||||| 再生の資源はどこにある?|||

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 文明文化が反映される政治社会そして暮らしの環境は、子育てのバトンリレーによるものだから、自己の生涯で大きく変化するものではないだろう。我が子の子育て期間は(人によって様々だが)短い。子育てリレーで、暮らし環境の影響を逃れることは簡単には出来ないし、結果、バトンを後継者に渡していくことになる。日々の暮らしに追われているか、それともいつもチャレンジか。そうであったり、そうでもなかったり……。意味のない議論だろうか。少なくとも我が子の未来、我が子が将来産む子どもの未来を想像できるかもしれない。その予測に対して、わたしたちおとなは何を為すべきなのだろう。たまに、このように思い巡らすことはあるのではないかと思う。

 ワクチン接種が進み(私は不安だが)来年度中にはマスクを外しての生活ができるという予測もある。一方、コロナ禍で前倒し?されたICT教育はどのように進められるのだろう。すっかりもとの生活にもどるのだろうか。国連が推進するSDGsも手伝って、グローバル化については一定の反省が生まれるだろう。この議論には距離をおかせていただく。子育てに関しては「地域」のありかたを見直し、地域に子育て主権を与えて欲しい。子育て(に伴うすべて)と、まちの暮らしは地域それぞれであってよい──ということだ。

 まちづくりや子育てのありかたは、おとなにとっては「再生」となる(と私は認識している) しかし、生まれてまもない乳幼児や小学生にとっては再生ではなく初めての体験であり「創造」ということになるだろう。子どもたちの創造に資するため、わたしたちおとなは再生資源を探求しなくてはならないと思う。子育てが終わったおとなは、評論家に甘んじてはいけない。冒険はしなくてよいが、探検の道を歩いて欲しい。冒険する子どもを応援していただきたい。

2021.6.1記す

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