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「赤」とか「黄」とか、ストレートな表現はできるだけ避け、いろどりを楽しもう。グラデーションがきれいから、という理由ではない。言葉に表現することは大切なことであるけれど、言葉の表現は人それぞれで共有できるが、一方で、たとえば、赤/黄のイメージを、自らがすでに所有しているイメージで、イメージの拡がりを制限してしまうことになるから。
//一輪のバラをつくづく見たとします。// p128
- 山鳥重『心は何でできているのか』角川書店 p128より
//このバラの赤は素晴らしいとか、血のようだ、とか、真っ赤だとか、ま、語彙が足りませんが、いろいろそのバラの赤さを感じ取るわけです。この「赤さ加減」あるいは「赤らしさ」は、見る人それぞれによって微妙に異なっています。しかし、この違いを比べるすべはありません。それは、本人の中枢神経系にのみ創発され、自分だけが感じるものであって、客観的にバラに内在するものではないからです。
この、知覚経験に特有の、本人だけが経験する、対象の赤の性質がクオリアです。//p128
- クオリア
- //目や耳などを通して受け止める、ものの感じ。感覚質。例、ある波長の光が目に はいったとき、「青だ」「すずしい色だ」と とらえられる、その感じ。//『三省堂国語辞典・第八版』
感覚=「感覚性感情」

//「感覚性感情というのは、わたし〔山鳥重〕の造語で、普通は感覚と呼ばれています//同上p126
//感覚性感情は、昔から定着している概念から言いますと、クオリアと呼ばれてきたものに近いものです。まったく同じだと、わたしは思っていますが、クオリアの定義と、わたしの感覚性感情の定義は微妙に違いますので、一応、「クオリアに近い」、あるいは「限りなく近い」と、しておきます。//同上p127
//すべての感覚性感情は他人が絶対経験できない心理現象だという意味で、すべてクオリアなのです。//同上p128
- 大野晋ほか『岩波古語辞典』1974年
- もみぢ【紅葉ぢ・黄葉ぢ】
- //奈良時代にはモミチと清音// //平安時代に入って濁音化//
- (1) //草や木の葉の色が秋の末に霜のために紅や黄色にかわる。//
(2) //草木の葉が色づくこと。また、その葉。// - ※「霜のために」とあるが、そうかな?と疑問あり。
- (1) //草や木の葉の色が秋の末に霜のために紅や黄色にかわる。//
2022.11.9記す