“不便”を実践した新聞記者の体験ルポと「消費社会」を考える対話集
- 『たのしい不便』
- 福岡賢正 ふくおかけんせい
- 南方新社 2000年
副題は「大量消費社会を超える」。著者は毎日新聞の記者。1998年、記者は自らと家族を対象に、消費を断ち切る”不便”を開始し、その実体験ルポをその1月から12月まで毎月1回紙上で連載した。本書前半はその再録。その翌年、この体験を踏まえ、「消費社会」を問う対話連載が同じく12回行われた。それが本書後半。対話者は次のとおり。
- 野田 知佑 (のだ ともすけ)
- 重松 博昭 (しげまつ ひろあき)
- 山尾 三省 (やまお さんせい)
- 駄田井 正 (だたい ただし)
- 前原 寛 (まえはら ひろし)
- 森崎 和江 (もりさき かずえ)
- 歌野 敬 (うたの けい)
- 内橋 克人 (うちはし かつと)
- 吉岡 斉 (よしおか ひとし)
- 森岡 正博 (もりおか まさひろ)
- 山本 哲士 (やまもと てつじ)
- 見田 宗介 (みた むねすけ)
記者はそれまでの電車通勤を「自転車通勤」に変えた。片道13.5km。所要時間は1時間弱。「のどが渇いたらチャリン、コーヒーでリラックスしたくなったらチャリン、甘いものが欲しくなったらチャリン、と日に何度も自動販売機にコインを貢いできた」(19頁)
これもきっぱりやめる。弁当持参と決めたからには、妻には頼まない、自分で作る。などなど、ほかにもたくさんの誓いを立てた。
◇
記事は月1回、しかし”不便”は毎日。妻そして子どもたちとも話し合い、とりあえずの了解は得た。しかし……。
当初から家庭菜園はメニューに入れてあったが、6月、米を自給すべく田仕事に挑戦。読者である私は”無謀だ”と思った。にもかかわらず、アイガモ農法の普及に取り組んでいる古野隆雄さんの指導を受け、なんと3アールで玄米にして3俵(180kg)の収穫だった。
しかし……。不便を家族には強制しなかったつもりだったが、「こんなんじゃ、きついばっかりでちっとも楽しくないやんね。病気した時くらい楽しんだらどう。そうしないと私たちまで息が詰まる」(31頁)
◇
「××潜入ルポ」なら派手さを感じるが、体験談は地味だ。だが、読み進むうちに、記者の”不便”を楽しむさまがひしひしと伝わってくる。これはすごいルポじゃないか?
掲げた”不便”を見直して、取り下げた不便もある。「原則的に残業しない」も不便の一つで、労働に対する視点も忘れていない。モノだけの不便でなく、社会へも向けているところがこのルポのすぐれているところだろう。その視点は、12人の対話の中で展開されることになるが、論客ぞろいで示唆に富む。
◇
2000年1月17日 記者は勤務を終え、いつものように自転車で自宅へ向かっていたとき、オートバイに跳ねられ意識不明の重体に陥った。生死の境をさまよいつつも、一命はとりとめた。妻の看病に記者は涙を流した。「オレが喜ぶこと、それが彼女自身の喜びでもあるからだ。そこまで思いいたった時、私は涙をこらえきれなくなった」(318頁)
不便の到達点は「喜び」にあり、対話で解きほぐされる”論理”は奇しくもそれだった。だから、”たのしい不便”なのか……
2001.2.23記す