|||||「○△□」に始まった子育てが終わっても、まだまだ延々と…… |||

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 親になる(なった)実感や自覚は、人それぞれだろう。子に向かう思いだろうか。パートナーとのシルシだろうか。そのどちらでもないか、あるいは、入り混じったものか。どうでもよいことかもしれないが、ここから子育ては始まったであろうことは確かだ、たぶん。そして、その子育ては、いつ終わるのだろうか。

 時系列や家族の成り立ちでは、親子の関係は永遠に続く。
 あかちゃんや幼児のときは保護者として。
 高校生や大学生になれば、経済的負担や支援は増すだろうが、精神的な独立は進む。
 子育てに区切りをつけられるとすれば、親としての比重は軽くなり、寿命がもしかしたら百年の時代で、自らの人生をみつめなければならない。

 子どもはいつまでも子どもではなく、親にも社会にも意見するおとなになる。子どもが将来の夢を語るときはそれを頼もしく思ったり、かわいいと思ったりもする。子どもはやがてパートナーをみつけ、子育てにトライするようになる。そんなことを思いながら、(この子はどんなおとなになるのかな?)と陰からみつめることがある。
 平和な世は続くかもしれないし、戦争になったらたまらないが否定もできない。大きな地震や災害に直面するかもしれない。文化やスポーツで栄誉を受けるかもしれない。神のみぞ知るということなのだろう。

 待ち受けていることはさまざまだが、子どもから「あそび」をとりあげてしまったらおしまいだ。わたしたちは「にんげん」である限り、その発達の基礎となる幼少期に「あそび」は不可欠なのだ。

2021.12.15記す

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