|||||『神さまがくれた漢字たち』(正・続)|||

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  • 『神さまがくれた漢字たち』
  • 白川静/監修  山本史也/著 元版 2004年発行

「男」という漢字の成り立ちを、説明できますか?

 漢字の成り立ちについて、真髄にふれて、我が子をうならせるような本をさがしてほしい、と相談がありました。ところで、我が子とは5歳の娘さん。(う~ん、これはむずかしい~なあ~)
 質問してくださった方は、要領がよくて、事例を1つ示してくれました。「田んぼで力を出すのは、男だよ、とか」

 小学生・中学生向けの辞書をいくつか引いてみると、どれも、漢字「男」の成り立ちは、田んぼ+力(ちから)=男となっていました。
 さて、表題の本では、「男」をどう説明しているでしょうか。

 男は「田」と「力」の組み合わせですが、「力」は腕力を示すものでなく「耜」(すき)の象形文字です。
 「耜」は本書による用字で、手もとの辞書を引いてみると「鋤」ともあります。耜と鋤、似たものに鍬(くわ)もありますね、その違いは(私が説明できないので)棚上げして、いずれも長い木の棒の先に土を耕す鉄器が取り付けられています。古代に見られる漢字「力」は、その農具の象形で、鉄部が下向きになって立てかけられた「耜」を思い浮かべればいいでしょう。

 田と耜(力)の組み合わせより成る「男」は、驚くことに、古代その漢字が成立した頃は、性別の男を示すのではなく、「耕作地の管理者一般を指すものであって、古くはしいて男女の別を指示する語ではなかったものと思われます」(93頁)とあります。続けて、
 後世、「男」の労働力が、その集団耕作に大量に投入される時代に及んで初めて「男」の字に「男性」の意味が与えられたにすぎません。(93頁)

 これらの話を5歳の娘さんに「なるほど」と思わせるには、質問してくださった方の腕の見せ所ということになりましょうか。
 ではなぜ、多くの辞書が「力」を腕力と説き、本書ではそれを誤りとするのでしょうか?
 漢字の成り立ちについて、多くの辞書が規範として受け継いでいるのは、今から1900前、紀元100年頃に成立した「説文解字」です。「せつもんかいじ」と読み、許慎(きょしん)という学者が著した字源の本です。
 とても古い過去のことですが、漢字の成立はさらに古く「中国3千年の歴史」といわれるように、今より3千年昔、中国の古代王朝=殷(いん)の時代まで遡ります。つまり、許慎からみても1000年以上も昔になるのです。
 見方を変えると、漢字誕生から1000年以上が経過して、許慎の時代(「後漢」の時代)には、漢字の抽象化は相当に進み、文字として普通に使われていたということです。それだけに、字源を説く必要な背景もあったということでしょう。
 許慎の説いた字源は、2千年近く経っても、日本の国内辞書の字源解説に脈々と影響を誇示し続けているのです。

 ところが、1899年頃、漢字の字源研究にとって、大事件が発生しました。甲骨文字の発見です。殷の時代に使われていた文字が、そっくりそのまま漢字研究者の目にとまることになったのです。この甲骨文字の発見によって、それまで存在を疑われていた「殷」の存在も確たるものとなったぐらいです。
 許慎は甲骨文字を知らず、つまり、漢字発祥の証拠によって字源研究をしたのでなく、巧みな想像によって説いたのでした。
 甲骨文字という願ってもない物的証拠ですが、しかし、これを解読するのも容易ではありません。本書の監修者に名を見せている白川静氏が20世紀に、許慎の間違いを指摘することになったのです。

 「人」という字は、人と人とが支えあう形にもとづくものだと、一般には説かれます。(26頁)
 こういう一般に通用している例をあげ、その見方を否定しています。新しい見解は次から次へと雪崩のように示されます。もはや先行する辞書の漢字の成り立ち解説については信用成らざる状況です。
 白川漢字学の理解は、残念ながらやさしいとは言えないのですが、本書は、それでも「やさしい部類」です。本書のタイトルが暗示している古代に必要とされた漢字の役割を、本書で知るとともに、漢字の成り立ちは、知れば知るほど興味深いものです。一度に理解は無理でも、繰り返し何度も喚んでいるちに、理解はついてゆきますよ。
 最後に1つ。「長」という漢字について。
 これは象形文字です。長髪の人の姿をかたどったもの。左側を向いて立っている人を横から見た形で、上部の髪の毛が右方向になびいている、というふうに見えませんか?

2006.2.3記す

  • 『続・神さまがくれた漢字たち 古代の音』
  • 元版 2008年発行

雷は「神鳴り」。「笑い」は「咲(わら)い」。

 「続編」のテーマは「音」です。
 うた、音楽、鳥の声、滝の音、風の音、雷、……、これらを漢字はどう表現し、どのように成立したのか、です。

 笑えば声を発します。笑い声。だから、これも「音」です。
 喜びも、楽しみも、すべて神のものであり、人々はといえば、ただ神を、喜ばせ、楽しませることによってのみ、はじめて自らの喜び、楽しみを得ることが可能であった。 (82頁)
 「割れる」→「わらう」→「笑う」。
 笑いたくなって、顔の表情がくずれていくとき、それは「顔の表情が割れる」という表現をした。「割れる」というぐらいですから、表情が少しだけ変わってクスッというようなものではなく、口を大きく開けて大笑いする、というさまを表している。「割れる」が変化して「笑う」になったとのこと。
 さらには、古代において、「わらう」は「咲(わら)う」と表記したという。花が咲くのも、つぼみが開いた(=割れた)結果なので、顔が笑うという表現の、あとに出来た用法。

「高天原(たかまがはら)動(とよ)みて、八百万神(やおよろずのかみ)、ともに咲(わら)ひき。
《口語訳》高天原は、ぐらぐらと動いて、八百万神は、みなげらげらと笑いあった
(83頁)

 天変地異、病気や死などを科学で説明できなかった古代の人々にとっては、神との交信が最優先だった。だから、人々の平安のためには、神様に笑ってもらえることが大切なことで、神様を咲(わら)わせることに心をくだいた、ということのようです。

 終日、声を挙げて、泣きつづけるのは、たんに人の情感の発露にすぎなくないでしょう。うちつづく号泣は、その堪えがたい異常の持続のうちに生じます。異常のことが、神霊のしわざによって生ずるものであるならば、泣くこともまた、神霊が、そうあらしめるのです。 (94頁)

 論理的に理解のむずかしい文章です。
 子どもを産んで母は死んだ。「緑児(みどりご)」は泣き続けます。古代において、その緑児は、亡き母が、泣けとばかりに命じて泣かせている、そう解釈するのだそうです。

 「雷」は、もとは「神鳴り」と書いた。古代の人は、カミナリを神の発現と受けとめた。

天雲(あまくも)に 近く光りて 鳴る神の見れば恐(かしこ)し 見ねば悲しも
《口語訳》雲のあたりに、近く光って、ごろごろ鳴るかみなりは、目にすれば畏れ多いものだが、また目にしなければ、目にしないで、恋しくて、かなしくなってしまう
(96頁)

 現代のわたしたちの生活習慣や感覚とはまったく違うので、漢字の起原を問うときは、新たな気持ちで臨む必要があるようです。
 では、漢字に神性があったのは、いつのころまでだったのでしょう。著者は、「枕草子」の作者・清少納言(西暦1000年前後)は “現代感覚”で、すでに古代感覚ではなかったと論じています。

せめておそろしきもの、夜鳴る神、近き隣に盗人の入りたる
《口語訳》迫ってくるようで、恐ろしいものは、夜に鳴り響く雷、近隣の家に、盗人が入ること
(106頁)

 「雷」ではなく「鳴る神」と古代の表記を遺しつつも、「恐いもの」として「盗人」と並べ、神性はなくなり俗っぽくなっています。

 独特な文章と語り口、古典文献の引用が多いということもあって、読むには多少粘りはいりますが、内容的には、やさしい部類です。前著(正編)を先に読まれることをお勧めした上で、この続編を読めば、「漢字」というものが「記号としての文字」ではなく、古代の文化を伝えているものだという認識に達せられると思います。
 「うた」や「歌」の起原について知りたいと思う人には必読書と思われます。

2008.9.27記す

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