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Sustainable Development Goals
DevelopmentのDは、日本語で考えるにあたって「開発」をあてることが標準になっている。戦後復興の経済高度成長期を経験してきた年代(私もそうだが)は”近年”の低成長にいらだち”開発”を志向する向きがあるのかもしれない。この場合は対立する概念になっている。
SDGsは国連が提唱している目標だ。日本は世界の一員にすぎない。地球人類が存続するために、幸福を追求するために、必要な目標としている。そのための「開発」であろう。ということは、インクルーシブと同じ意味として捉えてよいのではないかと思う。「誰一人取り残さない」のフレーズは、インクルーシブそのものではないか。「開発」とは、インクルーシブな社会の実現に進む──ということだろう。
以上ここまでは、2022年12月14日に記した。
環境問題(かつては自然保護運動と言っていた)にかかわっていた1970年代当時、「開発」は自然保護に対峙するものだった。時代が変わり「SDGs」に出会った。その「D」は「開発」と知ることになる。SDGsを受け入れようとして「開発」が意味することを学ぼうとした。その結果が上記のとおりである。
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少々長くなるが、SDGsの考え方に重要なので、以下に引用して記す。
座談会「レジリエンス人類史 総合討論」電子版 2022年
p25 小見出し //SDGsに根本的に欠けているもの//
//清水〔清水展〕:もはや、はっきりと我々が主張するべきだと思いますね。いま、世界はSDGsが盛んになっている。しかし、馬場〔馬場悠男〕さんもおっしゃったように、SDGs(Sustainable Development Goals)によって覆い隠されてしまう部分もある。Development Goals、つまりは「ゴールは開発」ではないですか。レジリエンスを人類史から考えてみて改めて思うのは、たかだか1万年前の農業革命、200年少し前の産業革命によって今に至った現在をまるで当然のように思って、その惰性の中で「開発」を「目標」とする。//
p25
//〔清水展:〕もちろん女性の社会進出とか社会的な目標もあるけれども、突き詰めれば経済成長で「成長すれば良いことがありますよ」という「開発路線」はそのままにされている。そうではなくて、実は人類史の長きに亘った、人と自然が一体であった時代の「成長」「開発」「豊かさ」とは何かを、今あらためてちゃんと考えてみるべき時ではないでしょうか?//
p26
//〔稲村哲也:〕「Development」をゴールにしないという発想の転換が大事ですね。//
p26
//〔山極寿一:〕SDGsに問題があることにはもう若い人は気づいています。先日、京都市北部の京北町で、SDGsについてのシンポジウムを行いましたが、そこで、高校生から「今、企業がSDGsのどの目標に取り組んでいるということを盛んに言うけれど、それは言い逃れではないですか」という質問が出ました。僕はそのとき、こう答えたのです。「20世紀の後半というのは大変な時代だった。先進国は権益の争奪を競って争い、資源を搾取し、紛争や公害、環境破壊が頻発した。それがやっと2015年になって、各国が合意して「持続」を共通のスローガンとして、誰一人取り残さないというかけ声を上げて取り組み始めた。だから、このこと自体は決して非難すべきことではない。しかし、SDGsには決定的に欠けている事柄があって、それは〈文化〉だ」と。
「文化」という言葉は、SDGsの17の目標には出てきません。169の達成基準の中に二つだけ出てきます。これをやっと入れることができたのは、前の地球システム・倫理学会の会長で、長くユネスコに勤務されユネスコ事務局長顧問だった服部英二さんの努力でした。ではなぜ「文化」がSDGsの目標になれないかといえば、先ほど申し上げたように、「文化」は世界単一のものにはならないのです。やはり服部さんが尽力されたユネスコの「文化的多様性に関する世界宣言」の中では、第1条に「時代、地域によって、文化のとる形態は様々である。人類全体の構成要素である様々な集団や社会個々のアイデンティティは唯一無比のものであり、また多元主義的である」とまさしく書かれていて、つまり、文化とはそもそも多元的で一つの目標にはなりにくい。文化というものは、その土地の自然と切っても切り離せないものだからです。同時に、おなじ第1条は「生物的多様性が自然にとって必要であるのと同様に、文化的多様性は、交流、革新、創造の源として、人類に必要なものである」と結ばれている。この2点は非常に大事です。
いま、世界中の都市は、文字通り金太郎飴のように、鉄とコンクリートとガラスという均一の素材で作られ、同じような景観が広がっている。そうではなく、都市であっても、その土地の自然の要素・素材をきちんと取り入れて、自然に優しい都市作り、暮らしができるようにデザインしていく必要がある。その点でアートの発想はとても重要です。アートは情報になりませんし、計算もできない。現代は、計算できるもの情報になるものばかりをかき集めて、それに頼って暮らしている。情報化できるもの、計算できるもので考えるのが、主流派経済学の発想です。本来は数値化しにくい教育とか健康とか幸福とかについても、ともかく無理矢理にでも市場に置き換えて、コストと効果、サービスの多寡という風に考える。最初に稲村さんがおっしゃったけれども、脳科学から考古学、哲学まで,26人の一級の研究者に集まっていただいたのが本書〔稲村哲也ほか『レジリエンス人類史』京都大学学術出版会 2022年〕ですが、実は経済学の専門家はあえて呼ばなかった。そこには、計れるもので良悪を評価するという価値観とは別なものが必要ではないかという思いがありました。そして単なる「情報」にはならないものこそが、実は共感なんです。そうした立場で地球各地で取り組む必要がある。在来知,あるいは先住民から学ぶというのは、まさにSDGsに欠けているこの多様な地域文化を活かすということなのです。
清水:地球研〔総合地球環境学研究所〕の名称に、日本語では隠れているけれど、英語では「Research Institute for Humanity and Nature」とある、まさに「Humanity and Nature」(人文知と自然)という視点ですよね。
阿部〔阿部健一〕:日本語名称は文科省がつけたもので変えることはできません。しかし英語の名称は自分たちでつけてもよいということで、日高敏隆・初代所長が考えたものです。日高先生は環境問題の根底にあるのは文化だ、人と自然の関係は文化に内包されている、と看破していました。われわれは,せっかく作った共通目標であるSDGsを頭から否定することは避けて、山極さんの言うように、どうにかして多様な地域に文化に、落とし込むことを考える必要があります。地球研には全国の高校から環境問題やSDGsについて話してくれ、という依頼が来ますが、僕はよく高校生に「18番目の目標、My SDGsを考えてみようか」と話します。まさに「十八番(おはこ)」なんだけれども、上から与えられたものでなく、まず自分の身の回りを見渡して「私の(自分たちの)SDGs」をつくるということです。地域の個性を活かした実態のあるSDGsを個人や地域が作っていくということですね。
中原〔中原聖乃〕:地球研の中でも「My SDGs」があっても良いですね。地球研ではミツバチを育てている研究者がいます。ミツバチによる蜂蜜生産というのは、まさに土と植物と動物の繋がりなんですよ。一度分蜂に立ち会えたのですが、ある狭い範囲の自然資源が近隣の森に広がることが実感できました。ミツバチが採蜜する花を上手く育てることができると、いろんなことが相関しているのが目に見えるようになるのではないでしょうか。
山極:植物を開花させ、花粉を運び蜜を貰うという、まさに共生・循環のモデルですね。//
引用終わり。
My SDGsで表されているように、SDGs上の「開発」は必ずしも批判の対象となっているわけではない。人類の進化史として、SDGsの「D」を考えたい。
2027.8.1記す
