ジャック・モノー『偶然と必然』
+ 副題:現代生物学の思想的問いかけ
+ RANDOMNESS AND NECESSITY
+ 訳:渡辺格 村上光彦
+ みすず書房 1972年
p25
//その仮説とは、不変性は必然的に合目的性に先行する、という仮説である。もっとくわしく言うと、進化し、しだいに合目的性の強いものに洗練されていくのは、すでに不変性という特性を所有している構造(したがって《偶然から生じた結果を保存する》ことができ、したがってそれを自然淘汰の作用に委ねることのできる構造)のなかに偶然に生じる擾乱〔じょうらん〕によるものだという考えかたである。//
p27
//私がこれから生気説と呼ぶこれらの理論は、生物と無生物の世界のあいだに根本的な区別をおくものである。//
p28
//形而上学的生気説のもっとも著名な推進者はおそらくベルクソンであろう。//
p34
//われわれの先祖は、ほかにも自分たちのまわりにもっと神秘的な物体をいくつも見た──岩、川、山、嵐、雨、天体などである。これらの物体が存在するからには、これまたなんらかの目的のためであるはずであった。そしてその目的をはぐくむためには、魂が存在している必要があった。このように見ることにより、昔の人たちにとって、宇宙の異様さは解消した。生命のない物体は不可解なものであるから、事実、そんなものは存在しないのである。//……//物活説の本質的な思考法は、人間が自分自身の中枢神経系の強烈なまでに合目的的な働きについて抱いている意識を無生物の自然のなかに投影することである。//
p36
//《生気のない》物質はない。したがって物質と生命とのあいだにはなにひとつ本質的区別がない。この考えかたを《科学的》なものとして提示したいばかりに、テイヤールはその基礎をエネルギーについての新しい定義に求めるにいたった。//
p55
//バクテリアから人間にいたるあらゆる生物の中のアミノ酸の種類はわずか20種しかない。//
p118
//科学は、個々の現象の示す無限の多様性のなかから、不変なるものを探し求めることしかできないのである。//
p120
//タンパク質は20種類のアミノ酸から、核酸は4種類のヌクレオチドからつくられている。//
p130
//生物は、正確な翻訳を保証している完璧な保存機構をもっているにもかかわらず、やはりこの法則から免れることはできない。多細胞生物の老化と死は、すくなくとも部分的には、翻訳の偶発的な間違いの蓄積ということで説明できる。//
p132
//進化の原因としての突然変異について語るばあい、偶然という言葉を正確な意味では、どのように用いることができ、どのように用いなければならないかを、明らかにしておくことが大切である。//
p134
//人も知るごとく、アインシュタインを始めとして、現代最大の物理学者のいく人かの人たちには、不確定性原理は全面的には受け容れられなかった。アインシュタインは「神がサイコロ遊びをする」などということを認めるわけにはいかない、と言った。//
p138
//これまでダーウィン以後の一部の進化論者には、自然淘汰について論ずるときに、きわめて貧弱な内容の、素朴な、残忍な観念を世に広める傾向があった。すなわち、単純な《生存競争》の観念である。ついでながら、これはダーウィンではなくてスペンサーが言い出した表現である。それとは反対に、今世紀初頭のネオ=ダーウィン主義者たちは、淘汰についてはるかに豊かな概念を提出し、定量的理論にもとづいて、淘汰の決定因子は《生存競争》ではなくて、種の内部における増殖率の差である、ということを示した。//
p139
//生物はほとんど完全な複製装置をもっているので、ひとつひとつの突然変異はどれも非常にまれな出来事ということになる。この点にかんして多数の詳細なデータが揃っている生物はバクテリアだけであるが、そのばあい、あるひとつの遺伝子がそれに対応するタンパク質の機能的特性を著しく変化させるような突然変異をこうむる確立は、細胞世代ごとに百万分の一ないし一億分の一といったオーダーである。しかしバクテリアは、数ccの水のなかに数十億個も殖えることができる。//……p140//したがって、大きな集団では突然変異はなんら例外的現象ではない。むしろそれがきまりだとさえいえる。//
p148
//しかし、行動の諸要因に純粋な淘汰が働くことによって、ラマルクが説明したいと思っていたのと同じ結果に到達できることがわかる。つまり、解剖学的適応と特異的な働きとは緊密に結びついているという結果になるのである。//
p153
//脳の成熟は生まれてからも続いていて、思春期とともに完了する。//
p155
//幼児の言語習得に関する研究を読むと、この過程がわれわれにとって奇跡的に見えるのは、それがその本性からして、明確な緒規則の体系に規則正しく習熟してゆく行き方とは、根本的にちがっているためだという印象を強く受けざるをえない。幼児はなにひとつ規則を覚えようとしないし、いっこう大人の言語をまねようとはしない。//……//この過程は普遍的なものであるらしく、その時間表はすべての言語にかんして同一である。幼児はこうして(最初の一年間が過ぎてから)二、三年のあいだに、言語と戯れながらやすやすとそれをマスターしてしまうのであって、その容易さは大人の観察者にとっていつ見ても信じられないほどのものである。//
p158
//チョムスキーとその学派によれば、人間のいろいろの言語は極度の多様性を呈しているが、言語分析を深く掘り下げてゆくと、これらすべての言語に共通なひとつの《形》が見いだされるという。この形は、チョムスキーによれば、先天的なもので、種としての特質を示しているものと見なすべきものである。//
p164
//進化の三つの基本的過程──複製・突然変異・淘汰──が働き始めたわけであり、//
p166
//もっと重大な問題は、遺伝暗号およびその翻訳機構の起源である。じっさい、これは《問題》と言ったのでは不十分で、むしろまったくの謎と言うべきかもしれない。//
p168
//生命は地上に出現したが、この出来事が実際起こる以前には生命の出現の確率はどれ位あったのであろうか。このような決定的な出来事は一度しか生じなかったという仮説の可能性は現在の生物圏の構造から見てとうてい排除することはできない。そのことは、生命の出現する先験的な確率はほとんどゼロであったということを意味している。//……//宇宙のなかで起こりうるあらゆる出来事の中で、ある特定の出来事が生ずる先験的な確率はゼロに近い。ところが、宇宙は実在しており、その中で確率が(それが起こる以前には)ほとんどゼロであった出来事も、たしかに起こるのである。現在のところ、生命が地球上にただ一度だけ出現したということ、したがって、生命が生まれる以前には、その出現する確率はほとんどゼロであったということを、肯定する権利も否定する権利もわれわれはもっていない。//
p169
//運命はそれがつくられるにつれて書き記されるのであって、事前に書き記されているのではない。生物圏において象徴的伝達という論理的体系を使用できる唯一の種である人類が出現する以前には、われわれの宿命は書き記されてはいなかったのである。人類の出現というのも、もうひとつの唯一無二の出来事だったのであるから、それによって、われわれがいっさいの人間中心主義に陥らぬようにしなくてはならないはずである。生命そのものの出現と同様に、それも唯一無二の出来事であったということは、それが現れるまえには、その出現の確率がほとんどゼロだったのである。//
※いやはや、なんともむずかしい。タイトル『偶然と必然』の真骨頂といってよい箇所だ。〈確率ゼロ〉ではなく〈ほとんどゼロ〉に意味があるのだろう。
p177
//今日なお、一部の動物行動学者は、動物の行動の諸要素は、先天的なものかそれとも学習したものかのどちらかで、この二つは互いに他方を排除しているという考えを固執している。この考え方がいかに間違ったものであるかは、ローレンツが強く論証している。経験によって習得された要素が行動〔たとえば、子どもの遊び〕の中に見られるばあいでも、それはあるプログラムに即して習得されたのであり、このプログラムは、先天的、すなわち、遺伝子に決定されたものである。プログラムの構造が学習ということをひき起こし、それを導くのである。そこでこの学習ということも、種の遺伝的遺産として前もってつくられた《形》の中に書き込まれているのである。幼児が言葉を最初におぼえる過程も、このように解釈すべきであろう。//
※子どもの遊びの必要を言っている。
p181
//人間のばあいは、主観的シミュレーションは、なみすぐれた高等な機能、つまり創造機能にまでなってしまう。//
p183
//主観的シミュレーションの重要な部分、そしておそらくもっとも《根深い》部分は右半球のほうにあるというふうに想像をしてみたくなる。//
p183
//思考というのは主観的シミュレーション過程にもとづいているのだとみることが正しいとすれば、人間のこの能力が高度に発達したのは進化の結果であると考えなくてはならない。//
※主観的シミュレーションは、子どもの遊びそのものであると言ってよいと思う。
p188
//直接的な人類内部の闘争、相手を殺す闘争が、それ以後人類における淘汰の主要な要因のひとつになった。//
p189
//ネアンデルタール人が突如消滅したのは、われわれの先祖であるホモ・サピエンスが犯した集団殺戮の結果であるということも大いに可能性がある。//
p190
//もっとも、それはある時期までのことで、その後は文化的進化の速度が早かったために、それと遺伝情報の進化とは完全に分離されてしまった。//
p200
//19世紀の科学主義的進歩主義は、この道程の行先が間違いなく人類の非凡な開花にあると見ていた。それにたいして、今日われわれの行手には、暗黒の奈落がぽっかりあいているのが見えるのである。//
2026.4.9記す

