||||| 丸山直樹(2001)『ドクター・サーブ 中村哲の15年』|||

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  • 『ドクター・サーブ 中村哲の15年』
  • 丸山直樹 / 著
  • 石風社 2001年

パキスタンとアフガンの境、
辺境の地に、日本人医師がいる

 著者は、登山家であった。1981年秋、ネパールからパキスタンにまたがる大ヒマラヤ山脈の西端、周囲を6000メートル峰に囲まれた谷を凍死寸前で歩いていた。
 ──火照りきった体が、骨の髄まで冷えていった。と、そのとき、人影が見えた。<略> 私の凍えた手を、男は堅く握った。その温もりに……、記憶があった。──(10-11頁)
 男は「土間がふたつあるだけの四角い土作り」の家に旅人を導いた。男の名をイブラヒムといい4男1女の父親だった。「無為徒食の旅人」は1週間の静養をここで得た。そこで見たもの……。男の妻は、──見れば手の甲などは、指の腱ばかりでなく血管までもが浮き出ていて、そのうえ皮膚は干からび、そして細かった。出来るままに子供をなし、農作業は男に伍して荷をかつぎ、おそらく一生、都会など見ずに逝くであろう村の女の手が、口とともによく動いた。──(19頁)
 なぜ? この一家の貧しさに加えて、イスラム社会では、女の生は人間の生と思えないほどに厳しい。旅人はこう記しています。
 ──ひとの誠を、私は土産にもらったような気がする。──(20頁)

 この旅人つまり著者が歩いた地に、もう15年間、無報酬で医療活動を続けている医師がいた。本書は中村哲の評伝であり、その医療活動を伝えるルポルタージュだ。
 アフガニスタンの国境に近いパキスタン側に「ペシャワール」という町がある。国境はかつてこの地を支配していたイギリスが勝手にひいたもので、この地に住むアフガンの人たちは国境を意識することなく「自由」に行き来している。
 中村の活動域は、ペシャワールと国境を越えてアフガンの無医村地域を主とし、パキスタン北部の辺境の地にまでおよぶ。

 アフガンからペシャワールへ抜ける道は、標高2000メートルを越す。その峠の名前を「カイバル峠」という。1985年のクリスマスの頃、カイバル峠はアフガン内戦の激戦地となっていた。
 難民は真冬の夜、着の身着のまま峠をめざして逃げた。そして、一夜にして数百名が凍死したのだ。
 著者は山岳遭難の取材経験があり、その経験からと断っているが、凍死者の姿がどんなに悲惨なものかを伝えている。
 ──死体はカッと目を見開き、両手を中空に突き出して、見えざる何かを鷲掴みするように、凍った指を、堅く折り曲げていた。見開かれた目の表情は、断末魔の叫びを宿していた。死ぬる間際、怨念と執念が入り交じり、虚空をもがき、かきむしった様が、その形相に見てとれた。──(144頁)
 1988年、ソ連は完全撤退を表明。
 しかし、内戦は続き一応の終結をみたのは1994年。難民たちはようやく平穏をとりもどしたかのようにみえた。それもつかのま、(アメリカなど多国籍軍の侵攻により)また難民が発生し、カイバル峠を越えることになるのでしょうか。

 本書は、アフガンの内戦を伝えることだけを目的としているのではない。難民のいるところに中村がいた、ということなのだ。
 ──病院に来られる患者はまだしも、難民キャンプで臥せっている患者の苦痛は尋常ではない。そしてまた、この膨大な難民の群れを前にして、らいだけを相手にしていては医者の良心が許さない。──(147頁) ※「らい」つまりハンセン病
 中村が、なぜこの地に来たのか。医療活動とはどういうものか。それを支える日本人スタッフと現地スタッフはどういう人たちであったか。これらを入念に取材して書き上げられている。
 ──北西辺境州全体でひとりの専門医もおらず、したがって病状の進行にまかせて崩れてゆく体を見つめていなければならなかった患者たちにとっては、変形した手や足が、そして失明寸前の目が、治るようになった快挙であった。ややおおげさに言えば、有史以来じつに初めての神の恩恵であり、だから中村は、真の意味の尊敬を込めて「ドクター・サーブ(われらがお医者様)」と呼ばれるようになった。──(124頁)

 ──つくづく思わせられる。「なぜ、中村の前には次から次へと、こうも難題がふりかかるのか」と。安定、平穏、しばしの休息、といった安らぎのひとときは、どうやらこの男の人生にはないようだ。──(218頁)
 ルポライターは、中村の活動を「善意」としてみることなく、むしろ不思議の目で取材を進めたといってよい。著者自身がイブラヒムの一家に救われなかったら、このレポートは生まれなかったのかもしれない。
 著者はこう書き記している。「元来がボランティア嫌いのこの私に、ハナから医師への興味はなかった」
 しかし、イブラヒムと出会い、──一家のような村人を、この医師は診ているのだろうか。そう考えると、我が身のていたらくが思い起こされた。──(21頁)
──そう思えたとき、私の仕事のスイッチが入った。──(同頁)
 そうして、本書の結び近くでは、
──ただそれだけのことだ。だがそれを出来る人間は、まずいない。──(286頁) 中村をおいてほかにいない、ということだ。

 海外の無医地区で活動する日本人医師の、現地のようすはもとより、これを支える日本国内の取材も多く、ルポとしてよく仕上がっている。医療に携わる人ならば、一度は読んでみて、考えて欲しいこともいっぱいつめこまれている。
 そして、もう一つの目的でも、この本を読んで欲しい。訴えにも似た気持ちが湧き起こる。
 パキスタンとアフガンの辺境の地で暮らす人たちが、迫り来る戦争におびやかされているからだ。そして、中村医師たちの医療活動にも危険がおよびそうだから。

2019.12.7Rewrite
2001.9.28記す

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