意味合いはないし、「べき」という言葉も、倫理的な用語として使っているのではない。私は、母親というものをある種の機械として取り扱っている。この機械の内部には、遺伝子が制御者として乗り込んでいる。そしてこの機械は、その遺伝子のコピーを増殖させるべく、能力の限りあらゆる努力を払うようにプログラムされている。読者の皆さんも私もまた人間であり、自覚的な目的を持つことがどのようなことかを知っている。そこで、生存機械の行動を説明するに際しては、目的に関連した用語を比喩的に使用すると都合が良いというわけだ。//
この本は比喩が極めて多い。本書を読み進むうちに、ん?どういうこと?と比喩に戸惑うことはある。しかし、それに慣れてくると、科学的文章のスタイルに(こういう書き方もあっていいんだ!)と発見する気持ちにもさせられる。
上記この引用部分について、意訳ではなく忠実に日本語に訳されているとすれば、「べき」という言葉の当て方がうまいと思う。
p209
//そもそも福祉国家というものはきわめて不自然な代物である。自然状態では、養いきれる数以上の子を抱えた親は孫をたくさん持つことができず、したがって彼らの遺伝子が将来の世代に引き継がれることはない。自然界には福祉国家など存在しないので、産子数に対して利他的な自制を加える必要などない。自制を知らぬ放縦をもたらす遺伝子は、すべてただちに罰を受ける。その遺伝子を内蔵した子どもたちは飢えてしまうからだ。私たち人間は、過剰な人数を抱えた家族の子どもらを飢え死にするにまかせるような昔の利己的な流儀に立ち返りたいとは望まない。だからこそ私たちは、家族を経済的な自給自足単位とすることを廃止して、その代わりに国家を経済単位にしたのだ。しかし、子どもに対する生活保障の特権はけっして濫用されてはならない。
避妊は、しばしば「不自然だ」と非難される。たしかにそのとおり、きわめて不自然に違いない。ところが困ったことに、不自然なのは福祉国家も同様だ。私たちのほとんどは福祉国家をきわめて望ましいと信じているように私には思える。しかし、不自然な福祉国家を維持するためには、私たちは同様に、不自然な産児制限を実行しなければならない。そうしなければ、自然状態におけるより、さらにみじめな結果に至るだろう。福祉国家というものは、これまで動物界に現れた利他的システムのなかでも、最も偉大なものかもしれない。しかしどのような利他的システムも、本来は不安定だ。それは、利用しようと待ち構える利己的な個体に濫用されるであろうからだ。自分で養える以上の子どもを抱えている人々は、おそらくほとんどの場合、無知のゆえにそうなっているのであり、彼らが意識的に福祉の悪用を図っているのだと非難するわけにはいかない。ただし、彼らがたくさんの子を産むよう意図的にけしかけている指導者や強力な組織については、その嫌疑を解くわけにはいかない、と私は思う。//
※ユニークな福祉国家論である。
本書の原書タイトルは『 The Selfish Gene 』であり、日本語版タイトルは『利己的な遺伝子』だから、比喩ではなく、直訳と言ってよい。「利己的」に対する言葉を「利他的」とし、徹底的に両者それぞれの立場から考察を行っている。本書の主役、主語を語るのは「遺伝子」である。遺伝子の宿る母体を「生活機械」としている。即ち、遺伝子を主体者として、遺伝子からみた生命ということでもあろう。──そして、主体者とは「利己的な者」であるの意が含まれているようにも思われる。
遺伝子プールの記述があるページ
p165 p166,167 p179 p206 p214 p225 p235 p271 p280
p326
さえずりプール
p331
ミーム・プール
2024.11.26記す