Home > 砂をすくうように > 「脳」を学ぶ(脳楽部)
- 山鳥重(やまどり・あつし)『心は何でできているのか』
- 副題:脳科学から心の哲学へ
- 角川書店 2011年
- 神経心理学
- ブックカバーより
- 1000億個の神経細胞からなる脳。この精妙な仕掛けから、心=「考える私」が生まれる。では、脳がわかれば心も全てわかるのか? 記憶障害、失語症など豊富な臨床経験をもつ著者が、覚醒意識・感情・知性・意志の「心の4層構造」と、その背景にある脳の進化を解きあかす。プラトンやカント、ダーウィン、森鴎外、日本初の心理学者・元良勇次郎がのこした心と脳の理論も検証。脳科学の言葉では説明できない心の不思議に迫る!
気さくで陽気な人柄あらわれる表現
p84
……//イギリスの学者の言葉らしいのですが、残念ながら、いつ、どこで読んで、メモしておいたのか、忘れてしまって、分かりません。ご存じの方はぜひご教示ください。//
p84
//オヤジギャグの面白さですが、言えてるな、といつも思うのです。//
p102
//カントはわたしにはチンプンカンプンですので深追いはしませんが、彼も知情意説が気に入っていたのでしょう。//
p112
//情動にはこころの側とからだの側があり、この2つを区別する必要があります。そこで、からだの変化を情動(性)表出、こころの変化を情動性感情と呼ぶことにします。そうしないと、自分でも何を考えているのか、頭の中がこんがらがってしまいます。//
p168
//ある医学辞書の反射の項目を数えてみようとしたのですが、200くらいでいやになってやめてしまいました。それほど多いのです。//
p113 //情動表出と情動性感情//の節で
//赤ちゃんのような、のびのびした怒りや喜びや悲しみの表出がいつまでも続くわけはありません。情動表出の程度はだんだんと低くなり、表出の範囲もだんだんと狭くなります。//
※疑問。「赤ちゃん」と呼称されるときの、「怒りや喜びや悲しみ」という「感情表現」は適切なのだろうか? 空腹などで不快(または欲求)が伴うであろうときに泣く。しかし、それは「怒りや悲しみ」だろうか? 赤ちゃんの「微笑」は「喜び」だろうか? これらを受けての「表出」頻度や範囲については納得できる。
p165
//こころの土台は感情です。感情を持つ動物はまた、その感情を行動に表します。行動とは、個体の、一定のまとまりある動きのことです。//
p166
//何かを満足させたい、という感情がこころを一定方向に動かし、一定の行為に向かわせます。動物の場合も同じで、食べ物を引き裂き、噛み砕き、呑み込むのも、獲物を追うのも、危険から逃げるのも、その行動の基盤には、感情があります。この感情に誘発され、一定の行動を実現する基盤となるこころの働きが意志だ、とペインは言っています。//
p172
//わたし〔山鳥重〕の意志についての考えはペインと違います。//
ペインは
//感情が意志を誘発する、と考えていますが、わたしは、感情は情動行動に伴うだけで、意志誘発の契機にはならないのではないかと思っています。つまり、運動のだいたいの方向づけに関与するだけです。心像(この場合は運動性観念心像)創発が、意志出現の前提ではないか、というのがわたしの仮説です。//
p174
//このような症状を神経心理学では、観念運動失行と呼びますが、その意味は、運動観念(これこれこういう行為をするという思い)は立ち上がっているのだが、その観念を運動(=行為)に転換することができなくなっている状態ということです。ちなみに「失行」というのは、目的ある行為を実現できない、あるいは行為能力が失われている、という意味です。//
※かつて、NHK交響楽団指揮者の岩城宏之がラジオ放送で語っていたこと。── シンバルを打つ場面が近づき奏者が立ち上がった。しかし、なぜか打てなかった。出番が終わったことになるので、いつすわるのかと思ったと語った。愉快な話題としてだった。これも、観念運動失行ということになるのだろう。
2022.12.2記す