いつ頃の記憶だろうか。
「いのちのさかだる」の語呂がよくて、その筆者が「山田稔」というところまでは覚えていたつもりだったのが、ふと脳裏に浮かんではさがすあてもなく消えていた。──人は生涯に飲める量が定められていて、ゆっくり飲んでも急いで飲んでもいっしよだ──という内容だと思い込んでいる。それを名付けて「いのちのさかだる」。うまいこと言うもんだ、もう一度読んでみたい!と思い、いわゆる探究書になっていた。神戸元町三丁目にあった海文堂書店の1階から2階の階段スロープまたは2階に同人誌『VIKING』のコーナがあって、そこで立ち読みして見つけた/出会ったと記憶している。
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2022年9月1日、京都にあった超個性的な書店「三月書房」のwebサイトを覗いた。「2020年末にて廃業しました」と告知されていた。そこから下に目をやると「山田稔の本」の内部リンクがあった。クリックすると書名の一覧があり下方に「生命の酒樽」を発見! 外部リンクが張られていてクリックするとAmazonのサイトに遷移した。私は小冊子『VIKING』で読んだつもりが、単行本になっていると知った。兵庫県立図書館に期待して蔵書を調べると、あった! 夕方、本を手にする。エッセイ集で、たくさんあるなか「生命の酒樽」が表題に選ばれていたのだった。82ページ。あった、あった、あった! とうとう辿り着いた。
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巻末の初出一覧に、──//生命の酒樽 「VIKING」320号 1977年8月//──とある。私26歳のとき。後述するが同じ文章、つまり初出として1973年9月11日に毎日新聞のコラムに載っていた。私はどちらを目にしたのか? おそらく前者だろう。筆者は大山定一(京都大学のドイツ文学者)。山田稔は大山定一を回想して書いている。その大山は、「ある作家が青年のころ」という前置きで自身ではなく他者の言葉として引いていた。その「ある作家」はこれまた「(ある作家の)母親が」言ったこととして伝えている。
//人間にはそれぞれ「分」というものがある。おまえが一生かかって飲む酒は、ちゃんと神様がその「分」を取っておいてくださる。だから、何もあわてて、無理して飲むことはないではないか。ゆっくり、四十年五十年かけて飲めばよいのだ、と//p82
こういう話はほかにもあるらしい。続けて……
//わたしは誰かの随筆で、そんな文章を読んだ記憶がある。この母親の説に従えば、わたしはわたしの「分」をすっかり飲み尽くしたのかもしれない。神様が取っておいてくれたわたしとの酒樽は、もう一滴も残さないのだ。//p83
さらに続けて……
//酒はやめてしまったが、いわゆる禁酒の苦しみやつらさは、ちっとも感じない。むしろ飲むだけは飲んだという、さっぱりした、満ち足りた気持である。すべてが自然の移り変わりのような気がして仕方ない。
春夏秋冬の移り変わりに似ているといえば──これが「老」というものであろうか。//p83 と結んでいる。
山田稔エッセイの結語は //神様、私の酒樽にはまだどれほど残っておりますでしょうか。//p83 とある。
ああ、これですっきりした。(……みつかって……)
追記:
兵庫県立図書館蔵書のこの本のとびらに山田稔のサインがしてある。相手先の名前は「小島輝正様」。裏表紙側の扉に蔵書印があり「小島蔵書」とある。どうやら小島輝正側からの寄贈によるものらしい。読みたいエッセイがいっぱい。山田稔の文章は読みやすいし、心にしみてくるものがある。
「生命の酒樽」に読みは付されていない。「せいめい……」ではないだろう。
2022.9.4記す