動的平衡と渚と紙飛行機 ── 擬育45

 ヒトはプラモデル(人体模型)ではない。プラモデルは精巧であってもパーツでできている。これを否定することは簡単だ。ところが、パーツが足りないと不安になる。足りない部分は何かで補えるかもしれない。そういう不安を抱えている人は意外といる。
 コラーゲンと聞かされると効くような気がする。
──コラーゲンは、細胞と細胞の間隙を満たすクッションの役割を果たす重要なタンパク質である。肌の張りはコラーゲンが支えているといってもよい。ならば、コラーゲンを食べ物として外部からたくさん摂取すれば、衰えがちな肌の張りを取り戻すことができるだろうか。答えは端的に否である。──福岡伸一『動的平衡』(p76)
 福岡のこの書は、「生命(いのち)とは何か」を問うている。生命は時間の関数で、時間と共存している、という。
──全身の細胞が一つの例外もなく、動的な平衡状態にあり、日々、壊され、更新されている。皮膚が内側に折りたたまれた消化管や内臓の細胞も、絶え間なく壊されては作り出されている。細胞の分裂が起こらないとされる心臓や脳でさえ、個々の細胞の中身はどんどん壊され、新しい分子に置き換えられている。一見、永続的に見える骨や歯も、その内部では常に新陳代謝が進行し、壊されながら作り替えられているのである。──(p247)
 昨日の「私」は今日の「私」ではない。だったら、なぜ「記憶」が存在するのか。私という肉体はなぜ存在するのか。こういう物言いを難しいと思う人は、パーツを組み立てるプラモデルと人の違いを理解できないでいる。

 生命活動は留まることを知らず、休みなく動いている。寝ている間も働いている。あかちゃんがそうだし、幼児もそうだ。おとなしいか、ちょこまか動きまわっているという比較ではない。おとなも、死ぬまでそうなのだ。パーツを組み立てて完成(静止像)をめざすのでなく、動的な平衡状態が「生きている」ということなのだ。
 波が打ち寄せる渚。地球が回り続けている間、渚は絶えることはない。潮の満ち干は渚をダイナミックさせることになり、古代より生命を育んできた。渚を心地よいと思うとき、じつは動的平衡を受けいれているのではないだろうか。

 難しい表現で恐縮だが、以下、引用する。
──可変的でサスティナブルを特徴とする生命というイステムは、その物質的構造基盤、つまり構成分子そのものに依存しているのではなく、その流れがもたらす「効果」であるということだ。生命現象とは構造ではなく「効果」なのである。──福岡伸一『動的平衡』(p232)
 子どもの可能性は、障碍の有無を超えて「無限」と示唆している。

 動的平衡を根拠とすると、生命は時間の関数で表される。

生命=f(x) x=時間

 x=0 のとき、死を意味する。xが0になるということは、体内の循環が止まる。生きているということは、x>0 で、代謝はかたときも休むことなく行われている。代謝を高めることが生命「活動」を支えることになる。
 紙飛行機を飛ばそう。なるべく遠くへ飛ばそうと思えば、自然落下を想定して角度を上に向けて飛ばす。空気をたくさん受けられるよう機体を工夫すれば、下向けに飛ばしても機首が上昇する。エイッと飛ばせば、機体の様子も、受ける空気もさまざまに変化する。動的平衡の効果で飛び続ける。
 子どもをとりまく環境は、さまざまに変化する。意図して見えることもあれば、気づかない・見えない環境のほうがより多く子どもをとりまいている。
 時間xはゼロになることはない。

子どもの成長=f(時間x)+変異

「変異」を加えてみた。変異を「子どもの主体性」と置き換えてよい。《生命現象とは構造ではなく「効果」なのである。》と上述したようにパーツの選択ではなく「効果」の中身を考えたい。

2020.10.15記す