20代からマスコミの取材を受けることはたびたびあった。そのたび記者から飛び出す質問、言葉は「ユニーク」だった。聞き飽きるほどだったが、ユニークと表現するしかなかったかもしれない変わり者だった。褒め言葉だったのかもしれないし、受け入れたものの、反撥も感じた。ユニークとしか表現できないということは、理解できないということでもある。それに逆らっても仕方ないという諦めもあった。「理解しにくい=特殊」として、より多くの人に理解してもらえること、より多くの人に役立つには「普遍」をめざすことだと悟った。
もう一つの意味がある。私は「フィールド派」なので、現場(臨床)から学ぼうと思っている。自身の先入観が障碍だ。現場は、いつでも「特殊」。まずは、特殊をよく観察し、そこから何を発見し学ぶかが大切だ。それで完結していいわけだが、過去の体験から共通項をみつけてしまう、あるいは感じてしまう。そういうアプローチが、特殊から普遍へと進む歩みになるのかもしれない。ただし、ここで注意することは、普遍としての完結はないと心得ることだろう。
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立木康介(ついき・こうすけ)「フロイト 夢判断」NHK100分de名著 2024.4
p20
//フロイトの方法は、いわば、徹底的に「個別」を突き詰めることで「普遍」に到達するという独特なスタイルです。多くの「個別」を集めるのではなく、一つないし少数の「個別」に深く潜っていく。そうすることで初めて見えてくるもの、到達できる「普遍」がある。フロイトの自己分析は、そのような形で『夢判断』に奥行きを与えています。//
※ここにある「個別」は、「特殊」と読み替えて良さそうだ。
2024.5.7Rewrite
2019.2.1