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「だまされたい」と思う者はいないだろう。だまされぬように用心する。どんなふうに?
だまされない処し方は、だまされてみることが最も確かな方法ではないか。だまされないよう身構えるのでなく、「まず信用しよう。この人にならだまされてもかまわない。」そういう信頼関係をつくりあげようとする心・実践が先行してもよいのでは──と、考える。リスクの少ないときから、信頼関係を築く訓練が必要だろう。
2019.2.13記す
確からしさループ
(このページ↓下段)

「正しい」を疑う
「正しい」というおかしさ。
幼児に「正解」は無用。
「知ってる?」の問いは、嘘の体験を誘発する。

- 「真実」を排し「真理」を採る
- 「ほんとうの」で形容することの意味
- 《りんご2つ+みかん3つ》課題
- 「こたえは一つ」とは限らない
- 書き順 vs. 筆順
- 筆順は書き順ともいう。むしろ書き順というほうが、これからの日本語としては望ましい。貝塚茂樹ら編『角川漢和中辞典』
- 伊丹万作「戦争責任者の問題」1946年
- 《私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。(伊丹万作)》
- Franck Pavloff : Matin brun 『茶色の朝』
- 安野光雅『ふしぎなえ』福音館書店 1971年(月刊絵本「こどものとも」1968年)
- 錯覚を絵画表現にしているとわかっていても不思議
- 魯迅(1925年)賢人と馬鹿と奴隷
- 星の使者
- 米本和広『洗脳の楽園 ヤマギシ会という悲劇』『カルトの子』
- 斎藤貴男『カルト資本主義』
- 『文化現象としての癒し 民間医療の現在』
- A.ビアス『新編 悪魔の辞典』岩波書店 1983年
- 記念碑……記念する必要がないか、あるいは記念することが不可能なものを、あえて記念しようとする意図から建てられる建造物。
- 頭の体操を行うにはよいテキストになるが、実際のところ解釈がむずかしいことと、ビアスの生涯(1842-1913)と時代背景を併せて考慮すると、こういう”見方”もあった、ということになるだろうか。
- アンブローズ・ビアス……アメリカのジャーナリスト

確からしさループ
自分では納得していても、あるいは到達したような感慨があっても、「果たして、確かなのだろうか?」と自問自答すること、いつもだ。反論や疑問をいただくと、かえって課題がみえてくる。

解説(一例)
- 情報を、◎受け入れるか ×拒否するか。
- 「拒否」すると、それっきりで関係なくなる。
- 受容で進む方向に「個人」がある。つまり、人それぞれ各人の判断による。
- 「受容」と判断しても、ok!とは限らない。反対意見や対論を受け入れる・訊くを含む。
- 同意して受け入れたとしても、個人の内心において、積極的に受け入れたわけでない場合もある。これを「非規範」としている。
- 同意して受容した場合、実践に向けては「ルールや計画」あるいは、「法や条例」が必要となる。
- 「非規範」は矛盾や疑問として現れる。これをどう解決するか。ここにボランティア活動をあてはめることが可能だ。子どもや学生の場合、社会参加・体験に相当する。
- 検証をAまたはBで行う。
- 検証Bは実践に反映される可能性もある。
- 検証A・Bは、ものさしに戻る。これで「確からしさループ」となる。
【ポイント】
順位10番を実行し《ループ》を完成させることが肝要となる。
解説2(一例)
- 拒否するとループができない。まずは、受け入れることを考えよう。
- 「ものさし」は個人それぞれを仮定しているが、団体・組織・グループの場合もあるだろう。
保育士養成校で教えていたとき、保育は福祉の仕事であること。福祉を政策等で実行するとき、線引き・枠組みを避けて通れない。仕事は「枠」の中で行うことになる。しかし、それがイコール「福祉」ではない。福祉の仕事に携わるとき、「個人」としては「規範枠・非規範」の両方に立ち位置をおくようにと要望していた。つまり、悩みながら・苦悶しながら仕事をすることになる。それが「福祉」を選ぶということなのだ。福祉の先達に学べば諒解はむずかしくない。
「遊び・ゲーム(スポーツ)」相関ループ
「確からしさループ」と比較し、「遊び」の特性を知ろう。

考察
- 「遊び」が足りないと、「規範枠」の領域が大きく、ものさしに戻るループ2本のうち片方が弱くなる。
- 矛盾を感じることがあっても検証Bが十分でないため、変化を望まない傾向になる。あるいは、同調圧力によってルール強化に向かう。
2021.1.26Rewrite
2019.6.23記す