|||||「こども」とは、だれか?|||

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 力のない者、何かが足りない者、”おとな”に及ばない者、泣き虫、子ども騙し。子どもをイメージする言葉は数多くある。法によれば、二十歳成人や十八歳未満の文言、児童福祉法の定めや区分があり、「児童・生徒・学生」は法律用語でもある。

漢字「保」甲骨文字

 高校3年生や大学1回生は、親にしてみれば、まだ「こども」ということになるか? 世間話で交わされる「こども」は関係性の理解で用が足りる。しかし、今どきの「若者/子ども」、あるいは、子ども向けや子ども対象については曖昧である。つまり、イメージされる「こども」とは? 子ども向けイベントで集まってみれば、低学年ばかりで高学年がとまどうことも。
 当サイトは、乳幼児の発達や「こども」の遊びを問うたりしているので、「こども」の概念をはっきりさせておきたい。

「こども」ナビ

1)いつから「おとな」で、遊びを考える。
2)「九歳の旅立ち」を命名する
3)主体性の理解が「こども」の理解につながる▼この下
4)年齢による発達段階

5)アカデミックな「子ども期 Childhood」理解……
番外)「こども」表記子供、子ども、子どもたち、等々
番外)発達の区分や臨界に留意しておくこと

主体性の理解が「こども」の理解につながる

 おとなの立場で年少者を認識するとき「こども」かどうかは、わが子と他人とでは違うだろう。すっかりおとなに成長して既婚者となっても親にはいつまでも「こども」とする一方「おとな」であることは間違いない。こうしたこととは縁を切って、自立した個として「こども/おとな」区分を考えたい。
 「区分」と言いながらも、そこはシームレス(つなぎ目がない)だ。個人差もあろう。そこで、一つのアイデアを提案する。こどもからおとなになるまでの間、3回(期)にわける。

 小雨のなかを野外活動に向かう5歳児の集団。子どもたちは、カッパを身につけていた。「ここまでしか、とまらへん」と少女は言った。ボタンを2つ止めたところで、うす茶のあたたかいジャンパーがのぞいていた。「おかあさんがユニクロで買ってくれた」とうれしそう。それを隣で聞いていた男児が「あかあさん、ユニクロで働いている」と。子どもたちの暮らしが一気に描けた。
 ボタンが2つで止まってしまったのは、大きくなった、ということでもある。冷たい雨だが、心温まるシーンだ。
 カッパの頭部分が後ろ向きに はずれていて、かぶっている帽子がぬれている。カッパの頭をひきあげてあげようかと思ったら、手をまわして、器用に自分でかぶりなおした。5歳児のすることは、もう一人前だ。

 2歳半から小学2年生までを、わたしは「幼児」と区分し、4歳までを「前期」、5歳からを「後期」としている。幼児後期は2年生まで続く。

年齢による発達段階

 「こども」とは、だれか?──と、ときおり憤りを伴って思うことがしばしばある。子どものために、と謳いながら、子どものためになっていない事例が多い。「子ども騙し」の表現が意味することと同一ではないが、(だましているつもりはなくても)似ている。大切にされつつ、ときにはいい加減にされている。
 「こども」とは、あかちゃんから小学2年生まで。焦点を絞れば、幼児後期(5歳~小2)が「こども」に相当する。

 小学5年生からは、(わたしは)明らかに「おとな」なのだ(としている)。小学3・4年生は、その移行期とみている。子どもが移行するのではない。おとなが見方を変える、おとなに猶予を与える移行期だ。

 こんなふうに捉えると、子ども期は、あっという間で、わずかな期間でしかない。子どものために、と謳うならば、低学年や幼児に対して、社会はもっともっと真剣に取り組んで欲しい。

グレーの部分
「移行期」としているが、以下 記すように「第二次主体形成期」に相当する。

「主体」の理解は さまざま

第1次主体形成期 誕生~およそ2歳半ば こども(~2年生)
第2次主体形成期 小学3年生,4年生 8~10歳 移行期
第3次主体形成期 高校2年,3年 ~ およそ25…30歳 おとな

 母から生まれ出たそのときに始まり、およそ2歳半ばぐらいまでであろうか。親(母)子のあいだに「間主観性」で説明される主体形成の時期がある。やがて母から離れ、母とは限らない他者(人とは限らない)とも、間主観性は成立する。鯨岡峻は「相互主体性」を主張し、間主観性の成立時期も個の確立として個の主体性は存在するという(※2)。

※2……鯨岡峻『ひとがひとをわかるということ 間主観性と相互主体性』ミネルヴァ書房 2006年
p148
//間主観的にわが子の気持ちが分かるのは、まずもって子どもを一個の主体として尊重し、その気持ちを受け止めようとしているからこそです。//
p148
//ここに、養育者側からの間主観的な把握が生まれる条件として、相互主体的な関係の問題が見えてきます。
 他方、乳児の方も、自分の思いを養育者に受け止めてもらえることを当然のこととして(基本的信頼)、自分を表現し、周囲世界に出かけたり、関わったりして、それを取り込み、自己発揮していくことになりますが(主体の一方の面)、そうしているうちに、自分が信頼を寄せているその他者も、単に自分の要求を満たしてくれるだけの人ではなく、その人の様子から、その人にもさまざまな思いがあるのだということに少しずつ気づき始めるのです(主体のもう一方の面)。この主体の二面性が形成される過程が、相互主体的な関係においてであるということ、これがいま私がもっとも強調したいところです。//

自己と他者

第1次主体形成期 誕生~およそ2歳半ば こども(~2年生)
第2次主体形成期 小学3年生,4年生 8~10歳 移行期
第3次主体形成期 高校2年,3年 ~ およそ25…30歳 おとな

 小学3年生と4年生、年齢では8歳から10歳までの期間、「おとな」への移行期として第二次主体形成期が現れる。およそ8歳までの幼児期と別れ、新たな主体形成に進む。身体的には「こども」だが、心(精神)は変容し自立の様相を高める。昆虫に喩えて申し訳ないが、終令前のさなぎまたは幼虫で、成虫/羽化への準備をしている。

人も変態する

 第二次主体形成期の終了でもって「おとな」になる。小学5年生から「おとな」だ。日常生活の感覚では違和感があるかもしれない。わが子は自立したいと思っているだろうし、主体的思考や行動をとるだろう。「いつから「おとな」で、遊びを考える。」で「つまずきの乗り越えかた」を述べた。つまずいたときに「おとな/年長者」が手をさしのべる、ということでよいのではないか。

あかちゃん(乳児)を除いて「こども」とは、
4年生、9歳まで!(が、わたしの考えかた)

加古里子『伝承遊び考 4 じゃんけん遊び考』p40 小峰書店 2008年

// 江戸時代までの、日本の大人たちが生活していたのは、身分制階級社会であり、子どもはそうした大人に対して小人、小供の存在であり、明言するなら添加者、邪魔者、ガキでしかなかった。したがって子どもに関することなど、よほどのことがない限り、文書や記録から除外されるのが常であり、ましてその遊びなどは「児戯に類する」どころか「児戯そのもの」であるから無視されるのは、当然であった。しかしそんな時代でも子どもは存在し、そして間違いなく遊んでいた。//

第1次主体形成期 誕生~およそ2歳半ば こども(~2年生)
第2次主体形成期 小学3年生,4年生 8~10歳 移行期
第3次主体形成期 高校2年,3年 ~ およそ25…30歳 おとな

 高校2年生から3年生頃。見当外れかもしれない。年齢の幅を具体的に提案できるようなイメージが湧かない。シームレスながらも画期として認められないだろうか。人類社会の「成人」と認知される。
 脳の発達は25~30歳で最終段階に到達するという(※3)。肉体、心(精神)の発達について、やっとこさ「おとな」に到達する。


※3……山口和彦『こどもの「こころと脳」を科学する』ジャパンマシニスト社 2022年 p56

「旅の適齢期=26歳説を真に受けて…」十勝毎日新聞 2021.8.18
+ 作家の沢木耕太郎は旅に適齢期があるとし、これに26歳をあてている。



アカデミックな「子ども期 Childhood」理解……

ギル・ヴァレンタイン『子どもの〔遊び・自立〕と〔公共空間〕』明石書店 2009年
p10
//子どもが大人とは別のものとみなされ始めたのは16世紀になってからのことであり、人間の一段階としての子どもという考え方がわたしたちの社会的想像力において支配的になってきたのは、啓蒙時代以降のことである。//

1-1)悪魔である ディオニソス的な子ども観……17世紀

p11 子どもは野蛮人、悪魔
//子どもは原罪を引き継いだもの、つまり動物に似た本能-野性を持ったもの//
//子どもは生得的に罪深いものだが、親の不断の確固たる努力によって回復しうるものとみなされていた//

1-2)天使である アポロ的な子ども観……17世紀末

p11 生まれつき善性
……//を持っているのに、それが子どもたちの育っていく社会によって台無しにさせられてしまう//
//良心や社会的ふるまいへと向かう基礎となるものとして、生得的な「共感」や「善意」といった原理を前提にしている//

18世紀

ブレイク、コールリッジ、ワーズワース、ルソー……無垢さの理想化
p12 ルソー『エミール』
//子ども期を共感をもって情緒的に描写しており、子どもを危険視していた暗黒時代から、啓蒙的関心の時代への転換を記した功績を持つものと考えられる場合も多い//
p12 18世紀後半 無垢ではなく堕落した性向と邪悪な傾向。矯正を旨とする教育対象。
//ヨーロッパで革命が起こり、不安定さが増すにつれて、イギリスでは秩序ある社会を切望する保守的な著述家たちによって、子どもの権利という考え方の問い直しが主張された//
--->> //子どもは無垢であり、生得的に善であるのに、悪にまみれた社会によって、子どもの善が侵されてしまうという考え方が、徐々に、そして断片的に、支配的な考え方として現れてきた//※一部エリートの考え方

19世紀 //工場における児童労働力の容赦ない搾取を特徴とした産業資本主義が併存//

p13
//児童労働に何らかの規制を設けようとする関心を、中産階級の改革論者たちの間にもたらした//
※子どもを労働から守るという観点は、子どもだけでなく、労働者一般の人権に通じ、
p13
//万人に通じる普遍的な教育が登場//
//教育は、それを通じて成人性を達成することができる基本的プロセスとなり、成人期への移行を示す基準となった//
※ここに、子ども期が発生する。
//子ども期を大人が負っている責任とは隔たりのある特別な時期だと考えるようになった転換を示すものであったということである。//

p14
//子ども期を送れなかったそれら〔労働者階級〕の子どもが、子ども期をまっとうした〔中産階級の〕子どもに対する脅威となることが最も懸念された//
※社会の分断が教育というシステムを生んだ。

19世紀後半~20世紀初め
……子ども期の大衆化・普遍性(成立)

p15
//法の整備と、より決定的には大衆教育の考案(さらに後には、国民健康保険制度)によって、神話的な状況としての子ども期という考え方が大衆化し、子ども期に関する普遍的な見方が徐々に現れてきた、とヘンドリックは論じている//

20世紀

p15
//20世紀、21世紀の福祉国家的保護主義の進展によって、子どもの教育的、法的、環境的、物理的状況、および人生における機会が様々に向上し、親によって子どもに投下される資源(たとえば、子ども向けのおもちゃ、服、食品、娯楽)が大きくなるにつれて、ますます子ども期を大人の世界からの保護が必要な、無垢で、危険な目に遭いやすい時期だと描くようになっていった。//

子ども期の、いま

ニール・ポストマン著

p15
//20世紀になると、子どもが親に依存していると法的に定義される期間は、戦後、学校を卒業する年齢が14歳から16歳へと上がったのに伴って引き伸ばされ、また、より最近では、ティーンエイジャーが福祉給付を要求できる年齢が16歳から18歳へと引き上げられた福利厚生の変化に伴って引き伸ばされ(逆に、ニール・ポストマンのような論者たちは、メディア・ファッション産業、テクノロジーといったものが大人と子どもの境界をあいまいにし、子ども期は短縮されたと論じている)。

本田和子
子ども100年のエポック 読書メモ
異文化としての子ども 読書メモ

p17
//20世紀になって、首尾一貫した「万人に通じる」子ども期の考え方が出現した。すなわち、子どもの時間は、大人の世界のそれとは別のものであるという考え方(いつの時代にこのような[大人と子どもの]区分が起きたのか、ということについては複数の、相反する定義があるのだが)、子どもは無垢で、能力が劣っており、危険な目に遭いやすいので[親と国の両者に]依存しているという考え方、および、子ども期は責任から自由でいられる幸せで自由な時期だという考え方である。しかしながら、これは、大部分の子どもが体験する現実というよりも、子ども期の支配的なイメージでしかない。むしろ、その年齢期がそれ[年齢]以外の個人的状況と関連していて、貧困、身体の不自由、病気、ホームレスといった経験、保護された経験、病気の親を看病しなければならなかった経験などが、無垢と依存の時期という理想化された子ども期を多くの子どもたちから奪っている。同様に「成長」に関しても、社会的発達は肉体的成長に続いて起こり、それが単純さから複雑さへの移行、非理性から理性への移行を表すという誤った想定に基づいてきた。改めて現実を述べるなら、多くの子どもたちが、成熟していること、責任を持っていることを幼い時から示さざるをえない状況にある(たとえば、親の代弁者として行動している子どもたちがいる)。その一方で、いつになっても未熟な大人も一部にいるのだ。//

無垢で、純粋で、……改めて思う

 子どもは社会で守られなければならない存在である。子どもに限ることはないが、そうだろう。その根拠が、子どもは弱いから。「弱者」はほかにも存在するが、子どもに限って言えば、子どもを、あるいは、子ども期を理解または認識した上で、子どもを見守っているかのようなふるまいになっている。無垢だとか、純粋だとか、そういう形容ですませてきたことは、じつのところ「子ども」を見つめず、通過儀礼の如く、端(はた)に置いてきただけにすぎなかった。しかし、そうこうしているうちに、子どもに、子ども期に、危機が迫ってきた。いや、すでに陥っている。


日本の事情

 およそだが、江戸期(半ばより)において、日本の子どもは幸せだった。おとなは子どもの面倒をみることに身を尽くした。しかし、明治期になって、政府や権力者は子どもに関心がなかった。それは、残念ながら今に続いている。
 明治政府は西欧にならって法整備を行ったが、よく知られているように富国強兵が柱だった。つまり、国民国家が建国方針だった。しかし、憲法がなく幕藩国家だった江戸期は、武士の子どもは不憫だが、農民の子どもは自由に遊んでいたようだった。子どもが遊んで日々をすごしたということは、社会を進歩させる源になっていたはずだ。しかし、明治政府は誤り、国民皆兵に進んだ。第二次世界大戦の敗戦後は経済復興、産業優先で、子どもはもとより国民生活はのちに、今の現実のとおり、強烈なダメージをこうむることになる。
 それでも、「子ども期」は敗戦後しばらくは江戸期の系譜をひいていたが、高度経済成長期の終焉とともに、子どもの遊びは著しく衰退し、1980年~1990年にかけて、あるいは以降、かつての「子ども期」と言える状況ではなくなっていると、わたしは思う。営々と保つ続けてきた子どもの幸せを、近年の半世紀ほどで食い潰してしまった。おとなの罪は大きい。

書評『〈子供〉の誕生』

フィリップス・アリエス
『〈子供〉の誕生』読書メモ

//現在、私どもに自明と思われている「子ども」なるものが、たかだか18世紀以降の歴史的な観念であるとは、最近しばしば話題とされているところである。アリエスの大著『〈子ども〉の誕生』の訳出が、恐らくはきっかけの一つを提供したのであろう。彼は、アンシャン・レジーム期のフランス社会における「小さい人々」の生活を様々に洗い出すことを通じて、「子ども」および「子ども期」という観念が、近代的な家族の形成に伴って出現する、一種の近代的「制度」であったことを明らかにしている。// 本田和子『異文化としての子ども』ちくま学芸文庫 1992年 p16

ギル・ヴァレンタイン『子どもの遊び・自立と公共空間』明石書店 2009年
p10
//アリエス(おそらく最も有名な子どもの歴史家である)は、中世の頃には、子どもは年齢によって社会的に(大人から)区別された存在というより、むしろ小さな大人と見られており、そのため大人と子どもの間には特別な違いは何もなかったと論じている。//
//ひとたび、理性や集中力、強さなどの能力を示しさえすれば、彼ら〔子ども〕は家事、徒弟制度、および教育の中で大人の役割を引き受けていた。//

 原書タイトルは Public Space and the Culture of Childhood。直訳すれば「子ども期の公共空間とザ・カルチャー」。日本語版タイトルにある「遊び」が見当たりません。
 子どもの遊びは、子どものカルチャーそのもの。その遊びには空間が必須であり、その条件整備において社会的つまり「公共」の視点が欠かせない、ということか。


守屋光雄 & かこさとし ── 遊びの理論
戯曲「夕鶴」:木下順二 わらべ唄と子どもの遊び
+「わらべうた」と音楽教育
The Renaissance of Childhood 子ども期の再生

2023.12.7更新
2022.7.23記す

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