||||| ポケットの復権 |||

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 子どもの手が虫歯になったといわれた過去がある。手指の働きを「手の労働」と形容し、労働の重要を訴える本や論調が過去にあった。だが、「おとな側の記憶」に照らし、それを良きものとして比較し、着目は良いが「昔は良かった」の類いを超えるものでなかった。子どもに主体をおいたものでなかった。「手が虫歯になった」のではなく、手をつかう環境が減ったか失われたのだ。そういう環境にしてしまったのは、おとなだ。

 ポケットの話をしよう。ポケットに手を入れるが、ポケットは「手/てのひら」サイズでなく「指」のサイズだ。小石を握った手をポケットに入れるには、それなりの間口と深さがいる。私が子どもの頃は、その条件を満たすポケットだった。ポケットの数は、ズボンの前に2つ、後ろにも。上着のポケットなど、とにかくポケットがいっぱいだった。収納可能な服装だと、遊び道具はもちろん、道やはらっぱで、何でもポケットにつっこんだものだ。家に帰ると、親から叱られること、しばしばだった。
 欲しいから拾うのであり、後でつかおうと思い集める。誰かが捨てたものでも宝物だった。すっかり昔話だ。5歳くらいから小学4年生くらいまでは、そのような環境で育った。私だけでなく男は皆そうだったと思う。女の子もスカートをひらひらさせながら、ポケットに何かを入れていたように思う。
 それが、いつしかポケットのない子ども服になってしまった。学校の体操服で一日過ごす地域もある。体操服の景色は真っ白。半ズボンの後ろに、ハンカチを落とすかもしれない申し訳程度の小さなポケットがあるだけ。綿でなくポリエステルで身を包むことになる。こうした服装をよしとする環境が、遊びを奪ったと私はみている。
 かといって、今、ポケットのある服をつくっても、ポケットに入れたくなる宝物がころがっている遊び場がない。地域清掃や優良住宅環境のため、子どもを刺激させるものがない。隘路になってしまう。

 それでも、素敵なポケットのある服をデザインして、そこから何かを主張したいなあと思った。サントリーのデザイナー中崎宣弘さんと知り合いになり(2012年)、酒を飲みながら意見交換した。意気投合した彼は、友人の女性(デザイナー)に依頼すると乗り気になった。その2年後西アフリカでマラリアに罹患し、帰らぬ人になってしまった(2018年8月6日、65歳になる誕生日の2日前だった)。

 ポケット代わりにポシェットが製品として出ている。神戸大学附属幼稚園では、ポケットが両側にあるベストを着せている。
 指サイズの働きが少なくなり、てのひらサイズが遊びの主流になった。自転車を乗り回すことが遊びとなったり球技がはやるのは、このことが一因しているのではないかと思う。

2022.7.16加筆
2021.8.15記す

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