- 斎藤貴男(さいとうたかお著)『カルト資本主義』
- 文春文庫 2000年 ISBN978-4-480-43578-1
- 単行本は1997年発行。文庫化により一部加筆訂正。
震災の恐怖を味わってしまった者は(私も)、時間を過去に遡るとき、その震災の前か後かが目安になったりする。その震災の前年1994年頃、本を仕入れに取次(とりつぎ=本の卸業)に行くのだが、ずらっと並べられている本の表紙のフンイキが以前と違ってきているような気がしてならなかった。
──「どうも最近、書店のビジネス書のコーナーに、奇妙な本が増えてきているように思うんです。<略> ちょっとルポしてみませんか」95年2月末頃のことである。<略> 言われてみれば、私自身も漠然とそんな感じを抱いてもいた」(7頁)── と、ルポを始めるきっかけが書かれていた。やっぱりあのフンイキはそうだったのだ!
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そのフンイキは今も勢いが衰えることなく続いている。「歴史は日々うつろっていく。しかし本書の内容は古くならない」(459頁)と 著者はあとがきで記しているが、日本の隅々までカルトもしくはカルト的状況が巣くっている気がしてならない。
本書の目次にしたがってあげれば、世界の一流企業「ソニー」、「永久機関」に群がる人々、京セラの稲盛和夫、国の科学技術庁、万能微生物資材EMをあがめる人たち、船井幸雄という人物、ヤマギシ会、アムウェイ商法──を取材し、それらのカルト性を指弾している。 「永久機関」とはいったん動きだしたら永遠に止まらない機械のことだが、ある物理法則によって実現不可能とされている。
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この目次──8つの物語は、いずれもニューエイジ運動(ムーブメント)あるいは「新霊性運動」と呼ばれる世界的な潮流の地域的現象として捉えることができた。が、欧米と違ってわが国の歴史風土はそうした潮流と実に相性がよく、結果、新たな”価値”の体系が発生したのだと、私は考える。その体系を、仮に「カルト資本主義」と名付けたい。現代の日本人は、カルト資本主義の時代に棲んでいる。──(432頁)
少しむずかしい言葉が並びすぎたが、カルトとは何かを問うとき、マスコミ的(扇情的)な理解は誤解を生じやすく、「ニューエイジ運動」とは何かも同時に問う必要があることだけを指摘しておきたい。
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カルトが私たちのすぐそばまで忍び寄ってきているとき、これを他人事のように非難しているだけでは足らない。たとえば、環境を守るためには絶対に善だと思い、信念でしていることでも、自由意思のもとで自分で理解し判断してきたことかどうか問うてみる必要があるかもしれない。
8つの物語には、神がかりのとうてい人間の為せるワザでないことがたくさん書かれている。たとえば、こうである。
──ビルの2階に気功師がいた。5階には彼の弟子である女性が待ち構えている。気功師が手をかざし、「エイッ」と気合を入れる。と、彼とは3フロア離れている女性が、後ろに吹っ飛んだという。─(172頁)
これを「実験」として科学技術庁が研究している。もちろん税金は投入されることになる。
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本書のルポを読むと、マスコミ界で有名な面々が次から次へと姿を現す。オカルトに関心を寄せる首相候補夫人も現れる。戯れ言ではなく本気のように思えるから怖くなってくる。
──京セラの稲盛和夫や船井総研の船井幸雄が、その主張を貫くために、金儲けを犠牲にしたことがあったか? ない! どころか、彼らは現世において、どこまでもヤリ手であり続けていた。──(436頁)
──最近は『ドラえもん』まで、おかしな方向に向かっている。<略> 『ドラえもん』ほど幅広い世代に支持される物語は他にない。自分がカルト資本主義者なら、これほど使えるツールはないと発想するに違いないと思った。──(447頁)
2001.6.27記す