「先生」── 擬育18

 3歳の幼児に「センセー」と言わせる。すぐに馴れ、当の先生もニッコリ受けいれる。これをとやかくいうつもりはない。呼び名や呼称は対応するものがあれば、実用や慣習として通用し、便利だ。1970年代後半、私が初めて着任した保育園では、なんと呼び捨てだった。つまり私は「ヤマダ」だった。学園紛争や紅衛兵の影響を受けた男の先生がその園にいて”革命”だった。当時は、「保育士」ではなく「保母」が職業名で女性の仕事だった。男性は全国的にも珍しい存在だった。今通っている保育園では、姓名のうち名を呼ぶ。○○ちゃん。園長も主任も名で呼ばれる。そして、必要があって〈先生〉を使うときは〈おとな〉という。
 小学校は別のルールがあってよいだろう。乳幼児に、礼儀やしつけ、あるいは尊敬の念を身につけさせようとしても”発達的”に無理がある。卒園式で園児が大きくなったら何になりたい、を問うとき、ケーキ屋さんになりたい、サッカー選手になりたい、に続いて、「保育園の先生になりたい」と言う。それは先生を敬愛しているに等しい。
 私は「先生」と呼ばれることには馴れないというか抵抗があった。2008年、保育士養成校で専任となり、学生からも業務上からも「先生」と呼ばれることしばしばとなり馴れてしまった。でも申し訳すれば、”先生業務”に限って欲しい。と言いながら、私の使用法では、時と場合で使い分けている。親しいとき、親しくなりたいとき、「○○さん」または「○○さま」としているが、そうでもないときは尊敬を含めて「○○先生」となる。むずかしい……。
 兵庫県北部、日本海に接する旧・香住(かすみ)町から山奥へ、三川山(みかわやま 888m)の麓に小学校の分校を訪ねたことがある。生徒が2人、先生が1人だった。学校で面会したのだが、じつは親子だった。母親とともに通学し、学校で暮らす。学校では”先生”を「先生」と呼ぶことなく、”先生”は我が子をどう呼んでいたかは覚えていない。それからまもなく、分校は廃校となったと伝え聞いた。

2019.10.15記す