- 『ツバメ飛ぶ』
- グエン・チー・フアン
- 出版社:てらいんく ISBN978-4-925108-28-7
- 発行:2002年
元・少女ゲリラの、壮絶な戦い
そして、戦後10年を経て
1975年4月30日。ベトナム戦争の終わった日。
戦争が終結して10年後、主人公「クイ」は、戦時下みずから殺した男の家族を訪ねようとしていた。
ベトナム戦争って、どんな戦争だったか?
第二次世界大戦後、日本の敗戦によって独立したベトナムは再びフランスに侵攻され、のち国内を北緯17度線によって分断される。分断後、アメリカが介入し、同じ民族どうしの戦いになってしまった。これが、ベトナム戦争だ。
クイは5人家族の末っ子。母は、クイが幼少の頃、海上艦隊からの無差別砲撃で殺された。兄ズオンは母の死をきっかけにゲリラに入隊し、南ベトナム政府軍から命をねらわれる。1969年10月、トゥアンが、クイたちの家に兵士を連れてやってた。兄を引さなければ、井戸をダイナマイトで爆破するという。兄は、井戸と隣り合わせの地下壕に隠れていた。激しい爆発音とともに井戸は爆破され、クイは胴体から切り離された兄の腕を目前にした。それから数日後、姉のハーオは家を黙って出てゆき、「ツバメ隊」に加わる。「姉の死もまた唐突にやってきた。ある日の午後……」(p18) 父は、こんどはクイを、ツバメ隊に入隊させた。
「ツバメ」とは、子どもだけで編成されているゲリラ隊。3人の子どもをゲリラにしたクイの父はトゥアンの恨みをかい銃床で殴られ、家を焼かれ、病床の身になり、衰弱死させられる。残虐なトゥアンは、クイの家に寄っては食事をしたり休んだりする仲だった。ある日、彼は失踪し、1年余り経って戻ってきてからは敵対するようになっていた。
「ツバメ隊」への入隊は強制ではなく、クイのように親きょうだいを殺され、メンバーのそれぞれが仇とする恨みをもつ者ばかりだった。ツバメ隊が結成された理由を本書から読みとれば、村々に「敵」の駐屯地が出来、おとなたちは顔見知りのため敵に近づくことができず、子どもをつかうしか策がなかった。
K54拳銃、コルト45、リボルバー、どの銃も子どものクイには重すぎて、ほんの少しの間、高く構えているだけでも腕がだるくなる。あるとき、K54拳銃をトゥアンに向けるチャンスが訪れた。そのときのトゥアンは我が子を抱き抱えていて、クイは撃てなかった。クイを先に見つけたトゥアンの妻が、クイに向けて「逃げて、早く逃げて!」(p73)と叫んだ。狙われた夫の妻が叫んだ。
2度目、指導者クオンの運転するオートバイに同乗し、クイはコルト45でトゥアンを仕留めた。トゥアンのバイクも速度を落とし始めた。「もうじき角を曲がる気だ。準備しろ!」 クオンが指示する。幸い、周辺に人影はなかった。道路の両側には田畑や林が広がり、数軒の民家が点在しているだけだ。二人の乗ったバイクはぐわーんとうなりをあげた。こんなスピードははじめてだ。心臓が激しく波打った。「撃て!」(p174) トゥアンは負傷したが、このときも一命をとりとめた。
そして、3度目。ついにクイはトゥアンを真正面から銃撃するときが来た。
◇
1975年4月30日、南ベトナム政府は降伏した。それから10年後、クイは国の指導者になっていた。ある晩の会合で大虐殺があった隣国カンボジア住民への支援策を話し合っていた。「むこうの人が自分で生産するのを助けてあげるのが本筋で、このままずっと物資援助を続けるのはどうなんでしょう」と、異議をとなえる《女性》がいた。同席していた会長は不快感を露わにし、反論したついでにこう言った。「おたくのだんなの霊に聞いてみるのがいちばんいいんじゃない? あの裏切り者のだんなにね」と。
クイは立ち上がり、会長の過ちを正そうとしたとき、《女性》は嗚咽をもらすと同時にその場を逃げるように走り去った。「だんな」の名は「ハイディック」と言い、戦時下、クイが任務で銃殺したその人だった。──そして、トゥアンの妻やその子どもたちも同様、裏切り者として石を投げられ、援助も受けられないままの日々を過ごしていたことを、クイは知ることになる。
◇
本作品は、ベトナム人みずからベトナム戦争を語り、戦後を〈模索〉している。哀しみがいっぱい詰められた物語だが、ほのかな希望もみえてくる秀作だ。読んで欲しい。
- 参考リンク
『ツバメ飛ぶ』を読んで (感想文)
神戸市 中学3年 女 2006年
放心していた。何度も何度も最後の所を繰り返し、読んだ。いろんな場面が鮮明に浮かび上がってくる。
もし、今、日本が再び戦争する事になったらどうしよう。毎日鳴り響く爆撃の音。いつ自分が死ぬかも分からない恐怖。そして、自分の大切な人たちが死ぬかもしれない恐怖。食料も少なく、勉強をするのではなく、自分の身を守るために人を殺す訓練を受ける。今まで信じていた人が、急に敵に寝返る事だってありうる。そんな世界は絶対嫌だ。そんなものは、憎しみ、悲しみ、そして一生消えることのない記憶と傷を生み出すだけだ。人間を人間でない何かにしてしまう。それが戦争だと思う。
幼くして家族をなくし、ツバメ隊に入ったクイ。それは自分の家族のかたきをうつ為。よく日本でも「かたきをうつ」事がたくさんあると思うが、かたきをうって何になる? 殺された方の家族は自分の様に悲しむに違いない。自分がされた事だけによく分かっているはずなのに。なにより自分の手をよごしてしまう。自分の家族を殺した奴の様に。
それから失う悲しみもある。今、この瞬間さっきまでいつもの何気ない会話で笑い合っていた家族、友達を失う事のどれだけ悲しいことか……。私は家族も友達もみんな大切だ。だからみんながいなくなってしまったら、この世界には、もう何もないのと同じになる。でもクイはその悲しみと一緒に生きた。生きる事から逃げずにこの戦争というつらい現実と戦った。そこが、私がクイに「すごいなぁ」と思わせられる所だ。家族や仲間を失っても、自分がひどい拷問にあっても決して逃げなかった。本当にすごいと思う。
この本は、たくさんまぶたの裏が熱くなるような場面があった。人を殺す任務に一人でかりだされたクイを、仲間の小さな少年が「おいてきぼりにしないでよ」という所。幼い少年が大切な人を失いたくないからという純粋な心から発した声。クイもたえきれなくなり二人で声をあげて泣いた所は、あふれでてくる感情を抑える事が出来なかった。こんな時代の中でも人は純粋な心を否定しようとはしないんだと思った。
そして、大切な仲間を失うクイの気持ち。その子とは同じ任務を任され二人で仲良く話していたが、突然の砲撃で仲間をまた失ってしまった。クイの気持ちと、自分がもしそうだったら…… と考えると、決していいものではない想いがあふれてきた。
私たちは今、手に何を持っているだろう。食べ物、お金、シャーペン、服、マンガ、ゲーム、そして幸せ。それは私たちにとってはごく普通のことで、「私、食べ物持ってるよ」と言っても、「だから?」という返事が返ってくるだろう。あたりまえ過ぎて、その喜びに気づけていないのだ。
しかし、戦争にかりだされる子供たちが手に持っているものというと、悲しみ、憎しみ、そして、人を殺す武器と、それで死んだ人の血だけ。だから私は戦争のない国に生まれてよかったと思い、ほかの国も戦争のない国になればいいと思った。私一人では何の役にも立たない。だからこそ今、みんなと力を合わせ、世界の平和をつくっていくべきだと思う。そう、この世が笑顔と喜びであふれ、広い広い自然が二つの目で二つの耳で見て聞こえるように……。
2019.7.13記す