- 本田和子 ほんだ・ますこ
- 『子ども100年のエポック』
- 副題:「児童の世紀」から「子どもの権利条約」まで
- フレーベル館 2000年
- ISBN978-4-577-81145-0
- 『子ども100年のエポック』
p52
//季節保育所の設置数が増え、母子ホームが設立されるのもこの時期であった。//
「季節保育所」とは何か? 「この時期」とは1927年ころ
p55 見出し
//「七歳までは神のうち」から「七歳までも人のうち」へ//
なぜ「7年」か? 7年は数え年か?
p59
//伝統的世界における「人の誕生」は、生後七年を経て初めて認定された//
p61
//「死にやすい子ども」//
//「多く生まれて多く死ぬ」//
//「死なずに生き延び得る」//
◆小谷敏 編『子ども論を読む』世界思想社 2003年
p200
//かつて子どもは、死と近接した存在であった。1920年の、日本の全死亡者の年齢別内訳を見ると、65歳以上の高齢の死亡者が全体の19.5パーセントを占めるのに対して、0~4歳の死亡者は全体の36.4パーセント、5~19歳の死亡者が全体の10.0パーセントを占めており、死亡者の半数近くが未成年の者であったことがわかる(「人口動態統計」)。こうした時代において、「死」は「老い」と必ずしも一括りにしてイメージされるものではなかった。死はむしろ、子ども、とりわけ乳幼児に近いところにあった。//
p62
//「子ども」という存在が、多産多死の「周縁的存在」ではなくなり、少産少死の「中心的希少価値存在」へと変わったことを意味している。//
p63
//「簡単には死なない者」へと変化し、大人たちもまた、無意識のうちに、「子育てに対する惧れと慎み」を放棄してしまった//
※冒険を棄て探険を選択したということ
◆同p201
//とりわけ1950年代以降、その数は急減する。//……//2000年には、0~4歳の死亡者は全体の0.5パーセント、5~19歳の死亡者が全体の0.4パーセントととなり〔ママ〕、合わせても1パーセントに満たないのに対して、65歳以上の死亡者が全体の78.8パーセントを占めるにいたっている。ここにきて「老いと死」は、結び合わされイメージされるものとなる。そして同時に、子どもにとって自らの死は、通常は、人生という時間の流れの「遠い彼方」にあるものとなった。//
p94下左
//「子育て」という営みからそれに伴う不思議さや神秘さが奪われ、それに従事する親たちからは、不可知に挑む戦慄と未知に払う犠牲の喜びをも奪い取った//
※このことは、冒険者として生まれたの裏付けとなる
p122
//「子どもとは歴史性の所産であり、彼らがどう見えるかは、その時々の歴史と文化に支配される」とするアリエスの見解は//
p123
//「私たちの子ども観は、もはや破綻の危機に瀕しているのではないか」//
//「子どもとは時代のまなざしの所産である」//
//わが国におけるアリエス・ショックは、アメリカ合衆国よりも10年遅れの1980年代に訪れている。//
p137
//「江戸」という時代が、従来、定説化されていたような、封建的・抑圧的な暗い時代ではなかったという発見に基づいていた。//
p139
//「子ども研究」は、わずかではあるが幸運な出会いを経験している。たとえば、「ハーメルンの笛吹き男」に関する研究が、わが国の代表的ヨーロッパ中世史学者阿部謹也によって公刊された。//
p152
//レヴィ=ストロースらの人類学は、未開社会を非文化と見なしてその啓蒙を意図する植民地主義を批判し、未開社会の神話的思考は、西欧文化の科学的思考に劣らぬ「具体の科学」であり、効率を求めて栽培化された思考とは異なる野生の思考であるとして、近代西欧社会を根底から批判する立場に立った。//
p191 脚註
//ニール・ポストマン アメリカの社会教育学者・ニューヨーク大学教授。コミュニケーション論と教育について数々の労作を発表。著書に『子どもはもういない──教育と文化への警告』//
p218~
民間テレビの放送開始 1953年
人気キャラクター、テレビアニメ
消費=豊かさ
2026.4.21加筆
2020.1.17記す
